1969年の野球

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1969年の野球(1969ねんのやきゅう)では、1969年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1969年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ73516 .589優勝
2位阪神タイガース68596 .5356.5
3位大洋ホエールズ61617 .50011.0
4位中日ドラゴンズ59656 .47614.0
5位アトムズ58693 .45716.5
6位広島東洋カープ56704 .44418.0
1969年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位阪急ブレーブス76504 .603優勝
2位近鉄バファローズ73516 .5892.0
3位ロッテオリオンズ69547 .5615.5
4位東映フライヤーズ57703 .44919.5
5位西鉄ライオンズ51754 .40525.0
6位南海ホークス50764 .39726.0

日本シリーズ

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1969年 日本シリーズ
日付試合ビジター球団(先攻)スコアホーム球団(後攻)開催球場
10月26日(日)第1戦読売ジャイアンツ6 - 5阪急ブレーブス阪急西宮球場
10月27日(月)第2戦読売ジャイアンツ1 - 2阪急ブレーブス
10月28日(火)移動日
10月29日(水)第3戦阪急ブレーブス3 - 7読売ジャイアンツ後楽園球場
10月30日(木)第4戦阪急ブレーブス4 - 9読売ジャイアンツ
10月31日(金)第5戦阪急ブレーブス5 - 3読売ジャイアンツ
11月1日(土)移動日
11月2日(日)第6戦読売ジャイアンツ9 - 2阪急ブレーブス阪急西宮球場
優勝:読売ジャイアンツ(5年連続11回目)
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個人タイトル

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
タイトル選手球団成績選手球団成績
最優秀選手王貞治巨人 長池徳二阪急 
最優秀新人田淵幸一阪神 有藤通世ロッテ 
首位打者王貞治巨人.345永淵洋三
張本勲
近鉄
東映
.333
本塁打王王貞治巨人44本長池徳二阪急41本
打点王長嶋茂雄巨人115点長池徳二阪急101点
最多安打長嶋茂雄
王貞治
巨人156本永淵洋三近鉄162本
盗塁王柴田勲巨人35個阪本敏三阪急47個
最多出塁数(セ)
最高出塁率(パ)
王貞治巨人272個張本勲東映.421
最優秀防御率江夏豊阪神1.81木樽正明ロッテ1.72
最多勝利高橋一三巨人22勝鈴木啓示近鉄24勝
最多奪三振江夏豊阪神262個鈴木啓示近鉄286個
最高勝率高橋一三巨人.815清俊彦近鉄.720
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ベストナイン

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 セントラル・リーグパシフィック・リーグ
守備位置選手球団選手球団
投手 高橋一三巨人鈴木啓示近鉄
捕手 木俣達彦中日岡村浩二阪急
一塁手 王貞治巨人大杉勝男東映
二塁手 土井正三巨人山崎裕之ロッテ
三塁手 長嶋茂雄巨人有藤通世ロッテ
遊撃手 藤田平阪神阪本敏三阪急
外野手 高田繁巨人長池徳二阪急
D.ロバーツアトムズ永淵洋三近鉄
山本一義広島張本勲東映
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オールスターゲーム

高校野球

大学野球

社会人野球

メジャーリーグ

できごと

1月

  • 1月10日 - 巨人は嵯峨健四郎を自由契約とする[1]
  • 1月11日 - 巨人の高倉照幸は球団から要請されていたコーチ補佐兼スカウトへの就任を断り、自由契約にしてほしいと球団に申し入れる[2]
  • 1月13日 - ヤクルトの球団社長の松園尚巳は巨人を自由契約となった高倉照幸に対して入団を要請[3]
  • 1月18日 - 東京オリオンズが株式会社ロッテと業務提携することを正式に契約したことを発表。チーム名は「ロッテオリオンズ」に[4]
  • 1月21日 - 東映は巨人を自由契約となった嵯峨健四郎の入団を発表[5]
  • 1月28日 - 阪急はダリル・スペンサーとロサンゼルス市内で契約交渉を行い、球団はスペンサーに対し20パーセントの減俸を提示したがスペンサーはこれを拒否したため、退団が決定[6]

2月

  • 2月15日 - アメリカのプロ野球新リーグのグローバル・リーグに参加する日本チームが東京・赤坂のホテル・オークラで記者会見し、元巨人の矢ノ浦国満ら14名の選手と契約を結んだと発表[7]

3月

4月

  • 4月6日 - 第41回全国選抜高校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場で行われ三重高校が堀越高校に12-0で勝利し、大会初優勝を達成[11]
  • 4月8日 - サンケイは球団の名称を「サンケイ・アトムズ」から「アトムズ」に変更するとセ・リーグに届け出、リーグも即日了承[12]
  • 4月12日
    • プロ野球のセ・リーグ、パ・リーグの公式戦が開幕[13]
    • 中日の中利夫が広島球場での対広島1回戦の8回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[14]
  • 4月22日 - 東京球場での西鉄対ロッテ1回戦の9回裏、ロッテが無死1塁から前田益穂がバントし、西鉄の捕手の宮寺勝利が二塁へ送球しセーフの判定となるが、西鉄の監督の中西太が打者の前田が宮寺の守備妨害したとアピールして認められ、今度はロッテの監督の濃人渉らが抗議し。試合は午後9時35分から約53分中断[15]
  • 4月26日 - 南海の広瀬叔功が大阪球場での対西鉄1回戦に中堅手として先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[16]
  • 4月27日 - 巨人の長島茂雄が広島市民球場での対広島2回戦の七回表に二塁打を放ち、プロ通算3000塁打を達成[17]
  • 4月30日 - 西宮球場で行われた阪急対近鉄4回戦で阪急のゴードン・ウインディが3回裏に1号本塁打を放ち、阪急は開幕13試合連続本塁打を記録し、1950年に大映オリオンズが記録した「12」を抜くパ・リーグ新記録[18]

5月

  • 5月4日 - 巨人の長嶋茂雄が後楽園球場での対大洋5回戦の9回表、一死満塁の場面で右犠飛を放ち、プロ通算1000打点を達成[19]
  • 5月10日 - 中日の中利夫が中日球場での対大洋4回戦7回裏に二塁打を打ち、プロ通算1500安打を達成[20]
  • 5月11日 - 中日の田中勉が中日球場での対大洋6回戦に先発して勝利投手となり、プロ通算100勝を達成[21]
  • 5月13日 - 南海の野村克也が日生球場での対近鉄2回戦の4回表、国貞泰汎の安打で生還し、プロ通算1000得点を達成[22]
  • 5月18日 - 近鉄バファローズジム・ジェンタイル(登録名はジムタイル)が西宮球場での対近鉄6回戦の2回表に3号本塁打を放つも、一塁ベース手前で左足が肉離れを起こして負傷し、伊勢孝夫がジムタイルの代走としてホームインする[23]
  • 5月22日 - 巨人の長嶋茂雄が神宮球場での対アトムズ9回戦の9回戦の1回表に6号本塁打を放ち、プロ通算300本塁打を達成[24]
  • 5月23日 - 西鉄の監督の中西太は福岡市内の球団事務所を訪ね、病気のために休養したいと申し入れ、球団もこれを了承、監督代行としてコーチの鬼頭政一が務めることに[25]
  • 5月25日 - 中日の江藤慎一が中日球場での対巨人6回戦の3回裏に7号3ラン本塁打を放ち、プロ通算250本塁打を達成[26]
  • 5月27日 - アトムズのルー・ジャクソン脾臓壊死のため死去。享年33。
  • 5月31日 - 中日の中利夫が中日球場での対広島10回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[27]

6月

  • 6月1日 - 近鉄対東映のダブルヘッダーが西京極球場で行われ第一試合の10回戦で近鉄が9-0で勝利、第二試合も近鉄が6-1で勝利し、近鉄は球団新記録となる12連勝となる[28]
  • 6月3日 - 広島の山本一義が広島球場での対大洋5回戦の二回裏に10号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[29]
  • 6月4日 - 広島の水谷実雄がウエスタン・リーグの対阪急6回戦でウエスタン新記録となる1試合4本塁打を放つ[30]
  • 6月13日 - 西鉄は休養中の監督の中西太が14日の対南海戦から復帰すると発表[31]
  • 6月15日 - 中日の小川健太郎が後楽園球場での対巨人9回戦に先発し、王貞治に対し三回裏と六回裏に背面投げの変則投球[32]
  • 6月20日 - 南海対ロッテの10回戦が東京スタジアムで行われ、南海はロッテに0-6で敗れ球団新記録となる12連敗となる[33]

7月

  • 7月13日 - 阪神の権藤正利が甲子園での対中日12回戦に先発して1失点の完投勝利で4勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[34]
  • 7月22日 - 平和台球場でのオールスターゲーム第3戦、13回表の午後10時6分に球場の照明灯が全て停電し、試合が約53分中断[35]

8月

9月

  • 9月4日 - 阪急は西宮球場での対近鉄18回戦で、1回裏から4回裏まで4イニング連続で本塁打を記録し、パ・リーグ記録を作る[48]
  • 9月6日 - ロッテの前田益穂が日生球場での対近鉄23回戦の6回表に安打を放ち、プロ通算1000安打を達成[49]
  • 9月17日 - 阪神の吉田義男が甲子園球場での対ヤクルト22回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[50]
  • 9月18日 - アトムズのデーヴ・ロバーツが甲子園球場での対阪神23回戦の3回表にこの日2本目となる32号本塁打を放ち、日本プロ野球通算100本塁打を達成[51]
  • 9月23日 - 東映の大杉勝男が大阪球場での対南海17回戦の2回表に30号本塁打を放ち、プロ通算100本塁打を達成[52]

10月

  • 10月5日 - 巨人の柴田勲が川崎球場での対大洋ダブルヘッダー第2試合の第25回戦の八回表に二盗を決め、プロ通算300盗塁を達成[53]
  • 10月6日 - 巨人の王貞治が川崎球場での対大洋25回戦の8回表に適時打を放ち、プロ通算1000打点を達成[54]
  • 10月8日 - 西鉄の永易将之が公式戦で八百長を演じていたと読売新聞と報知新聞が報道[55]
  • 10月9日
    • 読売新聞社社主の正力松太郎が午前3時50分国立熱海病院で肝不全のため死去[56]
    • 巨人が後楽園球場での対中日戦23回戦で5-2と勝利し、5年連続セ・リーグ優勝達成[57][58]
  • 10月10日 - 巨人の金田正一が後楽園球場での対中日戦の5回表に登板して勝利投手となり、プロ通算400勝を達成[59]
  • 10月12日 - ロッテの榎本喜八が大阪球場での対南海26回戦に出場し、プロ通算2000試合出場を達成[60]
  • 10月16日 - 【MLB】1969年度ワールドシリーズの第5戦がシェイ・スタジアムで行われ、ニューヨーク・メッツボルチモア・オリオールズを5-3で破り対戦成績を4勝1敗としてワールド・チャンピオンの座を獲得。MVPはメッツの一塁手のドン・クレンデノン[61]
  • 10月18日 - 巨人の王貞治が中日球場での対中日25回戦にて1回表に44号本塁打を放ち、野村克也に次いで日本プロ野球史上2人目の通算400本塁打を達成[62]
  • 10月19日 - 阪急対近鉄戦の25回戦が午後1時より藤井寺球場で行われ、阪急が近鉄に3-2で勝ち、3年連続3度目のリーグ優勝を達成[63][64]
  • 10月21日 - 沢村賞の選考が東京・有楽町の交通大飯店にて東京運動記者クラブ加盟社の各部長が出席して行い、巨人の高橋一三を選出[65]
  • 10月22日
    • 西鉄は午後4時より福岡市内の球団事務所にて記者会見し、選手兼監督の中西太の退団を認めたと発表[66]
    • 広島はコーチの上田利治が球団に退団を申し入れ、球団もこれを了承[67]
  • 10月30日 - 巨人対阪急の日本シリーズ第4戦が後楽園球場で行われ、4回裏巨人は無死一・三塁で重盗、三塁走者の土井が本塁へ突入し阪急捕手の岡村浩二にブロックされたに見えるも判定はセーフ。判定に怒った岡村が主審の岡田功を突き飛ばし、日本シリーズ史上初の退場処分を受ける[68]

11月

12月

  • 12月1日 - 西鉄を退団した前コーチの仰木彬が、近鉄監督の三原脩から誘われ、近鉄に守備コーチとして入団が決定[80]
  • 12月10日 - 中日の板東英二が名古屋市中区の球団事務所を訪れ、球団社長の小山武夫に対し現役引退を申し入れて了承される[81]
  • 12月13日 - 巨人の宮田征典が体力の限界を理由に球団に現役引退を申し入れ受理され、任意引退となる[82]
  • 12月15日
    • 中日は田中勉に対してトレード要員とすることを通告[83]
    • 西鉄は球団社長の国広直俊の退任と、西鉄本社取締役の青木勇三の新社長就任を正式に発表[84]
  • 12月17日
  • 12月19日
    • 中日は田中勉に対し、「トレード先が見つからないため自由契約にする」と通告[86]
    • 田中勉は、『週刊ポスト』が10月24日号で「田中勉も一役?」と田中も八百長に絡んだという記事を掲載した件に関し、同誌を名誉棄損罪で東京地検に告訴[87]
  • 12月24日 - 阪神の吉田義男が大阪市北区の阪神電鉄本社にて球団社長の戸沢一隆と午後4時より会談し、6時に退団を表明[88]
  • 12月26日 - 中日の江藤慎一は球団からのトレードを拒否し、名古屋市内の江藤慎一事務所にて任意引退同意書にサイン。セ・リーグは即日任意引退選手として公示[89]

誕生

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

死去

出典

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