西南学院大学 (せいなんがくいんだいがく、英語 : Seinan Gakuin University )は、福岡県 福岡市 早良区 西新 六丁目2番92号に本部を置く日本 の私立大学 。1916年 創立、1949年 大学設置。大学の略称 は西南大 (せいなんだい)、西南 (せいなん)。
建学の精神
C・K・ドージャーが臨終に際して言い遺した「西南よ、キリスト に忠実なれ(Seinan, Be true to Christ) 」という言葉が、建学の精神とされている。
教育および研究
創立時から多くの外国人の教員がいる。28か国、95大学と国際交流協定を結び、学生の交換留学、教授・研究員の交流を行っている。少人数教育を重視している。日本最古の学生スピーチコンテスト「ギャロット杯 」をESS(英会話サークル)が主催している。
学風および特色
スクールカラー が表すように自由で明るい学風 。語学教育 を重視している。留学生や留学経験者、外国人教員が多く、教員の中には副業で稼ぐ実業家がいることでも、関係者には知られている。
米国南部バプテスト連盟の宣教師によって開学した歴史から、その流れを汲む日本バプテスト連盟 との関係は現在も深い。神学部 は日本バプテスト連盟の教派神学校としての使命も負っている。バプテスト教会から多額の補助を受けていた時期もあり、南部バプテスト連盟より宣教師の派遣を受けており、学院長もこれら宣教師が就任することが通例であった。
しかし1970年代より南部バプテスト連盟の保守化が進み、2000年代に入ると、米国における極端なキリスト教原理主義 化の波が学院に大きな影響を与え、2004年 、アメリカ南部バプテスト連盟は世界バプテスト連盟 (英語版 ) を離脱した。詳細は後述。
略歴
西南学院大学博物館
1916年 、アメリカ合衆国南部バプテスト連盟の宣教師C・K・ドージャー によって、福岡市初の男子の私立中学校(旧制) として創立された。当初104人の生徒と9人の教職員でスタートした私立西南学院は、1921年 に大学の前身である高等学部 を開設した。第二次世界大戦 中は、日米関係 が悪化し、キリスト教主義学校に対する風当たりが強くなり、英文科を閉鎖するなどの影響が出た。
終戦後の1949年 、新制大学 として西南学院大学が開設。当初は米国のリベラル・アーツ・カレッジ の形式をとる予定だったが、学部 のない大学は認めないという国の指導もあり、学芸学部 としてスタートした。
宣教師
建学以来、太平洋戦争 中の一時期を除いて米国人宣教師が経営の中核を担ってきた。宣教師たちは、神学 や外国語(特に英語 )をはじめ、文学 や生物学 などの専門分野を研究・教育した。歴代の学院長を初代から15代までのうち7人が宣教師が占めるなど、多くは学院の顔として地域でも活躍した。
1961年 、児童教育などに尽くした学院創立者C・K・ドージャーの妻M・B・ドージャーは、外国人として初の西日本文化賞を受けた。西南学院が経営する大学、高校、中学などにこれまで勤務した宣教師は90人以上(2005年時点)。いずれも全米最大のプロテスタント 組織である南部バプテスト連盟から派遣され、給与 などの経費は米側が負担してきた。
しかし、2000年 に南部バプテスト連盟が信仰宣言を改訂して「妻は夫に恭しく従うべきだ」と家父長制 を強調し、女性が牧師 になることを制限する文言などを加えた。海外の宣教師にも宣言への同意署名を求め、拒否した宣教師は絶縁になった。こういった米国の極端なキリスト教原理主義 化の波は、西南学院にも一石を投じ、ブッシュ・ドクトリン を積極的に支持するなど右傾化を強める米国教会に、派遣された宣教師たちがついていけなくなり解雇され帰国した。2004年 夏から秋にかけて、宣言への署名を拒否した当時の学院長L・K・シィート 神学部教授、H・C・ジョンソン文学部教授が任期を終え離日し、宣教師は不在になった。
学院に留まった4人の元宣教師は南部バプテスト連盟を離れ、学院の専任教員として採用された。
象徴
スクールカラー は「自由を表す」テレベルト・グリーン(terre‐verte green■ )。1934年当時、新聞部が学生に公募したところ圧倒的支持を得て採用された[5] 。
校歌 は島崎赤太郎 作曲。
校章 のデザインはC・K・ドージャーが考案した。西南(South・West)の頭文字「S・W」の2文字を組み合わせたもの。
組織
学部
神学部
文学部 (2020年4月より募集停止)
外国語学部
商学部
経済学部
法学部
人間科学部
児童教育学科
社会福祉学科
心理学科
各学年100名計400名の定員で、カリキュラムは「分析・調査法領域」を基礎として「認知領域」「社会・産業領域」「教育・発達領域」「臨床領域」「文化・環境領域」という専門の5領域の計6領域から構成される[6] 。
国際文化学部
附属機関
西南学院大学図書館前にある 町子先生とサザエさん/福岡県福岡市早良区
学術研究所
研究活動を支援するための機関で、専任教員約200人の個人研究室および、研究会用の会議室を備える。
附属図書館
図書収蔵能力は120万冊。一般図書・学術書のほか、国連寄託図書館 、OECD 協力資料館、EU 情報センター、国際協力プラザからなる国際機関資料室を併設。中でもEU情報センターは日本の大学で初めて設置された。またデフォー 文献・ロビンソン 変形譚の蔵書では全国トップの収集。芥川賞 作家の森禮子 が以前、司書 をしていた。図書館の前には大学が福岡市に寄贈した、長谷川町子 とその代表作の主人公サザエさん の銅像がある。
大学博物館[7]
概要 西南学院大学博物館, 施設情報 ...
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建物は、西南学院中等部本館として1921年 に竣工。西洋建築の古典様式であるジョージアン・コロニアルスタイルを基調とした赤レンガ造り3階建てで、間口24m、奥行15m、軒高10.4m、棟高15m。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ が行った。以来、西南学院中学校・高校の講堂として使用され、ヘレン・ケラー やリンドバーグ 夫妻が来訪、マーティン・ルーサー・キング 夫人であるC.S.キングが1986年5月に創立70周年記念講演を行った。2004年 3月に「西南学院旧本館・講堂」として福岡市指定有形文化財 にも指定され、これを契機に西南学院大学博物館として整備、2006年5月15日にオープンした。館長は同学教授の高倉洋彰 が兼任している。また2015年には福岡県指定有形文化財となる[8] 。
国内外の聖書 の写本 や、マリア観音 などの隠れキリシタン に関する資料などキリスト教の資料、学院創立者であるC・K・ドージャーにまつわる品々を常設展示しており、定期的にキリスト教やユダヤ教 に関する美術工芸品を集めた特別展を開催している。特筆できるものとして、隠れキリシタンが江戸時代 に密かに拝んでいたと伝えられる「隠れ切支丹鏡 」がある。同様の銅鏡 は約2千年前の中国で造られ始め、日本でも仏像 や経典 を映す魔鏡 は各地で見つかっている。しかし隠れ切支丹鏡は、弾圧の歴史の中で秘蔵されていたため極めて数が少ない。一見するとどこにでもありそうな和鏡だが、一定の角度から光を照らすと、反射した光が当たった壁に十字架 にかけられたキリスト 像とそれを見つめる聖母マリア の姿が浮かび上がり、裏面の図柄の刻みと相まって聖像を映し出す仕掛けになっている。
國學院大學 博物館(東京)と2014年度に研究協力協定を結んでいる[9] 。
利用案内
開館時間: 月 - 土曜・祝日の10:00 - 18:00(入館は17:30まで)
休館日: 日曜日、夏季休暇(8月10日 - 8月16日)、キリスト降誕祭 (12月25日)、年末・年始(12月28日 - 1月5日)
入館料: 無料
ランキンチャペル
旧ランキンチャペル
1954年献堂。建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 晩年の作品。2階建て。老朽化のため2006年から改築工事が行われ、2008年に完了。ちなみに改築工事の際に定礎 の奥に聖書や資料が埋められていたのが発見されており、「バプテストの祈りと献金に支えられて」と書かれていた。筆跡から誰が書いたかは分かっていない。また、歌手のMISIA は在学中にゴスペル を聞きによく通っていたという。大学祭ではミュージシャンのライブ や講演会などのイベント会場となる場所でもある。
子どもプラザ
「地域社会が一緒になって子育てをし人間関係を築き、大学の持つ学問的な知識をもとに子育ての相談にも応じる」という趣旨のもとに設立された地域コミュニティーの場。「日本一子育てしやすいまち」を目指す福岡市の助成を得て開所。子育ての分野で、行政と私立大学が提携している全国で唯一の施設。
コミュニティーセンター
学外連携施設や同窓会事務室などとともに、約200人収容のホールや会議室がある。市民を対象にした映画の上映会やコンサートなどを催す施設。西南学院が目指す「開かれた大学」の一環として設立された施設。
言語教育センター
言語教育システム「CALL (Computer-Assisted Language Learning) 教室」や、各種メディアライブラリを完備。外国語教育に特化した教員を配置し、インターネット、ビデオ、オーディオなどの学習メディアを使って英語、フランス語、中国語、韓国語などの外国語を学生が自ら学ぶ施設。
大学祭
西南学院大学では学園祭に独自の名称を付けず、単に「大学祭」と呼んでいる(ただしテーマは別につけている)。なお、正式には「西南学院大学第59回大学祭」のように大学名と大学祭の間に回数が入る。毎年11月上旬〜中旬頃に4日間連続で行われる。期間中、様々なゲストが来学し初日の仮装パレードでは多くの在学生が福岡の街を練り歩き、コンサートや講演会、九州産業大学 プロレス研究部による興行、30回以上の歴史を誇るミスキャンパスガールコンテストなどが開催される。模擬店の数は西日本で一番多いといわれる。大学祭準備期間中は、1号館前で大学祭実行委員が実行委員同士で声を掛け合う「声だし」が恒例行事となっていたが、現在では行われていない。
スポーツ
サッカー部 からはJリーグ選手、硬式野球部 からはプロ野球選手をそれぞれ輩出したことがある。他にもラクロス 部などスポーツは盛んであり、準硬式野球 部が過去に全国大会に出場したことがある。また、ユニバーシアード の選手も在籍している。西日本最大のグラウンド「田尻グリーンフィールド」も完備しており、スポーツ推薦 は無いがスポーツは盛んである。
田尻グリーンフィールド
福岡市西区 大字 田尻 にある。2009年11月完成。環境保全ゾーンを兼ね備えた西日本最大の大学総合グラウンド。西ゾーン(陸上競技場、ラグビー場、アメリカンフットボール場、サッカー場、テニスコート)と東ゾーン(硬式及び準硬式野球場、ソフトボール場兼多目的広場、アーチェリー場、自動車部練習場)に分かれる。
部活動・サークル
最古の学生スピーチコンテスト「ギャロット杯」や「ドージャー杯」などを主催する学術文化会E.S.S.(英会話サークル)をはじめ、MISIA 、TRF のバックダンサー、現在は倖田來未 のバックダンサーをしているダンサーなどが所属していたダンスサークル「スリックベース」や、脚本家の中園健司 が所属していた演劇部、財津和夫 などが所属していた軽音楽部、フリーアナウンサー池田史 、大分放送 アナウンサー安元佳奈 らが所属していた西南アナウンスメント研究会など、表現系文科系サークルなどを中心に盛んな活動が行われている。万乗大智 は漫画研究会(廃部)に所属していた。
1919年に創部した「西南学院グリークラブ 」は学内の最古級・文化系サークル。九州最古の男声合唱団。1980年代には120人以上の部員が在籍し、全日本合唱コンクールで何度も上位入賞していた。しかし2000年ごろから部員は減少、1952年度から毎年開催していた定期演奏会は2005年度が最後となっている。このためOBが支援を本格化し、4月の新入生勧誘などをOBが行っている。定期演奏会ではないが2010年12月にはリバイバルコンサートを行った。
大学関係者組織
同窓会の支部は関東・関西・福岡・熊本や海外に計71支部。女性の卒業生だけの支部や業種別の支部もある。
産学連携協力
西日本シティ銀行 と共に「地域振興」「相互ノウハウの活用」及び「学生や留学生の人材育成」を軸とした産学連携 ・協力の促進により、地元企業と西南学院大学とのネットワーク拡大や相互のノウハウの地元への還元など、地場産業の発展と学術の振興に寄与することを目的に「実践仕事塾」を開催する。
福岡県中小企業家同友会
同会と共同で「同友会大学」を開講している。また、商学部の教授らが、同会の会員を中心とした企業経営者を対象に「マーケティング論」や「国際経営論」「情報ネットワーク論」などの講義を行っている。
西日本新聞社 の記者を講師として迎える講座「新・新聞学」を開講している。3、4年生を中心に約60人が受講している。情報洪水の中でいかに正確で役立つ情報を取捨選択するか、メディアがもたらす情報を読み解く力を身に付ける、裁判員制度と人権、キャンペーン報道、デジタル発信といった多彩なテーマに関して、第一線のデスクや現場記者が講義を行っている。
他大学との協定
国際協定締結大学
国内協定締結大学
佐藤桂一「聖書咲くキャンパス 福岡市・西南大 由来100種「植物園」」『西日本新聞』2015年6月20日付夕刊1面
西南学院百年史編纂準備委員会『西南学院史紀要』学校法人西南学院、2010年