西京区
京都府京都市の行政区 ウィキペディアから
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西京区(にしきょうく[注釈 1])は、京都市を構成する11区の1つ。山科区と同時に誕生した、京都市で最も新しい区の1つである。洛西ニュータウン・桂坂ニュータウンなどの住宅街が中部にある。
主な河川として桂川と小畑川がある。
区を構成する町については京都市西京区の町名参照。
西京区に相当する地域の人口の推移 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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総務省統計局 国勢調査より |
古来より現在の西京区や右京区を含む地域には、渡来系の一族である秦氏が居住していた。この秦氏の氏寺的な存在が右京区の広隆寺で、祭祀が行われたのが松尾大社であると言われている。西京区の山田地区には秦河勝末孫の東家の墓が京都市街を見守るように立っている。秦氏は5世紀ごろに桂川の治水工事を行っていたとの説があるが、西京区の桂川沿岸では洪水がたびたび起こったという[1]。
この時代の行政区画としては桂村・川岡村・松尾村は葛野郡、大原野村・大枝村は乙訓郡と分かれて存在していた。
京都に政権中枢があった室町時代には、将軍足利義満の時代に、将軍直属の軍勢として西ヶ岡土豪衆を中心に「奉公衆」が結成された。彼らは明徳の乱や応仁の乱など市街地が舞台となった合戦で活躍し、応仁の乱では細川勝元の指示で大内政弘を攻撃するなど、室町政界に参与した。
江戸時代には山陰街道が、現在の西京区域を横断するように敷かれ、沿道の桂、樫原、大枝は宿場町として栄えた。また山陰街道脇に八条宮(桂宮)初代の八条宮智仁親王が桂別業を造営した(後の桂離宮)。また、桂は保津川水運の発着所ともなった。
右京区から分区した名残で、西京区の担当集配郵便局は、洛西地区(洛西郵便局)を除いて右京区内にある右京郵便局または京都西郵便局の管轄となっている。
主な商業施設として、TauT阪急洛西口、ミュー阪急桂、ラクセーヌ(核店舗は髙島屋洛西店・ニトリ洛西ラクセーヌ店)がある。
私立京都経済短期大学
そのほか、前述の総研大京都桂坂キャンパスでもある大学共同利用機関の人間文化研究機構国際日本文化研究センターが立地する。
なお、大原野出灰町および大原野外畑町の児童は大阪府高槻市への委託により、両地区からの通学に便利な高槻市立樫田小学校および高槻市立第九中学校に通学する。
京都市の行政区で唯一、市営地下鉄が通っていない。
阪急電鉄(阪急)
西日本旅客鉄道(JR西日本)
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