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日本の陸軍軍医 ウィキペディアから
石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、弘化2年2月11日(1845年3月18日) - 昭和16年(1941年)4月26日)は、明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。茶人。草創期の軍医制度を確立した。爵位は子爵。
石黒忠悳 | |
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生年月日 | 1845年3月18日 |
出生地 |
日本、陸奥国伊達郡梁川 (現福島県伊達市) |
没年月日 | 1941年4月26日(96歳没) |
前職 | 軍医総監 |
称号 |
従一位 旭日桐花大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 大満洲国建国功労章 大礼記念章(昭和) 正二位 赤十字第一等名誉章 ポルスキー勲章グランクロア 従二位 第一回国勢調査記念章 紺綬褒章 大正三年乃至九年戦役従軍記章 一等文虎勲章 大礼記念章(大正) 韓国併合記念章 正三位 李花大勲章 赤十字第三等記章 勲一等旭日大綬章 明治三十七八年従軍記章 従三位 神聖スタニスラス星章付第二等勲章 正四位 明治二十七八年従軍記章 功三級金鵄勲章 旭日重光章 第二等第二双竜宝星 勲二等瑞宝章 従四位 大日本帝国憲法発布記念章 正五位 勲三等旭日中綬章 従五位 正六位 従六位 正七位 |
子女 | 長男・石黒忠篤 |
在任期間 | 1902年1月25日[1] - 1920年2月27日[2] |
幼名は庸太郎(つねたろう)。父・平野順作良忠は幕府代官の手代になり、奥州(福島県)の陣屋に務めているときに庸太郎が生まれた。1856年2月に元服して忠恕(ただのり)を名乗り、平野庸太郎忠恕と称したが、やがて忠徳、後に忠悳と改めた(悳は徳の古字)[5]。父母は早く亡くなり、天涯孤独となる。16歳のとき、父の姉が嫁いでいた越後国三島郡片貝村(今の新潟県小千谷市)の石黒家の養子になった。私塾を開き、松代の佐久間象山に会って感銘を受けた。中山道の追分宿では志士の大島誠夫と会い、親交を結んだ。江戸へ出て、幕府医学所を卒業後、医学所句読師となる。
幕府が倒れ医学所も解散し一時帰郷するが、再び東京へ戻り、医学所の後身である大学東校(東京大学医学部の前身)に勤める。1871年、松本良順の勧めで兵部省に入り[6]、草創期の軍医となった。
佐賀の乱、西南戦争に従軍。明治二十年(1887年)9月に、ドイツのバーデン国都カールスルーエで開催された第四回赤十字国際会議に政府委員として出席し、北里柴三郎、森林太郎、尾澤主一らと出逢う[7]。1890年、陸軍軍医総監に昇進するとともに、陸軍軍医の人事権をにぎるトップの陸軍省医務局長(陸軍軍医・序列第一位)に就任した。日清戦争のとき、医務局長として大本営陸軍部の野戦衛生長官をつとめた。日清戦争では脚気惨害の責任が指摘されている(詳細は、日清戦争での陸軍脚気大流行を参照のこと)。戦後、台湾での脚気惨害を知る高島鞆之助が陸軍大臣に就任すると、軍医制度を確立した功労者でありながら、1897年に医務局長を辞任した(事実上の引責辞任)[8]。
長州閥のトップ山縣有朋や薩摩閥のトップ大山巌、また児玉源太郎などと懇意で、その後も陸軍軍医部(後年、陸軍衛生部に改称)に隠然たる影響力をもった。1901年4月17日、予備役に編入[9]。1907年4月1日、後備役[10]、1912年退官。
茶人としても知られ、况斎・况翁の号がある。1898年(明治31年)、松浦詮(心月庵)が在京の華族、知名士等と設立した輪番茶事グループ「和敬会」の会員となる。会員は、青地幾次郎(湛海)・伊藤雋吉(宗幽)・伊東祐麿(玄遠)・岩見鑑造(葎叟)・岡崎惟素(淵冲)・金澤三右衛門(蒼夫)・戸塚文海(市隠)・東胤城(素雲)・東久世通禧(古帆)・久松勝成(忍叟)・松浦恒(無塵)・三田葆光(櫨園)・三井高弘(松籟)・安田善次郎(松翁)の以上16人(後に益田孝(鈍翁)、高橋義雄(箒庵)が入会)で、世に「十六羅漢」と呼ばれた。
後に貴族院勅選議員、日本赤十字社の第4代社長などをつとめた。1895年に男爵、1920年に子爵となった。1941年、老衰のため死去[11]。没後に石黒家は襲爵手続を行わず、同年10月に華族の栄典を喪失した[12]。
長男の石黒忠篤は東京帝国大学卒業後、農商務省に入り、穂積陳重の次女・光子と結婚、太平洋戦争終戦時の農商大臣をつとめた。
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