海部郡(かいふぐん)は、徳島県(阿波国)の郡である。
人口16,326人、面積525.03km²、人口密度31.1人/km²。(2024年9月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記3町のほか、那賀郡那賀町の一部(川俣、深森、古屋、小計、大戸、平谷、大殿、白石、木頭折宇、木頭北川より南西)にあたる。
上灘・下灘
江戸時代から見える海部郡の広域通称名。現在の美波町・牟岐町にわたる郡北東部一帯を上灘(かみなだ)と称し、現海陽町の一帯を下灘(しもなだ)という。
平安時代末期に那賀郡の南部が分立した。
原始・古代
- 海部郡は那賀郡から分離・独立して成立したが、阿波志によると海部郡には「和名抄」に記されてある那賀郡海部郷・和射郷が含まれていたという説がある。
- 阿波国郡史によると、阿南市福井町椿地にある寿永四年(元暦二年、1185年)正月二八日の線刻弥勒菩薩坐像銘に「阿波国海部郡福井里大谷」とあり、海部郡は同年以前に成立していたものと思われる。
中世
- 宍咋庄、福井庄、海部郷、浅河郷、牟岐郷、日和佐保などがその頃には成立する。
近世以降の沿革
- 阿部浦、伊座利浦、東由岐浦、西由岐浦、志和岐浦、木岐浦、木岐村、田井村、北河内村、西河内村、赤松村、山河内村、奥河内村、日和佐浦、恵比須浜村、橘村、辺川村、河内村、中村、牟岐浦、内妻村、浅川村、浅川浦、川長村、灘村、四方原村、大里村、鞆浦、奥浦、高園村、野江村、芝村、熟田村、吉野村、多良村、富田村、吉田村、大井村、中山村、櫛川村、相川村、若松村、神野村、平井村、小川村、宍喰浦、久保村、日比原村、尾崎村、芥附村、広岡村、角坂村、塩深村、船津村、久尾村、小谷村、平谷村、古屋村、海川村、南宇村、助村、折宇村、出原村、北川村、和無田村、西宇村
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)10月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。郡役所の所在地が日和佐村となる。(15村)
- 阿部村 ← 阿部浦、伊座利浦(現・美波町)
- 三岐田村 ← 西由岐浦、志和岐浦、西由岐村[2]、東由岐浦、木岐浦、木岐村、田井村(現・美波町)
- 日和佐村 ← 日和佐浦[3]、奥河内村、恵比須浜村[4](現・美波町)
- 赤河内村 ← 北河内村、西河内村、山河内村、赤松村(現・美波町)
- 牟岐村 ← 河内村、辺川村、橘村、牟岐浦、灘村、川長村、中村、内妻村(現・牟岐町)
- 浅川村 ← 浅川村、浅川浦(現・海陽町)
- 川東村 ← 大里村、四方原村、多良村、吉野村、熟田村(現・海陽町)
- 川西村 ← 高園村、野江村、芝村、中山村、櫛川村、吉田村、富田村、大井村(現・海陽町)
- 鞆奥村 ← 鞆浦、奥浦(現・海陽町)
- 川上村 ← 平井村、小川村、神野村、若松村、相川村(現・海陽町)
- 宍喰村 ← 宍喰浦、久保村、日比原村、尾崎村、久尾村、船津村、塩深村、角坂村、芥附村、広岡村、小谷村(現・海陽町)
- 下木頭村 ← 古屋村、小計村[5]、大戸村[5]、深森村[5]、川俣村[5](現・那賀郡那賀町)
- 中木頭村 ← 成瀬村[6]、符殿村[6]、丈ヶ谷村[6]、御所谷村[6]、大殿村[6]、平谷村、白石村[6](現・那賀郡那賀町)
- 上木頭村 ← 海川村、出原村、和無田村、助村(現・那賀郡那賀町)
- 奥木頭村 ← 南宇村、折宇村、北川村、西宇村(現・那賀郡那賀町)
- 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治40年(1907年)1月1日 - 日和佐村が町制施行して日和佐町となる。(1町14村)
- 明治44年(1911年)10月1日 - 上木頭村が廃止され、一部(和無田・出原)が奥木頭村に編入、残部(海川・助)に改めて上木頭村が発足。
- 大正4年(1915年)11月10日 - 牟岐村が町制施行して牟岐町となる。(2町13村)
- 大正11年(1922年)4月17日 - 三岐田村が町制施行して三岐田町となる。(3町12村)
- 大正12年(1923年)
- 1月1日 - 鞆奥村が町制施行して鞆奥町となる。(4町11村)
- 4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正13年(1924年)8月10日 - 宍喰村が町制施行して宍喰町となる。(5町10村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和4年(1929年)7月1日 - 下木頭村が那賀郡宮浜村に編入。(5町9村)
- 昭和8年(1933年)1月1日 - 奥木頭村が改称して木頭村となる。
- 昭和23年(1948年)6月1日 - 赤河内村の一部(北河内字田井)が日和佐町に編入。
- 昭和26年(1951年)1月1日 - 中木頭村・上木頭村・木頭村の所属郡が那賀郡に変更。(5町6村)
- 昭和30年(1955年)
- 2月11日 - 三岐田町が阿部村を編入のうえ改称して由岐町となる。(5町5村)
- 3月31日(6町1村)
- 鞆奥町・川西村が合併して海部町が発足。
- 浅川村・川東村・川上村が合併して海南町が発足。
- 昭和31年(1956年)9月30日 - 赤河内村が日和佐町を編入のうえ町制施行して赤河内町となる。赤河内町が即日改称して日和佐町となる。(6町)
- 平成18年(2006年)3月31日(3町)
- 海南町・海部町・宍喰町が合併して海陽町が発足。
- 由岐町・日和佐町が合併して美波町が発足。
変遷表
さらに見る 明治22年以前, 明治22年10月1日 町村制施行 ...
明治22年以前 |
明治22年 10月1日 町村制施行 |
明治22年 - 大正15年 |
昭和元年 - 昭和19年 |
昭和20年 - 昭和29年 |
昭和30年 - 昭和64年 |
平成元年 - 現在 |
現在 |
西由岐浦 |
三岐田村 |
大正11年4月17日 町制 三岐田町 |
三岐田町 |
三岐田町 |
昭和30年2月11日 改称 由岐町 |
平成18年3月31日 美波町 |
美波町 |
志和岐村 |
西由岐村 |
東由岐浦 |
木岐浦 |
木岐村 |
田井村 |
阿部浦 |
阿部村 |
阿部村 |
阿部村 |
阿部村 |
昭和30年2月11日 三岐田町に編入 即日改称 由岐町 |
伊座利浦 |
日和佐浦 |
日和佐村 |
明治40年1月1日 町制 日和佐町 |
日和佐町 |
日和佐町 |
昭和31年4月30日 赤河内村に編入 即日町制・改称 日和佐町 |
奥河内村 |
恵比須浜村 |
北河内村 |
字田井 |
赤河内村 |
赤河内村 |
赤河内村 |
昭和23年6月1日 日和佐町に編入 |
その他 |
赤河内村 |
昭和31年4月30日 町制・改称 日和佐町 |
西河内村 |
山河内村 |
赤松村 |
河内村 |
牟岐村 |
大正4年11月10日 町制 牟岐町 |
牟岐町 |
牟岐町 |
牟岐町 |
牟岐町 |
牟岐町 |
辺川村 |
橘村 |
牟岐浦 |
灘村 |
川長村 |
中村 |
内妻村 |
浅川村 |
浅川村 |
浅川村 |
浅川村 |
浅川村 |
昭和30年3月31日 海南町 |
平成18年3月31日 海陽町 |
海陽町 |
浅川浦 |
大里村 |
川東村 |
川東村 |
川東村 |
川東村 |
四方原村 |
多楽村 |
吉野村 |
熟田村 |
平井村 |
川上村 |
川上村 |
川上村 |
川上村 |
小川村 |
神野村 |
若松村 |
相川村 |
高園村 |
川西村 |
川西村 |
川西村 |
川西村 |
昭和30年3月31日 海部町 |
野江村 |
芝村 |
中山村 |
櫛川村 |
吉田村 |
富田村 |
多井村 |
鞆浦 |
鞆奥村 |
大正12年1月1日 町制 鞆奥町 |
鞆奥町 |
鞆奥町 |
奥浦 |
宍喰浦 |
宍喰村 |
大正13年4月10日 町制 宍喰町 |
宍喰町 |
宍喰町 |
宍喰町 |
久保村 |
日比原村 |
尾崎村 |
久尾村 |
船津村 |
塩深村 |
角坂村 |
芥附村 |
広岡村 |
小谷村 |
古屋村 |
下木頭村 |
下木頭村 |
昭和4年7月1日 那賀郡宮浜村に編入 |
那賀郡宮浜村 |
昭和31年9月30日 那賀郡上那賀村 |
昭和32年1月1日 町制 那賀郡上那賀町 |
那賀郡 那賀町 |
那賀郡 那賀町 |
小計村 |
大戸村 |
深森村 |
川俣村 |
成瀬村 |
中木頭村 |
中木頭村 |
中木頭村 |
昭和26年1月1日 所属変更・改称 那賀郡平谷村 |
府殿村 |
丈ヶ谷村 |
御所谷村 |
大殿村 |
平谷村 |
白石村 |
海川村 |
上木頭村 |
上木頭村 |
上木頭村 |
昭和26年1月1日 所属変更 那賀郡上木頭村 |
那賀郡上木頭村 |
昭和32年1月1日 那賀郡上那賀村に編入 即日町制 那賀郡上那賀町 |
助村 |
那賀郡木頭村 |
出原村 |
明治44年10月1日 奥木頭村に編入 |
昭和8年1月1日 改称 木頭村 |
昭和26年1月1日 所属変更 那賀郡木頭村 |
那賀郡木頭村 |
和無田村 |
南宇村 |
奥木頭村 |
奥木頭村 |
折宇村 |
北川村 |
西宇村 |
閉じる
- 高知県海部郡長
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
1 | | 明治12年(1879年)1月4日 | | |
| | | 明治13年(1880年)3月1日 | 徳島県に移管 |
閉じる
- 徳島県海部郡長
さらに見る 代, 氏名 ...
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
1 | | 明治13年(1880年)3月2日 | | |
| 浜田盛禎 | 明治35年(1902年)10月1日[7] | 明治43年(1910年)2月13日 | |
| | | 大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
閉じる
「旧高旧領取調帳」では北河内村・西河内村・奥河内村・山河内村に含む。本項では村数に数えない。
先代 那賀郡
|
行政区の変遷 (不明) - |
次代 (現存) |