東郷 青児(とうごう せいじ、1897年〈明治30年〉4月28日 - 1978年〈昭和53年〉4月25日)は、日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた[1]。
独特のデフォルメを施され、柔らかな曲線と色調で描かれた女性像などが有名だが、通俗的過ぎるとの見方もある[誰によって?]。後期には版画や彫刻も手掛けた。雑貨のデザインや本の装釘も数多い。
なお、彼の画風は弟子にあたる安食一雄に受け継がれている[独自研究?]。ダンディで社交的であったことから女性スキャンダルも少なくなく、愛人のひとり、作家の宇野千代の『色ざんげ』は、東郷をモデルにしている。
- 父・勘造 - 上天草市維和島出身。石本鉄造の五男[15]。軍人[16]。東郷家の入夫[17]。
- 母・はる - 薩摩藩の航海術指南・河野一郎右衛門の娘[17][15]。東郷実文の妻となり(実文は、薩摩藩第一次英国留学生ののち戊辰戦争で没した東郷愛之進の弟と言われる)、実文との間に三女を儲けるも実文が死去、私生児として光江と鉄春(青児)を生み、勘造を婿養子としたのち、鉄春を摘出子として、光江を養子として入籍[15]。
- 兄弟 - 異父姉に、今、亭、若。姉に光江、弟に真治がいる。青木元一郎という実兄がいたとも言われる[16]。
- 妻・永野明代(1899年生) - 永野家は西宮に田畑や山林を多くもつ名代の資産家で、父親の寿造は東京帝国大学医学部で学び、大阪高麗橋で永野眼科医院を開業[18][19]。梅華女学校出身。1920年に青児と結婚し、身重で渡仏し、パリで長男・志馬を儲ける。窮乏生活から青児を残し子とともに1年半で帰国し、ダンサーやバーの女給をして家計を支えた[18]。5年の別居を経て青児が帰国、離婚協議中に青児が中村修子と重婚、西崎盈子と心中未遂、宇野千代と同棲。1933年に離婚し、その後小森某と再婚した[20]。弟の永野芳光も姉夫婦とパリに滞在し、画家となる。
- 妻・中村修子(1909年生) - 帝国総合電球取締役などを務めた実業家・中村幹治の娘[21]。先妻明代と婚姻のまま重婚。新居で青児が西崎盈子と心中未遂を起こしたため、修子は実家に連れ戻された。その後外国人医師と結婚[22]。
- 妻・西崎盈子(1909-1980) - 海軍少将・西崎勝之の娘[23]。お茶の水高等女学校から日本女子大の家政科出身[24]。父の西崎勝之は海軍兵学校21期出身で、海軍の派遣学生として東京帝大で物理を専攻し、米国にも留学したエリート軍人で、盈子の心中未遂は少将令嬢の情死事件として新聞で騒がれた[24]。フランスから帰国した青児と恋愛関係となり、一度は親の反対で別れたが、隠れて逢瀬を重ね、青児と修子の新居で心中事件を起こす[24]。事件後、青児と宇野千代の同棲を知り、北条千吉(長唄の杵屋千代の孫)と1931年に結婚し、一女を儲けたが、青児と再会し同棲。娘を北条に取られ、1936年に北条と離婚成立、1939年に青児と入籍し、翌年長女・たまみを儲ける。たまみによると、その後も青児の浮気は続き、晩年は夫婦の対話もなくなっていたという。[22][20]
- 内妻・宇野千代 - 心中事件の1か月後の1929年から1933年まで同棲。新居としてモダンな洋館を現在の世田谷区に新築して暮らしていたが、青児と盈子の関係が復活したことを知り別れる。[22][20]
- 長男・東郷志馬 - 日本スポーツマンクラブ代表取締役[20]。少年期は青児と宇野千代と同居。1941年に海軍に入り、復員後は実母の明代と暮らした。[20]
- 長女・東郷たまみ
- 『半未亡人』新太陽社 1948年
- 『ロマンス・シート』出版東京 1952年
- 『恋愛散歩』鱒書房 1955年
- 『いろざんげ』河出書房 1956年
- 『新男女百景』東西文明社 1958年
- 『私の奇妙な友人たち』山王書房 1967年
- 『東郷青児―他言無用』日本図書センター 1999年(73年刊「他言無用」の改題)
テレビ東京「美の巨人たち」2004年4月10日放送
野崎泉編『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』p42、また、「喙(くちばし)が青い」という意味も込められているという
野崎泉編 『東郷青児 蒼の詩 永遠の乙女たち』 年譜
『薩摩問わず語り』下巻、五代夏夫、葦書房、 1986年、p20-21
三宅正太郎『パリ留学時代―美術家の青春遍歴』(雪華社 1966年)p58
東郷青児、福田蘭童らも留置『東京朝日新聞』昭和9年3月17日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p614-615 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
どんちょう飾る裸婦『朝日新聞』昭和26年7月12日3面
『薩摩問わず語り』下巻、五代夏夫、葦書房、 1986年、p17
『新・人国記』第6巻、朝日新聞社, 1964、p117-118
『薩摩問わず語り』下巻、五代夏夫、 1986年、p25-26
『完本・昭和史のおんな』澤地久枝、文藝春秋, 2003年、p14
中村幹治『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
西崎勝之『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
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