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『広島・昭和20年8月6日』(ひろしま しょうわにじゅうねんはちがつむいか)は、2005年8月29日にTBS系列で放送されたドラマ。広島の産業奨励館近くに住んでいた、とある4人の姉弟の昭和20年7月16日から8月6日までの20日間を描いた物語。平均視聴率は、関東地区では19.1%だったが、広島地区(RCC中国放送)では28%を記録した。2006年9月29日にも「再編集版」が放送された。TBS開局50周年記念企画「涙そうそうプロジェクト」のドラマ化第一弾番組でもある。
2006年日本民間放送連盟・民放連賞・番組部門・最優秀作品。
2005年夏、広島平和記念公園で、ある原爆語り部の老紳士が修学旅行の高校生達に、“教科書には載っていない60年前の戦争の事”を語り始める。それは原爆ドームの近くに住んでいた3姉妹の話だった。
60年前の広島。矢島家の長女・志のぶは死んだ親から継いだ天神町の旅館を営んでいた。彼女の家族は小学校の代用教員をしている次女・信子、女学生の三女・真希、長男で末っ子の年明の4人家族。年明は捨て犬を拾い姉達に飼う事を許可され、その犬は5番目の家族だということでゴローと名付けられた。そんな中、年明が少年飛行兵に志願する。信子は反対するが決まった事なので止められなかった。翌日、年明は出征し去っていく。その後、志のぶに3年前出征した恋人の重松から手紙が届く。信子は建物疎開で毎日働いている教え子たちを不憫に思い、無断で海岸へ連れ出してしまうが軍法違反の罪で逮捕されてしまった。志のぶは知り合いの将校に頼みなんとか信子を釈放してもらう。真希は勤労奉仕先の工場で教官から差別されている朝鮮人の美花を連れ逃げ出す。美花も真希もバレリーナになる夢を持っていた。信子がかねてからの恋人で産業奨励館に勤務する大原からのプロポーズを受け、結婚が決まる。志のぶが説得し、真希たちは再び工場に戻れるようになった。そんな折、志のぶの元へまた重松から手紙が届く。8月6日の午前9時に戻ると伝えるそれは同時に結婚を申し込むものでもあり、彼女は涙して喜ぶ。
8月6日朝、遂に重松に会える日がきた。天気も良く、志のぶは良い気分だ。信子は妊娠したことを伝えに大原の勤める産業奨励館へ、真希は志のぶが作ってくれたバレエシューズを大切そうに抱えて2人揃って元気よく出かけた。3人はようやくそれぞれの幸せをつかみ始めたかに思えたが、残酷なことに運命の時は確実に迫りつつあった。そして午前8時15分。広島に閃光が走った。
汽車の中で一命を取り留めた重松は、原爆がもたらした黒い雨が降りしきる中、変わり果てた広島を歩き回った。がれきの中から自分が志のぶに手渡した懐中時計を見つけたその瞬間、重松は志のぶがあとかたもなく消え去ってしまったことを悟り、ただただ泣き叫ぶだけだった。信子は産業奨励館の瓦礫の下敷きになって死亡した。真希は原爆の熱で全身が真っ黒に焦げ、眼もつぶれて死亡した。原爆が3人の夢を一瞬にして奪ってしまったのだ。
それから60年。出征したがために矢島家でただ一人生き残り原爆語り部となった年明は、残酷極まりない原爆によって一瞬のうちに命を落とした3人の姉のことを偲びながらこう話した。「平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には『安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから』という戦没者への誓いの言葉があるが、私たちは本当にこれを守れているだろうか。いかなる戦争も嫌だとはっきり言うこと、それが私たちにできるたった一つのことじゃないか……」と。
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