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金沢市の町 ウィキペディアから
広坂の地名の由来としては、兼六園の南側にある坂道の名前からとされている。加賀藩の時代には現在の広坂周辺には武家屋敷が多く存在していた。当時、この坂道がかなり幅の広いもので次第に「広坂」と呼ばれるようになったとされる。現在は出羽町交差点(石川県立美術館前)から広坂交差点(石浦神社前)が坂の名前としての広坂である。
1871年(明治4年)に広坂通(ひろさかどおり)が町名として採用されて、1889年に金沢市が市制施行されてからは金沢市の町名となる。1873年(明治6年)に石川県庁舎が石川郡本吉町(旧美川町)から移転し、現在の金沢市役所が1883年(明治16年)に当時の西町から移転してきた。また、1874年(明治7年)に石川県集成学校(現在の金沢大学の前身)が広坂通に開校したことから、明治時代からは広坂は官庁街および文教地区の体裁を持つようになった。
戦後、住居表示制度の導入により、広坂通は1964年(昭和39年)に本多町三丁目(現在の石浦神社付近)、1966年(昭和41年)に広坂一丁目・二丁目、香林坊一丁目に分割された。
なお、2003年(平成15年)10月1日に、金沢市の旧町名復活運動により広坂一丁目の一部が柿木畠(かきのきばたけ)として復活している。
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
広坂1丁目 | 1966年(昭和41年)2月1日[4] | 里見町、上柿木畠、下柿木畠、広坂通の各一部 |
広坂2丁目 | 広坂通、仙石町、丸ノ内の各一部 | |
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
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