天璋院
日本の幕末・明治時代の女性、征夷大将軍・徳川家定の正室 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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天璋院(てんしょういん) / 篤姫(あつひめ、天保6年12月19日〈1836年2月5日〉 - 明治16年〈1883年〉11月20日)は、江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門今和泉島津家に生まれ、島津本家の養女となり、更に五摂家筆頭近衛家の養女として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍・徳川家定御台所となった人物。
概要 てんしょういん 天璋院, 生誕 ...
てんしょういん 天璋院 | |
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天璋院 | |
生誕 |
天保6年12月19日(1836年2月5日) 薩摩国鹿児島城下上竜尾町 (現在の鹿児島県鹿児島市大竜町)[1] |
死没 |
明治16年(1883年)11月20日(満47歳没) 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村 (現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷) |
死因 | 脳溢血 |
墓地 | 寛永寺(東京都台東区) |
別名 |
源 篤子 藤原 敬子 篤姫 天璋院殿従三位敬順貞静大姉(戒名) |
配偶者 | 徳川家定 |
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実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉(いまいずみ)領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫である。
幼名は一(いち)、その後に、市[2]。本家当主で従兄・島津斉彬の養女になり本姓と諱は源 篤子(みなもと の あつこ)に、近衛忠煕の養女となった際には藤原 敬子(ふじわら の すみこ)と名を改めた(この際に篤の名は君号となり、篤君〈あつぎみ〉となった)。