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日本の秋田県秋田市の地区名 ウィキペディアから
外旭川(そとあさひかわ)は、秋田県秋田市の大字。住居表示未実施地区。また、住居表示実施済み地区である外旭川八幡田(そとあさひかわはちまんでん)と外旭川八柳(そとあさひかわやつやなぎ)を含めた広域地域名としても使われる。郵便番号は大字外旭川010-0802、外旭川八幡田010-0804、外旭川八柳010-0803。大字外旭川と各町を合わせた人口は12,334人(2020年10月1日現在、国勢調査による[1])。
本項では、1954年(昭和29年)10月1日に秋田市へ編入された南秋田郡外旭川村、及び秋田市編入時に外旭川として統合され廃止された大字である神田(かんだ)、笹岡(ささおか)、水口(みのくち)、八柳(やつやなぎ)についても併せて解説する。
秋田市の北部に位置する。東部から北部にかけて丘陵地となっており、中央は広大な農地に、南部は新興住宅地になっている。南端付近をJR東日本奥羽本線が通り、秋田貨物駅が設置されている。北東部を秋田自動車道が通過している。
北は上新城中(字南波掛)、上新城道川(字長沼、字出崎、字二ツ沼、字鳥木沢、字大沢)、東は濁川(字西沢、字腰巻沢、字鎌ノ沢、字井戸尻、字後田、字堀尾田)、南は泉(字五庵山、字三嶽根)、泉三嶽根、泉釜ノ町、泉菅野二丁目・一丁目、泉(字登木)、西は寺内(字イサノ、字三千刈)、寺内高野、将軍野南四丁目・五丁目、将軍野向山、将軍野桂町、将軍野青山町、寺内(字通穴)、飯島(字田尻堰越)、将軍野堰越、飯島(字大袋、字南場掛、字東上谷地、字東中谷地、字船堰外谷地、字潟端)、下新城岩城(字糠塚)に接する。
旧大字神田に6、旧大字笹岡に10、旧大字水口に5、旧大字八柳に19、計40の小字が設置されていた[3]が、字向山は住居表示実施に伴う区画整理で全域が他地区へ編入され消滅した[4]。
農業地帯であり、区画整理された水田が広範囲に広がっている。かつては八橋油田の一部である油井があり、農地の中に櫓が多数立つ光景が見られた。現在ではほとんどが廃止され面影もないが、数基の石油掘削ユニットが設置・稼働し、当地域の景観の特徴となっている。
南西部の字待合、字四百刈に秋田市公設地方卸売市場(水産及び青果)及び秋田市中央卸売市場(花卉)で構成される秋田市卸売市場があり、秋田市で流通する畜産を除く生鮮食料品等の取引を一手に担っている。
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
外旭川字家ノ前 | 40世帯 | 120人 |
外旭川字大堤 | 20世帯 | 51人 |
外旭川字大畑 | 146世帯 | 307人 |
外旭川字大谷地 | 164世帯 | 401人 |
外旭川字梶ノ目 | 421世帯 | 1,016人 |
外旭川字潟堰下 | 18世帯 | 40人 |
外旭川字蒲沼 外旭川字土手下 |
8世帯 | 19人 |
外旭川字神田 | 441世帯 | 1,150人 |
外旭川字小谷地 | 78世帯 | 164人 |
外旭川字在家 | 39世帯 | 84人 |
外旭川字三後田 | 143世帯 | 576人 |
外旭川字三千刈 | 375世帯 | 729人 |
外旭川字神宮田 | 21世帯 | 46人 |
外旭川字田中 | 39世帯 | 81人 |
外旭川字朝鮮 | 22世帯 | 66人 |
外旭川字堂ノ前 | 106世帯 | 241人 |
外旭川字鳥谷場 | 333世帯 | 723人 |
外旭川字中谷地 | 8世帯 | 20人 |
外旭川字野村 | 199世帯 | 360人 |
外旭川字八幡田 | 436世帯 | 974人 |
外旭川字前谷地 | 218世帯 | 522人 |
外旭川字待合 | 34世帯 | 74人 |
外旭川字松崎 | 57世帯 | 123人 |
外旭川字水口 | 230世帯 | 576人 |
外旭川字南沢 | 24世帯 | 58人 |
外旭川字山崎 | 166世帯 | 418人 |
外旭川字四百刈 | 24世帯 | 48人 |
計 | 3,804世帯 | 8,981人 |
外旭川は、1889年(明治22年)の町村制施行時に、神田村(かんだむら)・笹岡村(ささおかむら)・水口村(みのくちむら)・八柳村(やつやなぎむら)の4村をもって発足した外旭川村に由来する地区である。名称は、旭川の上・中流域に設置された上旭川村、下流域に設置された下旭川村に対し外側に位置することから名付けられた[6]。
外旭川村において旧4村は大字として継承されたが、1954年(昭和29年)の秋田市編入時に大字外旭川として統合された。その後、秋田市街中心部や土崎港地区などの都市部や幹線道路に面した部分で宅地化が進行するに伴い、一部が外旭川八幡田、外旭川八柳、あるいは将軍野地区などの新たな町丁へ分割されている。
外旭川の基となった神田、笹岡、水口、八柳は、いずれも江戸時代を通じて久保田藩領の農村であった。
神田村は、堪田とも書かれ、中世以前に古四王神社の神田として開発された[7]。
笹岡村は、草生津川の水源の1つである笹岡潟があり、太古には飯島方面から海が湾入していたという言い伝えがある[8]。日吉八幡神社が最初に鎮座した地ともいわれ、また文化期の菅江真澄による遺跡描写から館と館林もあったとされる[8]。「秋田家分限帳写」に「笹国村 251石余」とあるのが初見史料である[8]。
水口村は、水ノ口(みのぐち)とも呼ばれ、穴堰で旭川の水を引いた用水口にあたり、中世から開発が行われていた[9]。但し「享保郡邑記」によると、元禄3年(1690年)に寺内村のうち668石余が帳分けされ、川尻村枝郷のうち49石余を移管した枝郷山崎と合わせて、宝永2年(1702年)に黒印を受け成立したとなっている[9]。
八柳村は、古代の一ノ坪条里制地帯として開発された[10]。「豊臣秀頼朱印蔵入帳写」に「八柳村 348石」とあるのが初見史料で、「秋田風土記」によると秋田実季の家臣である八柳氏の古城があったという[10]。
史料 | 神田村 | 笹岡村 | 水口村 | 八柳村 |
---|---|---|---|---|
豊臣秀吉朱印蔵入帳写 (天正19年正月17日) (1591年2月10日) |
348石、 慶長2年物成80石、 慶長3年物成50石 | |||
秋田家分限帳写 (文禄元年8月22日) (1592年9月27日) |
笹国村 251石余 | 795石余 | ||
秋田家分限帳 (慶長6年) |
775石 | |||
(慶長8年) | 村高495石余 | 村高15石余 | 村高623石余 | 村高410石余 |
正保国絵図 | 本田当高445石 | 笹岡新田村 本田当高41石 | 本田当高355石 | |
元禄七郡絵図 | 435石余 | 笹岡新田村 90石 | 水口新田村 727石余 | 350石余 |
享保黒印高帳 | 村高862石余、当高743石余 (うち本田496、本田並153、新田94) |
村高198石余、当高120石余 (うち本田11、本田並47、新田62) |
村高656石余、当高733石余 (うち本田700、本田並15、新田18) |
村高609石余、当高570石 (うち本田424、本田並117、新田29) |
享保郡邑記 | 73軒(うち枝郷8ヶ村分58) | 22軒(うち枝郷1ヶ村分5) | 57軒(うち枝郷3ヶ村分37) | 79軒(うち枝郷5ヶ村分63) |
寛政村附帳 | 親郷川尻村の寄郷 当高741石(うち蔵分471、給分270) |
親郷泉村の寄郷 当高145石余(すべて給分) |
親郷泉村の寄郷 当高736石余(うち蔵分626、給分110) |
親郷泉村の寄郷 当高513石余(うち蔵分418、給分95) |
秋田風土記 | 743石、73戸 | 733石余、戸数60 (枝郷3ヶ村を含む) |
高599石余、戸数79 (枝郷3ヶ村を含む) | |
天保郷帳 | 345人、743石余 | 120石余 | 733石余 | 569石余 |
羽陰温故誌 | 人口300、馬60 | 人口400、馬68 |
以下はすべて住居表示実施に伴う変更。
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各字ともその一部) |
---|---|---|
外旭川八幡田一丁目 | 平成9年10月1日 | 外旭川字梶ノ目 そとあさひかわ あざかじのめ |
外旭川字八幡田 そとあさひかわ あざはちまんでん | ||
外旭川八幡田二丁目 | 平成9年10月1日 | 外旭川字梶ノ目 そとあさひかわ あざかじのめ |
外旭川字八幡田 そとあさひかわ あざはちまんでん | ||
外旭川字松崎 そとあさひかわ あざまつざき | ||
外旭川八柳一丁目 | 平成9年10月1日 | 外旭川字在家 そとあさひかわ あざざいけ |
外旭川字八幡田 そとあさひかわ あざはちまんでん | ||
外旭川字松崎 そとあさひかわ あざまつざき | ||
寺内字三千刈 てらうち あざさんぜんがり | ||
外旭川八柳二丁目 | 平成9年10月1日 | 外旭川字梶ノ目 そとあさひかわ あざかじのめ |
外旭川字在家 そとあさひかわ あざざいけ | ||
外旭川字松崎 そとあさひかわ あざまつざき | ||
外旭川八柳三丁目 | 平成9年10月1日 | 外旭川字在家 そとあさひかわ あざざいけ |
外旭川字三後田 そとあさひかわ あざさんごでん | ||
外旭川字神宮田 そとあさひかわ あざじんぐうでん | ||
外旭川字田中 そとあさひかわ あざたなか | ||
外旭川字堂ノ前 そとあさひかわ あざどうのまえ | ||
外旭川字松崎 そとあさひかわ あざまつざき | ||
外旭川字四百刈 そとあさひかわ あざよんひゃくがり |
実施前 | 実施年月日 | 実施後 |
---|---|---|
外旭川字大畑 | 平成10年10月1日 | 泉菅野一丁目 いずみすがのいっちょうめ |
泉菅野二丁目 いずみすがのにちょうめ | ||
(残存)外旭川字大畑 | ||
外旭川字梶ノ目 | 平成9年10月1日 | 外旭川八幡田一丁目 そとあさひかわはちまんでんいっちょうめ |
外旭川八幡田二丁目 そとあさひかわはちまんでんにちょうめ | ||
外旭川八柳二丁目 そとあさひかわやつやなぎにちょうめ | ||
(残存)外旭川字梶ノ目 | ||
外旭川字在家 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳一丁目 そとあさひかわやつやなぎいっちょうめ |
外旭川八柳二丁目 そとあさひかわやつやなぎにちょうめ | ||
外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ | ||
(残存)外旭川字在家 | ||
外旭川字三後田 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ |
(残存)外旭川字三後田 | ||
外旭川字三千刈 | 平成10年10月1日 | 泉菅野一丁目 いずみすがのいっちょうめ |
平成11年10月1日 | ||
(残存)外旭川字三千刈 | ||
外旭川字神宮田 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ |
(残存)外旭川字神宮田 | ||
外旭川字田中 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ |
(残存)外旭川字田中 | ||
外旭川字朝鮮 | 昭和53年4月1日 | 将軍野桂町 しょうぐんのかつらちょう |
将軍野向山 しょうぐんのむかいやま | ||
(残存)外旭川字朝鮮 | ||
外旭川字堂ノ前 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ |
(残存)外旭川字堂ノ前 | ||
外旭川字野村 | 昭和43年8月1日 | 将軍野南四丁目 しょうぐんのみなみよんちょうめ |
平成15年10月1日 | 寺内高野 てらうちこうや | |
(残存)外旭川字野村 | ||
外旭川字八幡田 | 平成10年10月1日 | 泉菅野一丁目 いずみすがのいっちょうめ |
平成9年10月1日 | 外旭川八幡田一丁目 そとあさひかわはちまんでんいっちょうめ | |
外旭川八幡田二丁目 そとあさひかわはちまんでんにちょうめ | ||
外旭川八柳一丁目 そとあさひかわやつやなぎいっちょうめ | ||
(残存)外旭川字八幡田 | ||
外旭川字前谷地 | 昭和53年4月1日 | 将軍野桂町 しょうぐんのかつらちょう |
(残存)外旭川字前谷地 | ||
外旭川字松崎 | 平成9年10月1日 | 外旭川八幡田二丁目 そとあさひかわはちまんでんにちょうめ |
外旭川八柳一丁目 そとあさひかわやつやなぎいっちょうめ | ||
外旭川八柳二丁目 そとあさひかわやつやなぎにちょうめ | ||
外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ | ||
(残存)外旭川字松崎 | ||
外旭川字水口 | 平成10年10月1日 | 泉菅野一丁目 いずみすがのいっちょうめ |
平成11年10月1日 | ||
平成10年10月1日 | 泉菅野二丁目 いずみすがのにちょうめ | |
(残存)外旭川字水口 | ||
外旭川字向山 | 昭和43年8月1日 | 将軍野南四丁目 しょうぐんのみなみよんちょうめ |
将軍野南五丁目 しょうぐんのみなみごちょうめ | ||
昭和53年4月1日 | 将軍野向山 しょうぐんのむかいやま | |
外旭川字四百刈 | 平成9年10月1日 | 外旭川八柳三丁目 そとあさひかわやつやなぎさんちょうめ |
(残存)外旭川字四百刈 |
JR東日本奥羽本線が地区南部を横断しており、字水口、字八幡田、字在家、字田中と泉菅野一丁目、寺内字三千刈に跨って秋田貨物駅が設置されている。最寄りの旅客駅は泉菅野二丁目の泉外旭川駅[16]。字大畑に外旭川駅前広場がある。
1966年(昭和41年)までは秋田市電が八柳の南西部を掠めるように通っており、現在の将軍野南四丁目にあたる草生津川岸に八柳停留場が設置されていた。
二重括弧内は地域内の別路線で現存するバス停。
下記以外の地域が秋田市立外旭川小学校・秋田市立外旭川中学校の学区になっている[17]。
なお、字大谷地は秋田市立外旭川小学校・秋田市立外旭川中学校への指定変更許可地域になっている。
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