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日本のゲームクリエイター ウィキペディアから
名越 稔洋(なごし としひろ、1965年6月17日 - )は、日本のゲームクリエイター。セガ所属を経て、株式会社名越スタジオ代表取締役社長。
山口県下関市出身。東京造形大学映画学科卒業後、1989年にセガへ入社[1]。AM2研の鈴木裕が手掛ける『G-LOC』や『バーチャレーシング』、『バーチャファイター』などの作品にCGデザイナーとして参加する[2]。
1994年発売のドライブゲーム『デイトナUSA』を初プロデュース作品として、ディレクターとしてゲーム制作を手掛ける立場に回る。1998年にAM11研部長就任、2000年7月1日にはセガ開発チームの分社化・子会社化に伴い設立された株式会社アミューズメントヴィジョンの代表取締役に就任。2004年7月1日に同社がセガに再統合されるに伴い、セガR&Dクリエイティブオフィサーを肩書きとした[3]。
2011年8月31日にセガ第一CS研究開発部内に制作チーム「龍が如くスタジオ」を設立。セガ取締役CCO(Chief Creative Officer)開発統括本部長[4]、セガの子会社である株式会社インデックス(後の株式会社アトラス)取締役[5]を経て、2015年4月1日に実施されたセガグループ再編に伴い、株式会社セガゲームス取締役兼開発統括本部統括本部長並びに株式会社セガ・インタラクティブ取締役CPO兼開発生産統括本部統括本部長に就任し、セガゲームス並びにセガ・インタラクティブの研究開発部門を統括していた[6]。
2020年4月1日にセガゲームスとセガ・インタラクティブの再統合に伴い、取締役CCO[7]。2021年4月1日、役員を退きクリエイティブ・ディレクターへ異動[8]。
2021年10月8日、セガを退職するとともに「龍が如くスタジオ」の制作指揮からも退いたことを公表[9]。
2022年1月24日、自らが代表を務める新会社・名越スタジオを設立したことを公表[10]。
クリエイターとしては、大型の筐体を用いた「体感ゲーム」の制作のほか、セガがサードパーティー体制に移行した際にもいち早く積極的な動きを見せ、各社とのコラボレーションなどを行い、また自身が深く関わった家庭用作品『龍が如く』シリーズが国内を中心に全世界で1,400万本以上の出荷本数を達成[11]、『モンキーボール』シリーズが全世界出荷400万本を突破する[12]。
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