仏生山
高松市中部に存在する一地区 ウィキペディアから
高松市中部に存在する一地区 ウィキペディアから
仏生山(ぶっしょうざん)は高松市中部に存在する一地区で、高松市役所仏生山出張所の管内。仏生山町1町からなる。かつては全域が「香川郡仏生山町」(ぶっしょうざんちょう)として存在し、1956年9月30日に高松市に編入された。1668年(寛文8年)に初代高松藩主松平頼重が菩提寺として法然寺を建てたことから門前町として繁栄し、戦後は高松市のベッドタウンとして人口が増加した。
地区は高松市中部地域の最も南に位置し、高松平野のほぼ中央部に位置する。人口は2010年時点で8062人(男3855人/女4207人)、世帯数は3503世帯で[1]、減少傾向にある。面積は2.79km2と、島嶼部を除く高松市の地区の中では最も狭い[2]。そのため人口密度も1平方キロメートルあたり2870.97人と高い値を示している。高松市中心部とは独立した拠点性のある市街地を有するが、都市としては高松市中心部と連続したベッドタウンとしての性格がある。この地区の極端な狭さから仏生山駅を中心に広がる市街地は地区の範囲を越え、隣接する多肥地区の出作町にまで及んでいる。
仏生山駅から東へ伸びる市道沿いと、本町通り沿いに住居や商店が集中し人口が密集しており、それ以外の地域はほとんど農地が広がるため人口密度は希薄である。
全域が高松平野の一部であるが、扇状地である高松平野の特性上、この周辺より讃岐山脈へ向かって勾配が次第にきつくなり、南に隣接する浅野地区では平野というよりほぼ丘陵地を形成している。
河川は無いが、南部に小規模な2つの山、雄山と雌山があり、それぞれ法然寺とちきり神社があるため参道からの登頂が容易である。それらに挟まれる形で前池があり、西側には平池が存在する。
仏生山より高松市街中心部の学校へ自転車で通う学生は、登校時は北上時に東から、下校時は南下時に西から太陽の光を浴びるため、片方の頬のみが日焼けする。この現象を、「仏生山の方頬焼け」と呼ぶ。(もっとも、これは冗談の一種でもあったため、実際にこういう現象があったかは不明である。)
| ||||||||||||||||||||||||||||
高松市 / 登録人口(10月1日時点) |
高松市編入以前は「仏生山町」を参照
実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
---|---|---|
仏生山町甲 | 昭和31年9月30日 | 大字百相 |
仏生山町乙 | 昭和31年9月30日 | 大字出作 |
高松市の平均と比較して第二次産業従事者(+0.7%)の割合がやや高く、第一次産業従事者(-0.7%)の割合がやや低いものの、産業分類全体で高松市の平均と比較的類似している。
典型的な高松市郊外の地区として住宅の間を縫うように農地が点在し稲作が多く行われている。
地区内に大規模な第二次産業集中地帯は無いが、中小の工場が点在している。
本町通り沿いは江戸時代から続く商店などが多いが、それ以外はベッドタウンという性格上住宅地が多いため近隣商業が中心である。
地区内の小学校は市立仏生山小学校が存在し、校区には地区内全域と多肥上町の一部を含む。中学校は全域が隣接する多肥地区にある市立龍雲中学校の校区である[6]。
各種学校である高松文化服装学院があったが、生徒数が減少したため、学校の継続運営が困難となり2014年3月18日の香川県私立学校審議会で廃止を認可する答申が決定された[7]。
また、地区内に公立の幼稚園、保育所・保育園は存在しない。
太字の校名は地区内に位置する学校で、それ以外は地区内には位置しないが校区が地区内にかかっている学校。
この地区は1956年以降高松市の一部であるため自治権はもたない。この地区の行政サービスの中心としては高松市仏生山出張所があり各種住民サービスに対応している。またそこは公民館も兼ねていて、仏生山コミュニティセンターとして地域交流の中心となっている。
消防関係の施設は地区内には存在しないが、隣接する多肥地区に高松市南消防署が存在する(かつては高松市南消防署仏生山出張所があった)また地区内には香川県農業試験場があったが、綾川町に移転し、跡地には高松市立みんなの病院が立地してい る。
※50音順
公共交通機関においては琴電仏生山駅が中心で、高松市中心部に向かう電車のすべてが発着するほか、仏生山駅西口が高松市立みんなの病院の開院に合わせて新設されて以降同西口にバス停が整備され、ことでんバス塩江線及び仏生山川島線の路線バスと香川町シャトルバス(マルイ観光バス)が発着している。
平成10年までは同町の中心である本町通り(香川県道166号岩崎高松線)にコトデンバス(現ことでんバス)の赤坂線が通っており、町内に6ヶ所ほど停留所があった。
この地区のメインストリートは仏生山駅から本町通りに至る市道と、そこから南に伸びる本町通りである。しかし本町通りは古くから発展した門前町の表通りであり、仏生山駅から東へ延びる市道は、駅の開業後に戦後の人口増加などを背景に道路計画より人口の密集が先行した地域であるため、もともと人口密度に応じた自動車の通行に十分な道幅ではない。そのため交通ラッシュ時には混雑が発生し、十分な歩道も無いため歩行者の危険性は高い。
かつて、仏生山駅からは高松市南部にある塩江温泉への鉄道として塩江温泉鉄道が分岐し、ガソリンカーを運行していた。1938年に高松琴平電気鉄道の前身である琴平電鉄に合併され、同社の塩江線となったが、日中戦争のさなか不要不急線とみなされ1941年に廃止された。仏生山駅構内の同線の跡地には仏生山工場が建てられている。
基本的に高松市東部の前田山にある高松局を受信する。そのほか、古い建物などでは岡山県玉野市金甲山にある岡山局も受信している世帯もある。高松局を受信する場合はアナログ放送でもUHFアンテナ1本で全チャンネルが受信できるが、アナログ放送において岡山局を受信する場合はUHFアンテナとVHFアンテナの2本が必要となる。なお、デジタル放送は全てUHFアンテナ1本で済む。
県外波
仏生山温泉
仏生山街道の通称で知られる香川県道166号岩崎高松線のちきり神社に至るまでの約1.3kmは本町通りといわれ、かつて歴代高松藩主が墓参りに訪れたため、「お成り街道」や「殿様街道」などとも呼ばれる。現在でもこの通り沿いの約130軒の民家や商店の中には、江戸時代から明治時代ごろに建てられた古い民家が点在しており、高松市から仏生山歴史街道都市景観形成地区として指定されている[3]。
毎年10月に高松秋のまつり・仏生山大名行列が開催され、本町通りに大名行列が繰り出される(市長が大名役になることが多い)。
10月にはちきり神社の秋季大祭が行なわれる。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.