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日本のフリーライター ウィキペディアから
中川 淳一郎(なかがわ じゅんいちろう、1973年〈昭和48年〉8月21日 - )は、日本のPRプランナー、ネットニュース編集者、フリーライター。
東京都立川市出身[1]。生まれは福岡県宗像市)[2]。小学校1 - 4年生(1980年 - 1984年)は川崎市立鷺沼小学校に通い、5 - 6年生は立川市立第八小学校に通った[3]。立川第六中学校に進学したが、親の仕事の関係で渡米する。14歳から18歳までの4年9か月(1987年10月 - 1992年7月)を合衆国で過ごした[4]。イリノイ州ブルーミントンの高校を卒業後に帰国[5]。河合塾を経て、一橋大学商学部に進学[6][7][8][9]。松井剛一橋大教授(マーケティング専攻)は当時、中川と同じ片岡寛ゼミに所属する大学院生で、在学中指導を受けた[10][11]。
1997年に大学を卒業し、博報堂へ入社。コーポレートコミュニケーション局でPR業務に従事後退社し、『日経エンタテインメント!』ライターや『テレビブロス』編集者を経て2006年からはネットニュース編集者[9]。企業PR業務、PRコンサルティング、PRプランニング、編集、ライター業のほか[12]、2009年に光文社新書から『ウェブはバカと暇人のもの』を出版するなどインターネット論も行う。
2012年から「瞬刊!リサーチNEWS」編集長、NEWSポストセブンなど2013年時点で10を越えるネットメディア[13]に携わった。宣伝会議との関係では「編集・ライター養成講座」の東京教室で「Web編集・ライティングの実践」の講師を担当。
2020年8月31日をもって「セミリタイア」をし、メインで活動していたネットニュース編集から離れた[14]。 同年10月、東京都渋谷区から佐賀県唐津市にお試し移住をし、その後の2022年4月現在も在住[15][16]。中川も当初、アメリカへの移住を計画していたが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックで断念。ヨッピー (フリーライター)から「アメリカに行けないんだったら、佐賀に行けばいいんじゃないですか?」と誘われたので、唐津市への移住となった。
複数のネットニュースの編集を行ってきた。かつて屋号で株式会社ケロジャパン代表取締役を名乗ったことがある[17]。
大学の同級生の常見陽平と公私ともに交流があり、共に学生プロレスサークル「一橋大学世界プロレスリング同盟(HWWA)」のメンバーとしても活躍した[18][19]。同じく同級生だった治部れんげ東京工業大学准教授とも大学時代からの知人[20]。
2013年3月29日、ニコニコ生放送で「人狼」というゲームに出場したときに泥酔してゲームをかき乱し、番組を強制退場させられた[21][22]。
同年8月9日、TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』へ常見陽平とともに出演し、中川の大学・サークルの後輩でもある橋本吉史プロデューサーなどが待機する中、飲酒状態でスタジオ入りして放送中に暴言を吐き、スタッフや出演者らの判断で番組を途中退場させられる。番組テーマは「ネット炎上夏祭り 2013次々と炎上する従業員達、その時、企業は…」であったが、番組の長谷川裕プロデューサーは「この事態は番組上の演出ややらせなどではない」[23][24]としている。翌週8月12日に番組へ謝罪コメントを送り、10月25日に「アルコール依存症」を取り上げた際にゲスト出演で8月9日放送の醜態を再度謝罪した。
2016年4月29日には、ニコニコ超会議のトークステージで人狼の騒動についても謝罪している[25]。
デモが大嫌いでほとんどのデモに反対だが、香港のデモだけは支持しているという[26]。
また2019年以降の新型コロナ関連の日本国内における一連の対策にたいしては総じて否定的であり、いわゆる「反マスク」「反ワクチン」的な姿勢をとっている。
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