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人種分類概念のひとつ ウィキペディアから
コーカソイド(Caucasoid, Caucasian)とは、身体的特徴に基づく歴史的人種分類概念の一つである。現代でも便宜的に用いられることはあるが、科学的に有効な概念とは見なされていない。
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ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア(北部)、中央アジア、インド(北部)の在来の住民が、この人種カテゴリーに分類された。元来は、コーカソイドとは、カスピ海と黒海に挟まれたところに位置する「コーカサス」(カフカース地方)に「…のような」を意味する接尾語の「 -oid」 をつけた造語で、「コーカサス出自の人種」という意味である。
元々はドイツの哲学者クリストフ・マイナースが提唱した用語であった。その影響を受けたドイツの医師ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは生物学上の理論として五大人種説を唱え、ヨーロッパに住む人々を「コーカシア」と定義した。ジョルジュ・キュヴィエはヨーロッパ人とアラブ人をコーカソイドに分類し、その高弟アンドレ・デュメリルもコーカソイドをアラブ・ヨーロッパ人とした[1]。
人類学が成立したヨーロッパはキリスト教圏であり、ユダヤ・キリスト教に由来する価値観が重んじられていた。ヨーロッパのキリスト教徒にとって、『創世記』のノアの方舟でアララト山にたどり着いたノアの息子たちは現在の人類の始祖であった。人類学の父とされるブルーメンバッハをはじめとするヨーロッパ人学者たちは、アララト山のあるコーカサスに関心を抱いていた[2]。また、『旧約聖書』の創世記1〜6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた[2]。
コーカソイドとはヨーロッパ人がキリスト教的価値観に基づいて自己を定義するために創出された概念である。 戦後しばらくまでの人類学は科学的・客観的根拠に乏しい、偏見や先入観に満ちた内容であることが多く、人種差別的な思想を多分に含んでいた。事実、提唱者であるブルーメンバッハもさまざまな人間の集団の中で「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しい、人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと考えていた[3]。つまり最初の時点で白人至上主義的な考えが基盤に存在していたのである。その後、他の人類学者によって(白人が他に優越しているという原則の上で)コーカソイドをさらに細分化しての分類が試みられた。ウィリアム・Z・リプリーによる北方人種・地中海人種・アルプス人種の三分類などが有名である他、東ヨーロッパ人種・ディナール人種という分類も存在する。
初期の人類学の人種判別は外見の違い(特に肌の色)による判断という、かなり主観的かつ原始的な考察を頼りとしていた。また上述されている通りキリスト教への信仰心が深く関与している概念であり、風貌的に似通っていてもユダヤ教やイスラム教といった異教徒である場合は意図的に範囲から除外された。
人種分類はその性質上、優生学などの差別的な思想と結び付きやすく、実際にクー・クラックス・クランやナチスのような勢力を生み出す遠因となった。そのため、現在の生物学における人種に関する研究は、現生人類(ホモ・サピエンス)は一種一亜種であるという前提の上で慎重に行われている。あくまで人種とは現生人類の遺伝的多様性の地域的・個体群的偏りに過ぎず、人種相互に明瞭な境界はないとする。
なお、近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人」という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。それは後述のように、コーカソイドには濃い目の肌の色を持つ人々もいるためである。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。
モンゴロイドやネグロイドにも言えるが、コーカソイドもまた非常に広い範囲に分布しているため、人種的特徴は一概に言えない。
アフリカ大陸で誕生した現生人類は、アラビア半島経由でユーラシア大陸に進出し、大陸全域に居住地域を拡大する。このうちコーカソイドはユーラシア大陸のイラン付近から中東、ヨーロッパに移動していた人々の末裔である。クロマニョン人はコーカソイドの直接の祖先と考えられる。
15世紀以降は特にヨーロッパ系コーカソイドが征服地への入植により大きく居住地域を拡大し、世界的に拡散した。
白人(コーカソイド)とアジア人(モンゴロイド)が混血した場合、顔の外見(形質)は白人(コーカソイド)の特徴が優性して遺伝する[5]。しかし、南アジア系の遺伝子が混ざると南アジア的要素が強く優先的にでやすい[要出典]。
コーカソイドは出アフリカ後にイラン付近から中東・ヨーロッパに至る「西ルート」をとった集団である。コーカソイド人種を特徴づけるY染色体ハプログループとしてG、I、J、Rなどが挙げられる[9]。
モンゴル帝国の西進およびムガル帝国の南進によって、東ヨーロッパやロシアおよび中央アジア、南アジアの一部がモンゴロイドの支配下に置かれた。その際征服された地域では、顕著ではないものの混血が認められる。ロシアは何百年もの間テュルク系国家(トゥラン人種)やモンゴルによって征服されたため混血は多かった。ただし、それらのモンゴロイドは遊牧民族であるため土着の農耕民より人口が少なく、さほど混血の影響は高くないともされる。
なお、ここでは中世以前におけるコーカソイドと他人種との混血についてのみ記述し、大航海時代以降のヨーロッパ人の移動に伴って生じた混血についてはここでは割愛する。
アフリカ人はネグロイドに分類されるが、北東部アフリカはサハラ砂漠以南の西南部アフリカ(ブラックアフリカ)とは異なった遺伝子的特徴を持っている。スーダン南部に広がる大湿地帯のボトルネック効果と中世以降のアラブ人による入植のためで、北アフリカの先住民であるベルベル人(北部ハム人種)はコーカソイド系に属すとされる[12][13]。ただし、ベルベル人など北アフリカの民族にはネグロイド系のY染色体ハプログループE1b1bが高頻度でみられるなど、他のコーカソイドと異なる特徴もあり、ネグロイドとの混血が示唆される。
東欧ではハンガリー人(マジャール人)がモンゴロイド(黄色人種)であるフン族の子孫であるという説が存在する。また、ハンガリー語は、モンゴロイド系のウラル語族に属し、同じくモンゴロイド系のテュルク系民族との混血も多いとされる。ただ、ハンガリーという国名についてはフン族との関連を連想させるが、「ハンガリー」の語源については諸説あるものの、「フン族」との間に特別の因果関係はないと考えられている。フン族は離散集合を繰り返す部族連合体であり、全員が必ずしもモンゴロイド系とは言えないとする見方もある。ただ、フン族の首長アッティラと会見したローマ側の使節(ローマカトリック教会の僧侶)による報告書では、「アッティラと彼を取り巻く将兵たちの目は小さくて、ひげが薄く、かつ身長も低く、胴長短足である」と記されていて、ヨーロッパ人が初めて見たモンゴロイドが奇怪な容貌に見えたことと、タタール人という言葉が、当時のキリスト教でいう「地獄のタルタロス」を連想させて、当時のヨーロッパ人が震撼し、恐怖心を一層つのらせたことが、今に伝えられた。それは、近代のヨーロッパをはじめとする白人社会における黄禍論に繋がっている。また、ブルガリアのブルガリア人は、モンゴロイドに属するテュルク系民族であるブルガール人の血を引くとされる。
フィンランド人(フィン人とイングリア人)やエストニア人とサーミ人とカレリア人とリーヴ人とヴェプス人もハンガリー同様にモンゴロイド起源説が唱えられ、実際に父系遺伝子は北東アジアから東アジア北部に起源を持つモンゴロイド系のハプログループNが中頻度~低頻度に見られる[14][15]が、現在においてはハンガリー人(マジャール人)同様に、コーカソイドに区分されている。これは故郷から西進するにつれ現地のコーカソイドと著しく混合したため、もともと濃厚であったモンゴロイドの特徴を失ったためと考えられる。
上記のムガル帝国による混血も含まれる。インドにおいては南部~スリランカ(シンハラ人、タミル人など)では、オーストラロイドである先住民のドラヴィダ人が、東部ではモンゴロイドのムンダ人が、北部のカシミール地方でもチベット人がコーカソイドのインド・アーリア人との混血が古くからあった。そのため世界でも珍しい三人種混血地域となっている。また、ネパール西部のタルー人なども該当する。モルディブでもインドネシア・マレー人種(インドシナ人種(古モンゴロイド系)とオーストラロイドの混血人種)とドラヴィダ人とアラブ系などがインド・アーリア人と混血している[16]。
北アジア(シベリア)においてもウラル語族のうちフィン・ウゴル系民族の大部分がモンゴロイドとコーカソイドと古くから混血している(サモエード系一部含む)。さらにテュルク系民族のタタール諸族もロシア系など東スラヴ系諸族との混血が古くからあり、西に行くほどテュルク系のコーカソイド種族が多い(モンゴル系民族、ツングース系民族一部含む)[16]。
中央アジア(新疆ウイグル自治区含む)においてのトルキスタンに分布するテュルク系民族はモンゴロイドをベースにコーカソイドとの混血が古くからあった(タジク人含む)[16]。
西アジア(西南アジア)では、トルコのトルコ人、アゼルバイジャンのアゼルバイジャン人などが該当し、こちらも現在ではテュルク系のコーカソイド種族に分類される[16]。
東アジア(北東アジア)の北海道・樺太・千島列島に住むアイヌは、かつては白色人種に分類されることもあったが、大和民族・琉球民族に最も近い古モンゴロイドとされた。
さらに、遣唐使によって鑑真の弟子でイラン系(ペルシア系)に属するソグド人と見られる如宝などが渡日して、鑑真に随伴して日本に帰化したことからソグド系の一部が日本人と同化したともされる[16]。『続日本紀』には「波斯人」の李密翳が日本に来て叙位を受けた記録があり、木簡で存在が確認された官吏の破斯清道はペルシア人であるという説がある。
また、モンゴル人やチベット人などは古来よりコーカソイド系民族と隣接しているため、コーカソイド系の遺伝子も数%確認されている。
ミャンマーの南部モンゴロイド(新モンゴロイドとインドシナ人種の混血人種)であるミャンマー人(ビルマ人)はベンガル人(インド・アーリア系)の一派ロヒンギャ人と、タイ南部とカンボジアおよびシンガポールとマレーシアとブルネイとインドネシアなどに分布するインドネシア・マレー人種の一部でもインド・アーリア人との混血があった。さらに、フィリピンでもスペイン王国の統治時代にスペイン人とインドネシア・マレー人種の一部との混血があった(メスチーソを参照)[16]。
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