ツングース系民族 (ツングースけいみんぞく、ロシア語 : Тунгусо-маньчжурские народы ; 英語 : Tungusic peoples ; 中国語 : 通古斯民族 , 拼音 : Tōnggŭsī mínzú )は、中国東北部 から極東 ロシア 、シベリア にかけての北東アジア地域に住み、ツングース語族 に属する言語 を母語とする諸民族 のこと。
概要 Тунгусо-маньчжурские народы(ロシア語)通古斯民族(中国語)Tungusic peoples(英語), 総人口 ...
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ツングース系民族は、北部 (エヴェンキ =ツングース) と南部(女真 -ナナイ )の主要な2系統に分けられ、また、両者の中間グループ(オロチ -ウデヘ )が認められることがある。
ツングース系民族の分布図
緑色は北方ツングースの諸民族、赤色は南東ツングースでアムール川 (黒竜江)流域やサハリン に住む諸民族、青色は南西ツングース(満洲族 、シベ族 )
「ツングース系」なる名辞は人為的なものであり、「ツングース諸語 」とみなされる諸言語を話す人びとを一括して指しているにすぎない[1] 。そしてこれは、ロシア語 によるエヴェンキ の外名、ツングース(ロシア語 : Тунгус , ラテン文字転写 : Tungus ) に由来する。また、ロシアのヤクート人 が、自分たちと混血を進めていたエヴェンキ人を「トングース(Toŋus )」と呼んだことによるともいわれている。英語における Tungus の使用は、1850年代 にフリードリヒ・マックス・ミュラー によって始まった。これは、それに先立つユリウス・ハインリヒ・クラプロート によるドイツ語 での使用に基づく。「ツングース・満洲系民族 」(ロシア語 : Тунгусо-маньчжурские ; 英語 : Tunguso-Manchu )の名称もしばしば使用される。
ツングースカ(Tunguska)なる地名があり、これは、西はエニセイ川 (別名、ツングースカ川)から東は太平洋 におよぶ東シベリア の一地域を指し、この地名はエヴェンキ語に由来する[2] 。ロシア語におけるТунгус(ツングース)は、東チュルク語 (ヤクート語 )の「ツングス tunguz 」(意味は「野生のブタ 、イノシシ 」、古いチュルク語ではトングス、tonguz )から借用された可能性が高いと指摘されるが[注釈 1] 、一部の学者は、現代中国語 の単語「东胡 」(Dōnghú、ドンフー、「東胡 」=東の異民族)から派生したのではないかと主張している[3] [注釈 2] 。こうした現代における発音の偶然の類似は、歴史上の東胡人がすなわちツングース人であるというかつて広く信じられた仮説につながっているが、理論そのものは明確な根拠をほとんど欠いている[4] 。
北方ツングースと南方ツングース
ツングース諸語は北と南のサブグループに大別され、各民族もこれに応じて南北に大別される[5] 。中間グループとして、オロチ-ウデヘ語群を独立させ三大別する場合もあり、さらに、学者によっては南方ツングースを満洲語群とナナイ語群とに分けて四大別することもなされている。
北方ツングース (Northern Tungus)
南方ツングース (Southern Tungus)
2010年ロシア極東の国勢調査におけるナナイ族の分布
2010年ロシア極東の国勢調査におけるエヴェン族の分布
地域集団
セルゲイ・シロコゴロフ (英語版 ) によれば、ツングース系民族の地域による分類は以下のとおりである[5] 。
バルグジン・ツングース
上アンガラ川 地方のツングース…狩猟、馴鹿(トナカイ)の飼養、漁撈を生業とし、上アンガラ部族管理局,下アンガラ部族管理局の2つの行政単位に分割されている。
バイカル湖 付近に居住するツングース…漁撈を生業とするツングース。サマギル氏族管理局に編入されている。
ネルチンスク・ツングース…自らをオロチョン と称し、ヤクーツク州の馴鹿ツングース・遊牧ツングースを「エヴェンキ」と呼び、ブリヤート人 を「ボレン (boren) 」、遊牧ツングースを「ムルチル(murčir)」、ヤクート人 を「ヨコ(joko)」と呼ぶ。
外バイカルの遊牧ツングース…ツングース語を使用しつつけるグループ(エヴェンキ)と、ツングース語を使わなくなりブリヤートの借用語を使用しているグループ(ハムナガン)の2グループに分かれる。
満洲の北方ツングース
ソロン(solon)…牛馬の飼養・狩猟・農業で生活。
興安ツングース…狩猟と馬の飼養で生活。自らを「オロチョン(oročen)」と称す。
メルゲン(墨爾根)ツングース…ナウンチェン(naunčen)、ゲンチェン(gänčen)といった小集団を形成。自称はエヴェンキ。
満洲の馴鹿ツングース
クマルチェン・ツングース
ビラルチェン・ツングース
一般的に、ツングース系諸族の原郷は満洲 北東部、あるいはアムール川流域周辺一帯のどこかであると示唆されている[7] 。ツングース語族はチュルク語族 やモンゴル語族 とともに、一語族を成すアルタイ諸語 (または狭義のアルタイ語族)として提起された言語連合 に分類される。ロシア極東のウリチ地区 から収集された遺伝学的な証拠は、アルタイ語族の拡散が紀元前3500年以前にさかのぼることを示している[8] 。
ツングース語族のシベリアへの拡大は、現在「古シベリア諸語 」という用語の下にグループ化されているシベリア先住民 の土着言語に取って代わるかたちで進んだと考えられる。いくつかの学説では、中央 ・東 および東南ヨーロッパ に広がるパンノニア アヴァール人 によるアヴァール可汗国 がツングース起源か、あるいはその一部(支配階級として)がツングース起源であったことを示唆している[9] 。
ウデヘ 、ウリチ 、ナナイ といったアムール川流域のツングース系住民は、儀式 用のガウン に描かれた龍 、巻いたり螺旋を描いたりする鳥類 、悪霊 の仮面 のデザイン、中国式の正月 、絹 と綿 の使用、調理用の鉄鍋、中国起源の暖かい家など、宗教 その他服飾 などで中国の影響を受けた[10] 。
満洲民族 (満洲人)は満洲 の地、すなわち現代の中国東北部 および極東ロシア (「外満洲 」と称する。沿海州 、現在のプリモルスキー地方 を含む)に起源を発している。満洲族は、17世紀 に清 (清朝)を樹立したのち、清朝中後期から中国本土の漢民族 の言語と文化にほぼ同化していった。
南ツングース系の満洲族は定住農耕生活を送り、その生活様式は、移動する狩猟 採集民や遊牧民 など、より北方に住むツングース諸族の生活様式とは大きな隔たりがあった。ことにワルカ(野人女真 )は、清朝が彼らをして定住農耕させようと試みたため清国を離れている[11] [12] 。
17世紀 を通じてロシア・ツァーリ国 は、シベリアを東に横断して拡大し、ツングース系民族の土地に入り込んだ結果、清朝とのあいだに初期の清露国境紛争 が引き起こされ、それは1689年 のネルチンスク条約 まで続いた。ロシアを越えてヨーロッパの他地域に到達したツングース系民族に関する最初の著述は、1612年 にオランダ の旅行者イサーク・マッサ (英語版 ) によって出版された。彼は、モスクワ 滞在ののちロシアの報告にもとづいた情報を西欧に伝えた[13] 。
未だ定説は確立していないが、以下のような仮説がある。
南方由来説
19世紀に提示されて以来、ツングース諸語のモンゴル諸語 やチュルク諸語との近縁性から、多くの学者がシベリアの遊牧ツングースを黒竜江 沿いに北上してきたモンゴル民族とした。1920年代にソ連 人(ロシア人)学者シロコゴロフが、現地調査などから松花江 ・ウスリー川 流域一帯をツングース人が形成された土地とし、形成以前の起源を更に河北東北部へ求める説を発表。言語学や人類学の観点から数多くの学者に支持されるが、華北東北部を起源とする点に関しては考古学的な裏付けが乏しく仮説の域を出ないとされている。
西方由来説
セレンガ川 やバイカル湖 畔の周辺から来たとする仮説を2人のソ連人(ロシア人 )学者が唱えた。
太古土着説
1960年代にソ連人学者[14] から出された仮説、文化の独自性から数千年に渡り外部から隔絶していたとする。古い年代の考古物の中に南方地域と類似する物が見られる点と、急激な寒冷化が起きた時期に人口増加によると思われる出土物の増加が確認される点から、主流とはなっていない。
ツングース系民族はその生業によっていくつかのグループに分けられる。
馴鹿 ツングース(Reindeer Tungus)…馴鹿の飼養を生業としているツングース系民族。ツングースの間では「馴鹿を所有する」という意味でオロチェン(oročen)と呼ばれている。バルグジン・タイガおよびネルチンスク・タイガの地方に住み、その一部はブリヤート人やロシア民族の間に混ざって移行地帯に定住している[5] 。
遊牧ツングース(Nomad Tungus)…遊牧を生業としているツングース系民族。ツングースの間では「馬を所有する」という意味でムルチェン(murčen)と呼ばれている。ブリヤート人やロシア人と雑居して移行地帯および草原地帯に住んでいる。
農耕ツングース…農業で生活し、定住化しているツングース系民族。ロシア民族の生活文化の影響が進んでいる。
モンゴル人化したツングース(Mongolized Tungus)…言語的にモンゴル系言語を使用するようになったツングース系民族。
狩猟
狩猟は家畜の飼養,農業,馴鹿の飼養に適した地方を除くすべての地方において、ツングースの主要な生業である。獲物は主に食用として、毛皮の供給源として利用する。主な動物は栗鼠,狐,熊,山猫,黒貂,野猪,鹿である[5] 。
馴鹿(トナカイ)の飼養
ツングースの家畜は主に馴鹿(トナカイ)である。トナカイはツングース諸語でオロン(oron),オロ(oro),オヨン(ojon),オロン・ブク(oron buku),ホラ(hora),ホラナ(horana) [ 要出典 ] などと呼ばれるが、彼らが何時頃から飼い始めたのかはわからない[5] 。
宗教
多くはアニミズム である。「シャーマン (šaman)」と呼ばれる祈祷師 がおり、19世紀以降に民俗学者 や旅行家、探検家 たちによって、極北や北アジアの呪術あるいは宗教的職能者一般を呼ぶために用いられるようになり、その後に宗教学、民俗学、人類学などの学問領域でも類似現象を指すための用語(学術用語 )として用いられるようになった[15] 。
極東・シベリア諸民族(諸地域)のミトコンドリアDNA解析
TAI、STE、NYUK、IENGは、エヴェンキ族。SAK、SEB、TOM、BER、KAMはエヴェン族。UDIはウデヘ族(以上、ツングース系)。VIL‐YAK、CNT‐YAK、NE‐YAKはヤクート族(チュルク系)。KORはコリャーク (チュクチ=カムチャツカ系 )。YUKはユカギール (孤立)。NIVはニヴフ(孤立)
ツングース系民族にはY染色体ハプログループ のC2系統 が高頻度に観察される[16] 。オロチョン族 で61%[17] -91%[18] 、エヴェンキ で44%[18] -71%[19] [20] 、ウリチ で69%[21] 、満洲族 で26%[17] -27%[18] などである。
中でも下位系統C-F5484がツングース系民族を特徴付けるタイプであり、このタイプは3300年前に誕生したと考えられている。さらに満洲族、エヴェン、エヴェンキ、オロチョン、ダウールの各々に特有のC-F5484のサブグループが存在し、これらは1900年前から徐々に分岐したものと推定される[22] 。
その他、ロシアにおけるエヴェンキなど一部の民族集団ではN系統 も高頻度にみられる[23] 。
現代、民族集団を形成しているツングース系民族には、満洲族 、シベ族 、オロチョン族 、エヴェンキ (ソロンを含む)、エヴェン 、ナナイ 、オロチ族 、ウリチ 、ネギダール 、ウデヘ 、ウィルタ がある。漢民族 (中国語 )やロシア民族 (ロシア語 )の影響が大きく、固有の言語文化が危機にさらされている。
現在、民族集団を形成しているツングース系民族の詳細な情報は以下である。
さらに見る 日本語名称, 中国語/ロシア語名称 ...
日本語名称
中国語/ロシア語名称
民族語名称
地区
人口
備考
満洲族
满族/Маньчжуры
ᠮᠠᠨᠵᡠ (転写 :manju)
中華人民共和国 遼寧省 ;吉林省 ;黒竜江省 ;内モンゴル自治区 ;河北省 ;北京市 等[24]
10,410,585[24]
台湾 に12000人[25] 香港 に1000人[26] アメリカ合衆国 に379人[27]
オロチョン族
鄂伦春族/Орочоны
中華人民共和国 内モンゴル自治区フルンボイル市 、オロチョン自治旗 等
8,659[28]
シベ族
锡伯族/Сибо
ᠰᡞᠪᡝ (転写 :sibe)
中華人民共和国 遼寧省;新疆ウイグル自治区 イリ・カザフ自治州 チャプチャル・シベ族自治県 等
190,481[28]
僅かに新疆のコルガス 、タルバガタイ 、ウルムチ に分布している。黒竜江省、吉林省、内モンゴル自治区、北京市における人口は1000人を超える。
エベンキ人
鄂温克族、埃文基人/Эвенки
Эвэнкил
中華人民共和国内モンゴル自治区フルンボイル市エベンキ族自治旗 、モリンダワ・ダウール族自治旗 、オロチョン自治旗 、陳バルグ旗 、アロン旗 等;黒竜江省訥河 ロシア連邦クラスノヤルスク地方 、サハ共和国 、ブリヤート共和国 、イルクーツク州 、ザバイカリエ地方 、アムール州 及びサハリン州 モンゴル国 セレンゲ県 等。
30,875(中国, 2010)[29] 38,396(ロシア, 2012)[30]
モンゴル に537人(2015)[31] ウクライナ に48人(2001)[32]
ナナイ人 (別名:ホジェン族 )
赫哲族、那乃人、纳奈人/нанайцы
ロシア連邦ハバロフスク地方 、沿海地方 ;中華人民共和国黒竜江省 同江市 、双鴨山市
12,160(ロシア, 2002)[33] 5,354(中国,2010)[34]
エヴェン人
埃文人/эвены
эвэсэл
ロシア連邦サハ(ヤクート)共和国 、マガダン州 、カムチャッカ地方 、チュクチ自治管区
22,383(ロシア,2012)[30]
ウクライナ に104人(2001)[35]
ネギダール人
涅吉达尔人/негидальцы
ロシア連邦ハバロフスク地方
513(ロシア,2012)[36]
ウクライナ に52人(2001)[37]
ウィルタ人 (別名:オロッコ人 )
乌尔他人、鄂罗克人/Ороки
Уилта[38]
ロシア連邦サハリン州 ポロナイスキー地区 ;日本国 網走市 、札幌市
295(ロシア,2012)[39]
日本 に20人(1989)
ウリチ人
乌尔奇人/Ульчи
ロシア連邦ハバロフスク地方ウリチ地区
2,765(ロシア,2012)[36]
ウクライナ に76人
オロチ人
奥罗奇人/Орочи
ロシア連邦ハバロフスク地方 、沿海地方 、サハリン州 、マガダン州
596(ロシア,2010)[36]
ウクライナ に288人(2001)
ウデヘ人
乌德赫人/Удэгейцы
ロシア連邦ハバロフスク地方 、沿海地方
1,496(ロシア,2010)[36]
ウクライナ に42人(2001)[40]
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満洲の衛兵
クラスノヤルスク地方 Vorogovoのツングース男性(1914年)
伝統衣装を着用した満洲族の男性
歴史上に登場する民族・国家でツングース系民族に比定する説があるのは、以下の民族・国家である。
また、文献資料 に登場する民族や国家で、「ツングース系」の可能性が指摘されるものに、以下の民族・国家がある。
なお、古代出雲 の住民がツングース族であり、いわゆる「ズーズー弁 」はツングース語 起源とする説もある[41] [42] 。
注釈
中国の史書が伝える東北アジアの民族「Dōnghú」が古チュルク語の「トングース(Toŋus)」の発音が似ていることから、ヨーロッパの学者を中心に支持された説である。
『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「【濊貊は果たして何民族と見做すべきか】濊貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
下中直人『新訂増補 朝鮮を知る事典』(1986年、平凡社)「【濊貊】彼らの言語は白鳥庫吉によれば、ツングース系を主として若干のモンゴル系を混合したものと推測されている。《村山正雄》」
『Yahoo!百科事典』「【濊貊】前3世紀ごろモンゴル系民族に押されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余(ふよ),高句麗(こうくり),沃沮(よくそ)を構成したツングース系の諸族を含むのである《浜田耕策》。」
井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
『世界史小辞典』(2004年、山川出版社)「【夫余】トゥングース系の貊人が建てた」
『Yahoo!百科事典』「【夫余】古代中国の東北地方に割拠していたツングース系と思われる民族が建てた国名《村山正雄》。」
井上秀雄、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p272「【高句麗】トゥングース系の扶余族の支族。《朝鮮総督府『朝鮮史』(1932~38)、池内宏・梅原末治『通溝 上下巻』(1938~40)、田村実造編『アジア史講座3』(1956)》」
加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したとされるが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」
室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』(2010年、新潮新書)p193「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」
三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p161「Ⅱ(夫余、高句麗、濊、東沃沮)の言語はツングース・満州語の一派か、またはそれに近い言語と思われるが、むしろ朝鮮語と近い親縁関係にあるか、詳しく調べてみなければわからない。」
史書に夫余の別種と記す『旧唐書東夷伝』「百済国、本亦扶余之別種、当為馬韓故地」
『魏書』旧北扶余也。地宜五谷,不生五果。其人長大,性強勇,謹厚,不寇抄。其君長皆以六畜名官,邑落有豪帥。飲食亦用俎豆。有麻布,衣制類高麗而幅大,其国大人,以金銀飾之。用刑厳急,殺人者死,没其家人為奴婢。俗淫,尤悪妬婦,妬者殺之,屍其国南山上至腐。女家欲得,輸牛馬乃与之。或言本濊貊之地也。
『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)p321「【粛慎考】漢史の伝える所によれば、古の粛慎は後漢・三国に挹婁といい、後魏に勿吉といい、隋唐に靺鞨といい、宋元明に女真といい、共に満州人の祖先なりという。若しもこの説の如くんば、粛慎は今日のツングース種に属すべきのなれども、この民族に関する記事の後世に伝わるもの甚だ僅少なるが故に、その果たして然りや否やについては更に考究を要せざるべからず。」
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」
高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)あらすじp1「同概念は踏襲発展の民族伝統を指すものであり、前秦時代の粛慎、漢晋時代の挹婁、南北朝時代の勿吉、隋唐時代の靺鞨、遼、宋、金、元時代の女真、明末及び以後の満洲族、エヴェンキ族、ホジェン族などの各歴史時期の部落、部落集団及び民族を含められるものである。」
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」
西川正雄『角川世界史辞典』(2001年、角川書店)「【挹婁】トゥングース系の夫余に従属していた《大金富雄》。」
高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)p50「従文化特点来看、一方面、反映粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨状況的鶯歌嶺、蜿蜒河、同仁1期等一脈相承的文化。(中略)主要是釜、甑、罐、而没有豆形器物」
『Yahoo!百科事典』「【挹婁】高句麗(こうくり)や夫余などと違った言語を用い、毒矢を使い、また穴居して厠(かわや)を住居の中央に置きそれを洗浄用に使用するなど、独特の習俗をもっていた。《護雅夫》。」
内田吟風、田村実造、他訳注『騎馬民族史1-正史北狄伝』(1971年、平凡社)p343「勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。」
井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2-正史東夷伝』(1976年、平凡社)p99「(靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。」
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」
高凱軍『通古斯族系的興起』(2006年、中華書局)p48「反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化(早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年)的分布版図、挹婁時期較大為発展。」
鉄利 部・越喜 部(黒水靺鞨に属す)。井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2-正史東夷伝』(1976年、平凡社)p440「鉄利は中国黒竜江省南部からソ連沿海州南部にかけて居住する純ツングース種族である。p441同越喜」
内田吟風、田村実造、他訳注『騎馬民族史1-正史北狄伝』(1971年、平凡社)p343「勿吉や靺鞨はだいたいツングース系の民族と思われるが、その民族系統や諸部の位置について異論が多い。」
井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2-正史東夷伝』(1976年、平凡社)p99「(靺鞨について)中国東北地方に拠ったツングース族の一種で、勿吉ともいった。」
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社)p631「【トゥングース族】歴史上では粛慎,挹婁,勿吉,靺鞨,女真,満州として活躍した。」、p803「【靺鞨】満州東北部から朝鮮半島北部に住んだトゥングース族の一種。《日野開三郎『靺鞨七部考』》」
西川正雄『角川世界史辞典』(2001年、角川書店)
『世界史小辞典』(2004年、山川出版社)
白石典之『チンギス・カン』(2006年、中央公論新社)p13「当時、蒙兀室韋などのモンゴル系民族が居住するアムール川上流の、西にはトルコ系の突厥が控えていた。また、東にはツングース系といわれる靺鞨という強力な集団がいた。」
高凱軍『通古斯族系的興起』p48「反映勿吉‐靺鞨人状況的同仁1期文化(早段年代距今1420±80年、樹輪校正1380±80年、相当于599‐684年。晩段年代距今990±80年、樹輪校正960±80年、相当于994‐1186年)的分布版図、挹婁時期較大為発展。」
『Yahoo!百科事典』「【靺鞨】6世紀後半から中国東北の松花江流域を中心に、北は黒竜江中・下流域、東はウスリー川流域、南は朝鮮半島北部に勢力を振るったツングース系諸族の一派《菊池俊彦》。」
『宋会要輯稿』「唐貞観中、靺鞨来朝、初聞女真之名」
朱国忱・魏国忠(訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(1996年、東方書店)「渤海国の公用語は靺鞨語(支配者層)、のちに漢語。靺鞨語はツングース系、扶余語は古シベリア(古アジア)系、契丹・室韋はモンゴル系、突厥・回紇はトルコ(テュルク)系」
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井上秀雄 、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)
井上秀雄、他訳注『東アジア民族史2-正史東夷伝』(1976年、平凡社)
三上次男 『古代東北アジア史研究』(1977年、吉川弘文館 )
京大東洋史辞典編纂会『新編 東洋史辞典』(1980年、東京創元社 )
下中直人 『新訂増補 朝鮮を知る事典』(1986年、平凡社)
加藤九祚『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社 )
鳥越憲三郎 『古代朝鮮と倭族』(1992年、中央公論社 )
朱国忱 ・魏国忠 (訳:佐伯有清・浜田耕策)『渤海史』(1996年、東方書店 )
著:王宏剛,関小雲、訳:黄強,高柳信夫,他『オロチョン族のシャーマン』(1999年、第一書房 )
西川正雄 『角川世界史辞典』(2001年、角川書店 )
『世界史小辞典』(2004年、山川出版社)
白石典之 『チンギス・カン』(2006年、中央公論新社)
高凱軍 『通古斯族系的興起』(2006年 、中華書局 )