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スウェーデンのメロディック・デスメタルバンド ウィキペディアから
アット・ザ・ゲイツ(英: At the Gates)は、スウェーデン、ヨーテボリ出身のメロディックデスメタルバンドである。1990年に結成され1996年に解散したが、2007年から2008年にかけて一時的に活動を再開。その後改めて2010年に再結成を果たし、以降も各ライブイベントに出演している。
アット・ザ・ゲイツ At the Gates | |
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基本情報 | |
出身地 |
スウェーデン ヨーテボリ・ブーヒュース県 ヨーテボリ |
ジャンル |
メロディックデスメタル[1][2] デスメタル(初期)[1][2] ヘヴィメタル[2] スカンジナヴィアン・メタル[2] デスラッシュ シンフォニックブラックメタル |
活動期間 |
1990年 - 1996年 2007年 - 2008年 2010年 - |
レーベル |
デフ・レコード ピースヴィル・レコード イヤーエイク・レコード センチュリー・メディア・レコード ポニーキャニオン トイズ・ファクトリー トゥルーパー・エンタテインメント |
共同作業者 | フレドリック・ノルドストローム |
公式サイト | www.atthegates.se |
メンバー |
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旧メンバー |
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カーカス、エッジ・オブ・サニティ、アモルフィスらと並び、1990年初頭からメロディックデスメタルというジャンルの形成に大きく関わり、デスメタルのアグレッシブさに叙情的なメロディを加えた1995年リリースの4thアルバム『Slaughter of the Soul』で一つの完成形を迎え、カーカスの『Heartwork』と共に世界各地で多くのフォロワーを生んだ。
その後、メロディックデスメタルはイン・フレイムスやダーク・トランキュリティらによってよりメロディアスな方向へ推し進められ、メロディックデスメタルとしての完成度を高める一方、ソイルワーク、ザ・クラウンやカーナル・フォージ、フォーセイクンらによって、アグレッシブさを保ちつづけながらも一定のメロディを盛り込んだデスラッシュというアプローチをとるバンドも現われることになった。
また、後続のメロディックデスメタル/デスラッシュバンドだけでなく、キルスウィッチ・エンゲイジ、ザ・ブラック・ダリア・マーダー、アズ・アイ・レイ・ダイングらアメリカのヘヴィメタルバンドにも無視できない影響を及ぼすことになったが、これは4thアルバムリリース後のツアーで2度に渡る長期のアメリカツアーを行ったことも大きく影響していたと思われる。
このアット・ザ・ゲイツのアメリカツアーによって築き上げられたアメリカでのメロディックデスメタルのファン・ベースは、後のソイルワーク、イン・フレイムス、アーチ・エネミーらによるアメリカ進出における成功の下地を作った。
1990年、グロテスク、インフェステイションらのメンバーによりアット・ザ・ゲイツが結成される。メンバーはトーマス・リンドバーグ(Vo)、アンダース・ビョーラー(G)、アルフ・スヴェンソン(G)、ヨナス・ビョーラー(B)、エイドリアン・アーランドソン(Ds)の5人であった。1991年にデモEP『Gardens of Grief』をリリース。同デモは、同年中にドロレス・レコードよりアナログレコードで再発された。1992年にもプロモ盤を作成し、イギリスのピースヴィル・レコードと契約を行う。ヴァイオリン奏者のイェスパー・ヤロルドをセッションに迎え、アルバムのレコーディングを行う。同年7月に1stアルバム『The Red in the Sky Is Ours』をリリース。その後、セリオン、マイ・ダイイング・ブライドらとヨーロッパツアーを行う。また、1992年の途中から1993年にかけて、ヨナス・ビョーラーがバンドを離れており、トニー・アンダーソンがベーシストとして参加している。この関係からか、1stアルバムの裏ジャケットには、トニー・アンダーソンがベーシストとしてクレジットされている[3]。
1993年、4月にサンライト・スタジオでとトマス・スコッグスベルグと共にレコーディングを行う(当時サンライト・スタジオで働いていたディスメンバーのフレッド・エストビー、カーナル・フォージのラーズ・リンデンらがエンジニアとして参加している)。音楽的方向性の違いによりアルフ・スヴェンソン(G)が脱退するがアルバムのレコーディングには参加、後任にマーティン・ラーソンを迎える。5月に2ndアルバム『With Fear I Kiss the Burning Darkness』をリリース。アナシマ、クレイドル・オブ・フィルスらとツアーをヨーロッパツアーを行う。1994年、2月にイエテボリのスタジオ・フレッドマンにてプロデューサーのフレドリック・ノルドストロームと共にレコーディングを行う。4月にEP『Gardens of Grief 』を限定666枚リリース。7月に3rdアルバム『Terminal Spirit Disease』をリリース。これは新曲6曲に、ライブ3曲という変則的な構成のアルバムであった。アナシマ、マイ・ダイイング・ブライドらとヨーロッパツアーを行う。
1995年、イギリスのイヤーエイク・レコードと契約を行い。5月から7月にかけ再びスタジオ・フレッドマンでフレドリック・ノスドストロームプロデュースの元、アルバムのレコーディングを行う。11月に4thアルバム『Slaughter Of The Soul』をリリース。アンリージェッドとヨーロッパツアーを行い、途中フェスティバル出演ではテスタメント、クリーターらと共演した。1996年、1月にはディセクションらとイギリスツアーを行い、3月にはモービッド・エンジェル、ディセクションとアメリカツアーを行う。4月にはナパーム・デス、フェイス・ダウンらとヨーロッパツアーを行い、6月にはナパーム・デスとアメリカツアーを行う。その後スウェーデンでフェスティバルに出演後、9月に解散した。解散のきっかけは、ライブ・ツアーの疲れから、アンダース・ビョーラーが脱退の意向を示したことだという[4]。
2001年、ピースヴィルよりイヤーエイク在籍時の曲も含むベストアルバム『Suicidal Final Art』がリリースされた。
2007年、再結成。ライヴ限定で活動を行うが、2008年9月21日に最後のショウを行い再び解散。2010年、12月に再結成して2011年以降に、ライブに参加することが発表された。2014年、センチュリー・メディア・レコードと契約し、秋に約20年ぶりとなる新アルバム『At War with Reality』をリリースした[5]。2017年3月中旬、アンダース・ビョーラーの脱退が発表された[6]。同年9月、アンダースの後任としてヨナス・ストールハマール(G)の加入が発表された[7]。また、併せて同年冬より新アルバムのレコーディングに入ることが発表され[7]、翌2018年5月に6thアルバム『To Drink from the Night Itself』をリリースした。2021年7月に、7thアルバム『The Nightmare of Being』をリリース。
2022年7月下旬、ギタリストのストールハマールが脱退した[8]。10月5日に後任として、アンダース・ビョーラーの復帰が発表された[9]。
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