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富山県魚津市の諏訪神社の夏季祭礼 ウィキペディアから
たてもん祭り(たてもんまつり)は、富山県魚津市の諏訪神社の夏季祭礼である。1970年(昭和45年)から魚津観光まつり(後にじゃんとこい魚津まつり)のイベントのひとつとなり、毎年8月の第1金曜日・土曜日の2日間に渡り行われている。2006年(平成18年)までは8月7日・8日に行なわれていた。なおこの祭礼は、国の重要無形民俗文化財に指定されているほか、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。
じゃんとこい魚津まつりのメインイベントでもある高さ約16mのたてもんは、諏訪神社氏子町7町内から7基のたてもんを曳き回し、航海の安全と大漁を祈願する行事で、定かではないが昔は9基から11基が曳かれていたといわれる。(昭和の初め頃は、元町、諏訪町1~5区と立町、下町、下新町の9町内から9基出ていたが、その後3町内(立町、下町、下新町)がいろいろな事情で出なくなり新興の港町が加わり7基となる。)たてもんの名称は、「神前に贄(にえ)〔神への捧げ物〕を供え捧げたてまつる物」という意味で、たてもんの山車は、獲れた魚(贄)を載せ、神様に捧げる帆掛け舟(漁船)を模ったものである。
たてもんの創始については、舟に贄(にえ)となる魚を高く積み上げ浜を引き回し、海の神に供え大漁を祈願したとされる言い伝えがあり、享保年間中頃(1720年頃)には台の上に提灯を吊るし担ぎ回したとされ、現在まで約300年続く行事である。北日本の「ねぷた」と、諏訪の「御柱祭」が融合した形式をとる。
1972年(昭和47年)10月5日に「たてもん」が富山県有形民俗文化財に指定。1981年(昭和56年)12月24日に「魚津浦のタテモン行事」として、記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択され、その後1997年(平成9年)12月15日には、「魚津のタテモン行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。また2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。
2016年(平成28年)10月には、18府県33件の「山・鉾・屋台行事」の中の1件として、ユネスコの無形文化遺産に登録勧告され[1]、同年12月1日に登録された[2]。
現在、世帯減少、少子高齢化進行による曳き手不足に悩んでおり、1998年(平成10年)より曳き手ボランティア「たてもん協力隊」を県内外より募り確保している[3]。
2020年(令和2年)4月15日、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、関係諸団体はこの年の曳き回しを中止し、神事のみを行うことを決定した[4]。
たてもんは、帆掛け舟(舟型)を模した万燈で、長さ約16メートルの太い心柱に、帆に見立てた底辺約8mの大きな二等辺三角形の枠に、10-12段の横木を渡す。横木には60から100あまりの縁起の良い図柄を描いた丸提灯または雪洞(ぼんぼり)を吊るし下げる。この三角枠上部には恵比寿を描いた提灯、心柱最上部には鉾留(ほこどめ)として八角行燈を据え神の依代とする。八角行燈からは割り竹で出来た柳(枝垂〔しだれ〕)と言われる8本の長い髯籠(ひげご)を垂らす(現在は小さな電球がたくさん付けられている)。これは、悪霊が神様への贄にとりつかぬように睨みを利かせるためである。三角形の枠最下部には1枚、高さ約80cm、長さ約4m[5]の下額(絵額)に武者絵等を描き、左右に2枚、両面に2枚飾る。これらを2.6m×2.2m角、重さ約1.5トンのそり台中央に立てる。車輪のないそり台なのは、もともと浜辺や砂利道で曳いていたからである。
そり台には山車を曳くために長さ約10mの2本の担ぎ棒に数本の横木を渡す。そこに縄で網掛けし囃子担当の子供たちが乗り込み笛や太鼓で囃す中、80人から100人程で総重量5トン程の舟形万燈を威勢良く曳き回す。また組み立てには釘は1本も使わず縄のみで組立てていくが、漁師独特の結び方を駆使している。現在のようなたてもんの形になったのは享保年間(1720年頃)といわれ、現在の大きさになるのは昭和の初め頃になってからである。提灯の数は、明治時代には約25張り、大正時代には約50張りであった。また現在提灯の絵柄は様々であるが、昔はどの町も絵柄は魚であったといわれる。これは神様への贄である魚を舟に大量に積んであることにより、神様に喜んで頂くためである。
夕刻にはたてもん7基の提灯に火が灯り諏訪神社前に集まってくる。くじ引きで諏訪神社境内へ入る順番を決めると、午後8時30分頃から1基ずつ順番に境内社殿横の広場(駐車場)に入り、担ぎ手とたてもんから繋げた8本の控え綱を持つ各若衆が、勢い良く5トン程のたてもん自体を3回転しこれを2回行う。8本の控え綱を持つ各若衆は神様に良く見ていただくため、飛び跳ねながら、時に縄にぶら下がり宙を舞うように回ると、提灯と柳(枝垂)の明かりが美しい光の輪をつくり祭りは最高潮に達する。なお控え綱は、高くて平たいたてもんを回す時に、バランスを取って傾いたり倒れたりすることを防止する役目がある。回し終えると、たてもんは社殿正面に移動し、町内関係者は社殿でお祓いを受け次の町内に引き継ぐ、すべての町内が回し終えるのは午後11時頃となる。その後散会し各町内で直会(なおらい)という労をねぎらう会が行われ終了となる。
なお、魚津市内のありそドームには、提灯60張りの小型たてもん、海の駅蜃気楼には、高さ7m、提灯58張りの小型たてもん[6]、新川文化ホール(ミラージュホール)には、たてもんの縮小模型(提灯60張り)、魚津歴史民俗博物館には、たてもんの縮小模型(提灯75張り)が常設展示されている。
市外や県外の殆どのメディアは「たてもん」と言う際のイントネーションを「た↓て↑も↓ん↓」もしくは「た↓て↑も↑ん↑」と言うが、正しくは「た↓て↑も↑ん↓」である。
魚津こども園(旧 魚津保育園)と川原保育園の園児たちが、たてもん祭りに引き回す高さ約2m、幅約3mの2基の「ちびっこ(ミニ)たてもん」。これまで魚津こども園が引き回していたが、2022年(令和4年)に新調するに当たり、新たに川原保育園も引き回すこととなり、富山県産の杉を利用し2基を新調、同年7月に完成した[7][8]。
祭礼がユネスコ無形文化遺産に登録されたことから、2017年(平成29年)に魚津市が事業として立ち上げ、たてもん保存会、賛同した地元企業などが、今後3年間で魚津市の「新川学びの森天神山交流館」敷地内約2,100m2に、720本のスギやヒノキを植樹し、将来のたてもんの部材確保と地元産材で作り、伝統文化継承を目的としたプロジェクトである。なお部材として利用できるのは40〜50年ほど先の見通しである。
2017年(平成29年)10月28日に初めての植樹が行われ、魚津市長、たてもん保存会、賛同地元企業、氏子町内の子供たちなどが参加し、スギ130本、ヒノキ66本、ケヤキ44本、計240本の苗木を植えた[14]。
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