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江戸時代の皇族。閑院宮2代。閑院宮直仁親王の次男?三男?。一品、隨身兵仗 ウィキペディアから
閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう、享保18年2月17日(1733年4月1日) - 寛政6年7月6日(1794年8月1日))は、江戸時代の皇族。幼名は寿宮(ひさのみや)。世襲親王家の閑院宮第2代当主。光格天皇の実父。
明治時代に追諡され、慶光天皇(きょうこうてんのう)または慶光院という。墓所は天皇号が追尊されたため「陵」と称されている。陵は廬山寺陵(京都市上京区)。
閑院宮直仁親王(東山天皇の皇子)の第三王子として生まれる。寛保2年(1742年)、中御門天皇の猶子となり、その翌年に親王宣下を受けた。延享元年(1744年)、元服して大宰帥に任ぜられ、以後、典仁親王は「帥宮」と呼ばれた。寛延元年(1748年)、朝廷から二品に叙せられ、随身兵仗を賜わった。翌年、成子内親王(中御門天皇皇女)を妃とする。宝暦3年(1753年)、父・直仁親王の薨去により、閑院宮を嗣ぐ。安永8年(1779年)、朝廷では、後桃園天皇が男子を残さないままに崩御したため、典仁親王の第六王子として生まれた師仁親王が践祚した(光格天皇)。安永9年(1780年)、典仁親王は一品に昇進した。寛政元年(1789年)、光格天皇は、父の典仁親王の宮中での地位が大臣より低いことから、太上天皇の尊号を贈ろうとし、側近の公卿・中山愛親を江戸幕府との折衝に当たらせた。幕府側では、老中の松平定信などが「皇位につかない私親への尊号宣下は名分を乱すもの」として強く反対した。しかし、朝廷側も譲らず、その後繰り返し交渉が行われたが、幕府側は典仁親王への尊号宣下をついに承認せず、寛政4年(1792年)、光格天皇もこれを断念した。この事件により朝幕関係は悪化し、松平定信が失脚する一因となった(尊号一件)。典仁親王は寛政6年(1794年)7月6日に薨去。典仁親王の第一王子である美仁親王が閑院宮を嗣いだ。
典仁親王の九十年忌にあたる明治17年(1884年)、中山愛親の曾孫で明治天皇外祖父の中山忠能は、典仁親王への尊号追謚を発議した。同年3月、典仁親王は明治天皇の高祖父(かつ現在の皇室の祖)であることを理由に、「慶光天皇」の諡号と「太上天皇」の尊号を明治天皇から贈られた(明治以後に「太上天皇」制度が廃止された関係で二重の手続を要した)[1]。以後、閑院宮典仁親王ではなく、慶光天皇または慶光院と称される。ただし歴代天皇の代数には数えられない。
閑院宮典仁親王の系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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114 中御門天皇 | 閑院宮直仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
115 桜町天皇 | 典仁親王 (慶光天皇) | 倫子女王 | 鷹司輔平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
117 後桜町天皇 | 116 桃園天皇 | 美仁親王 | 119 光格天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
118 後桃園天皇 | 120 仁孝天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
桂宮淑子内親王 | 121 孝明天皇 | 和宮親子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東山天皇の孫で、閑院宮直仁親王の第二王子。養母は関白近衛基熙の女の藤原脩子。実母は家女房の讃岐。御息所は中御門天皇の第五皇女の成子内親王。なお、第126代天皇徳仁や秋篠宮文仁親王は雲孫にあたる。
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