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荒川 眞嗣(あらかわ まさつぐ、1964年3月4日[1] - )は、宮城県仙台市出身[1][2]の監督、アニメ演出家、アニメーター。荒川真嗣とクレジットされることがある。
学校法人南光学園東北高等学校を1982年に卒業する。宮崎駿のファンでテレコム・アニメーションフィルムの新人募集に応募して落選するも、大塚康生から亜細亜堂を紹介されて入社する[1]。1985年に亜細亜堂からテレビアニメ『おねがい!サミアどん』でデビュー、1988年にIGタツノコ(現・Production I.G)へ移る。以後、同社を拠点に活動し[3]、シンエイ動画を中心に数多くの他社制作作品に携わる。
1996年からProduction I.Gで押井守が主宰していた押井塾に参加する。いくつもの企画を提出し、同塾で初のA評価を押井守から下された。同塾に参加した神山健治からは「器をまとめるのがうまい」と言われた[4]。
絵柄はペーター佐藤とアニメーターの大川弘義からの影響を受けたとしており、リアルでシンプルな絵柄を好む[3]。1998年、Production I.Gがアニメパートを制作したゲーム『雪割りの花』ではキャラクターデザインと作画監督を担当し、アニメーターの湯浅政明はそのシンプルなデザインがいいと発言していた[5]。
I.Gを離れた後はスタジオロンに在籍し、同社オリジナル作品『大きな瞳のフウ』の監督とキャラクターデザインを手がける予定であったが、同社の閉鎖によって立ち消えとなり、フリーランスに転じる。メインスタッフとして作品に参加する場合は谷津美弥子が、脚本家(シリーズ構成)は、山田隆司・井上美緒(めちゃモテ委員長セカンドコレクションを除く[注釈 1])と組むことが多い。
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