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戦艦、巡洋艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を持っている軍艦のこと。 ウィキペディアから
航空戦艦(こうくうせんかん、en:Battlecarrier)とは、戦艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準じた航空機運用能力を有する軍艦の通称である。
世界の建艦史上に当初から航空戦艦として建造された艦は存在せず、公式な艦種として存在したこともない。 また、竣工・実戦投入された唯一の例である伊勢型戦艦も戦艦からの改装であり[注 1]、日本海軍の艦艇類別等級においては「戦艦」のままであった。
なお、同様に巡洋艦としての火砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を有する軍艦の通称として航空巡洋艦と呼ばれるものもある[注 2]。 これについても当項目で併せて記述する。
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
20世紀初頭から半ばにかけての海軍戦力の中核は、大口径の砲とそれに耐えうる装甲を備えた戦艦であったが、第一次世界大戦における航空母艦の誕生とその後の航空機の発展により、「戦艦の砲撃力と空母の航空運用力を併せ持てば、万能艦となるのではないか?」という発想が各国の海軍関係者や造艦技術者に産まれることになった。
当時の艦載機は実用化されて間もなく、その可能性に大いに期待が寄せられていた反面、航続距離が短く兵器搭載量が僅かだったり、天候による運用上の制約が大きい等の理由で、艦隊兵力としての信頼性が低かった。空母も誕生間もない艦種で運用法が定まっていなかった。海軍の主力であった大艦巨砲と艦載機の組み合わせは大変魅力的であり、各国海軍で様々な運用法を模索する過程で、戦艦と空母を組み合わせた航空戦艦というアイデアが生まれてきたと考えられる。実際に第二次世界大戦前の各国海軍では航空戦艦の設計や提案は多くなされており、実現寸前までいったものもある。
しかし結局のところ新造艦としての航空戦艦は一隻も実現していない。ワシントン海軍軍縮条約において、空母の備砲の制限がなされたからである。ワシントン海軍軍縮条約の主目的は戦艦の新造禁止であったが、航空戦艦のアイディアにより空母の名目で戦艦に匹敵する砲力の艦を建造するという「抜け道」となる事が懸念された為である。条約を締結していない国に対して航空戦艦の提案がなされた事があるが、軍縮条約に参加していない国のほとんどが工業力自体が未熟であり、それらの国では航空戦艦に限らず巡洋艦を越えるサイズの艦の建造すら着手できなかった。更に条約の失効後に於いても航空戦艦の提案はなされたが、その頃には既に空母の運用の経験が蓄積され、純然たる戦艦及び空母の建造〜運用が実用的であるとの結論に至ったものと推察される。
なお、特に“航空戦艦”と称されていなくても、大型の戦艦では多数の水上機搭載・運用能力を持つものもある。例えば大和型戦艦には、船体後部、第三主砲塔から艦尾にかけての最上甲板の下に、上甲板と中甲板の二層にまたがる飛行機格納庫が設けられている[3]。格納庫に零式水上観測機を通常6機(最大8機)収容できた[注 3]。水上偵察機瑞雲もしくは艦上爆撃機彗星なら6機である[4]。露天繋止を合わせると、更に多くの水上機を搭載できた[注 4]。だが特に「航空戦艦」とは分類はされておらず、そう形容されたこともない。最終時の大和は第一航空戦隊に編入されている。
第二次世界大戦後、航空機・ミサイルが海戦の主戦力となった現在、航空機運用能力と強力な固定武装の双方を備えた艦として、ソ連は1143号「クレーチェト」計画重航空巡洋艦・「アドミラル・クズネツォフ」を建造している。これらの艦は現代の航空戦艦と言えない事もない。しかしながらこれらの艦種名はモントルー条約に対しての政治的処置として、「重航空巡洋艦("Тяжёлый Авианесущий Крейсер (ТАВКР, ТАКР) / Tyazholiy Avionosnyy Kreyser (TAVKR, TAKR)")」となっている(詳細は後述「#第二次世界大戦以降」にて)。
太平洋戦争時、航空母艦の重要性が高まるなか、ミッドウェー海戦において正規空母4隻を失った大日本帝国海軍はそれを補完するためのさまざまな方策を模索した。その一つが既存の艦艇の空母への改装である。大和型戦艦を除く全ての巡洋艦以上の艦艇について改装が検討された。
金剛型戦艦は機動部隊への随伴に最適である高速戦艦で、これを改装することは望ましくなかった。また、長門型戦艦は艦隊決戦では大和型に次ぐ威力を発揮すると期待されたため除外された。扶桑型戦艦、伊勢型戦艦はあらゆる面で他国新鋭戦艦群に劣っていることから最有力候補となり、当時伊勢型2番艦「日向」が5番砲塔を事故で失っていたことなどから、伊勢型の2隻(「伊勢」・「日向」)の空母への改装が決定した。
しかし戦局の悪化に伴う資材不足や工業力の低下などにより、改装には5-6ヶ月程度かかると予測され(一説には1年-1年半)、その間工廠の能力の多くを占有することによる他の艦艇の整備や修理への悪影響、また早急に戦列に復帰させる必要性などから、本格的な空母への改装は見送られた。
当初は船体中部から後部の主砲塔4基を撤去し煙突以後を射出甲板にする案もあったが、工期と資材面で断念され、実際の改装は船体後部の5・6番砲塔を撤去し、格納庫と射出甲板を設けることで航空機22機の搭載を可能とした。当初は搭載機として彗星艦上爆撃機が予定されており、カタパルトによる射出にて発艦、攻撃終了後は近隣の航空母艦又は陸上基地に帰投することとなっていた。後に爆撃も可能な水上偵察機であった瑞雲も搭載することになり、瑞雲の場合カタパルトで射出する点は彗星と同様だったが、水上機である特性から海上に着水させ、それをクレーンで甲板に吊り上げて回収することも可能となった。
しかし、搭載すべき艦載機の生産の遅れや台湾沖航空戦での搭載予定の機体の消耗などにより、続くレイテ沖海戦では搭載機無しで海戦に参加するなど、航空戦艦として実際に運用されることは無かった。しかし、レイテ沖海戦後の北号作戦では、その飛行機格納庫が物資積載場所として利用された。戦争末期のアメリカ海軍による呉軍港空襲によって2隻とも大破着底の損害を受け[5]、終戦後解体された。
1926年、ヴィッカース社の軍艦設計部長であったジョージ・サーストン卿がブラッセイ海軍年鑑で複数の案を発表している[6]。サーストン卿はこれに先立つ1923年にもブラッセイ海軍年鑑において“飛行甲板を持つ戦艦”を提唱しており、この1926年案はその際のものを発展させたものである。
前半部分に複数基の主砲塔を搭載、その直後から後部までを飛行甲板と格納庫とし、アイランド形式の艦橋を右舷に設けるレイアウトだった。当時はワシントン海軍軍縮条約下であったため、非条約加盟国向けの提案であったが、どこの国にも採用されることはなかった。
第二次世界大戦中においても、 ライオン級戦艦を元にサーストン卿の案による航空戦艦が計画されたものの、そもそものライオン級戦艦自体が未成であったために単なる机上の案に終わっている。
第二次世界大戦以前に、全通飛行甲板の前後や全通甲板の直下に主砲塔を装備した航空戦艦が提案されたが、建造される事はなかった。なお、この案はアメリカの造船会社ギブス&コックスよりソ連海軍に“ソビエツキー・ソユーズ級戦艦”として提案されたものが知られている(実際にソビエトで建造されたソビエツキー・ソユーズ級戦艦とは異なる)、が、実現する事は無かった。
第二次世界大戦後、1980年代にアイオワ級戦艦が現役復帰する際に、後部にスキージャンプ甲板を設けハリアーを搭載する航空戦艦案があったが、実現することはなかった。
フランス海軍最後の戦艦「ジャン・バール」は、未完成のままナチス・ドイツのフランス侵攻から逃れ自由フランス軍に参加したが、そのままでは戦える状態ではなかった。どのような形で竣工させるかについて戦艦案や空母案、解体廃棄案など幾つか出された案の中に航空戦艦案もあった。前半部に4連装38センチ砲2基、その直後から艦尾まで飛行甲板を設け50機前後の艦載機を搭載すると言うものだったが、費用の面で実用的でないとされ、純然たる戦艦として竣工した。
戦間期においては巡洋艦において航空戦艦と同様の設計とした艦種である“航空巡洋艦”が、航空戦艦と並んで多数が構想された。
ただし、航空巡洋艦においては、航空戦艦の「戦艦の砲撃力と空母の航空運用力を併せ持てば万能艦となる」という着想とはやや異なり、巡洋艦の重要な任務の一つが索敵と哨戒であり、航空母艦も当初は艦隊決戦における主力兵器ではなく主力部隊(戦艦部隊)に先行して索敵や前駆偵察を行うという、巡洋艦と同様の運用を行うことを想定していたため、これを一隻にまとめることは軍縮条約下での保有制限に対処するものとして有用である、という発想からのものである。また、航空母艦も登場当初のものは同様の発想(先行偵察部隊として運用している際に敵巡洋艦部隊と遭遇する可能性がある)から巡洋艦と同様の砲兵装を搭載したが(後述「#砲戦能力を持つ航空母艦」の節参照)、次第に砲兵装よりも航空機の運用能力が優先されるようになったため、これを補完するものとして「高い航空機運用能力を持つ巡洋艦」が求められた、という側面もあった。
船舶としての基本設計の点からも、空母は戦艦よりも巡洋艦に近似する。戦艦の船体は大型で長大な飛行甲板を確保しやすい点を除けば、側面への砲戦むけに防御力面や安定性のため幅広の設計で高速化が難しい点は、発着艦の容易さの面で空母に不向きである。初期の鳳翔、龍驤、フューリアス、インディペンデンス級などは巡洋艦の船体を直接に基にしたものが少なくないことからも、空母自体が航空巡洋艦の派生形と言えなくもない。
このため、航空巡洋艦の設計思想は「巡洋艦と航空母艦の能力を両方持っている艦」としてよりは“巡洋艦と同等の砲兵装を積んだ小型の航空母艦”としての面が大きい。しかし、やはり航空戦艦と同じ問題(結局のところ双方のメリットを活かせない中途半端な存在になる)があり、巡洋艦の枠に収める限り、戦艦に比べて排水量が小さいため上部構造物が大型化することによるトップヘビーの問題が大きくなり、そうしてもなお航空機の搭載能力が少ない上に飛行甲板が短く狭いものになってしまうため「航空機を搭載し運用する艦艇」としては実用に耐えるものになりそうにない、という問題があった。このような理由から、やはり航空巡洋艦も実際には建造されていない。
なお、上述のような「航空母艦の航空機搭載能力と巡洋艦の水上戦闘能力を併せ持った戦闘艦」としてのものではなく、「通常の巡洋艦に比べ水上機の搭載数が多く、水上機関連の装備を充実させた巡洋艦」(水上機母艦としての能力を持つ巡洋艦)という意味での“航空巡洋艦”は、航空戦艦の場合とは異なり、実際に多数建造されており、実戦での活躍例も多い。これは前述のように巡洋艦という艦種は偵察も主任務としており、水上機を多数搭載する事はこの任務に適った運用であり、前述の伊勢型のような「暫定的なものとして水上機の運用能力も拡大した“航空戦艦”」の場合とは違って利点が大きかったからである。
もっとも、航空機の搭載数が多いといっても、同規模の排水量を持つ巡洋艦と比しての相対的なものである。前述の大和型戦艦等、水上機搭載機数の多い大型艦と比較すれば、航空巡洋艦と呼ばれるものであっても航空機の搭載機数が少ない場合もある。また、用途も対潜哨戒や偵察といった補助任務に限定され、搭載機も哨戒機や偵察機が主体であった。
なお、前述のように航空母艦は艦種として誕生した初期のものは巡洋艦と同等の砲兵装を備えていることが一般的であったが、1921年のワシントン海軍軍縮条約、1930年のロンドン海軍軍縮条約によって、航空母艦、巡洋艦共に厳密な定義と制限が設けられているため、これらが“航空巡洋艦”と称されたり公式に区分されたりしたことはない。
ワシントン/ロンドンの両海軍軍縮条約によって、帝国海軍の航空母艦は8万1000トンに制限されるようになり、既に存在する空母4隻(鳳翔、赤城、加賀、龍驤)の排水量を引いた残枠12,630トンのうち、1922年竣工の鳳翔は条約で定められた廃艦艦齢である16年に間もなく達する予定であったため、海軍は鳳翔の代艦分8,370トンも加えた残枠21,000トンを用いた航空母艦2隻の建造を計画した[7]。昭和7年度(1932年度)に設計された基本計画番号G6案では、基準排水量12,000トン、20.3cm連装砲3基6門、12.7cm連装高角砲6基12門、艦上機70機を搭載する航空巡洋艦として計画されており、このG6案が発展した昭和9年度(1934年度)のG8案では、基準排水量10,050トン、20.3cm連装砲1基、三連装砲1基5門、12.7cm連装高角砲10基20門、艦上機100機が要求されている。しかし、この要求を10,000トン余の艦体に収めることは現実的な設計として実現できるものではなく[注 5]、最終的には15.5cm連装砲1基、三連装砲1基5門、12.7cm連装高角砲8基16門、艦上機70機の計画となった[7][8]。このG8案は昭和9年度海軍軍備補充計画(通称・②計画)により建造される予定であったが、建造開始直前の1934年に重装備の結果トップヘビーの設計となった水雷艇が転覆する友鶴事件が発生した影響で、この設計では艦体に比して過大な装備となることが懸念され、最終的には15.5cm砲を搭載しない形に改設計されて建造開始され、航空母艦「蒼龍」として完成した。
艦の後部を航空艤装に充て、多数の水上偵察機を搭載する「航空巡洋艦」としては、建造時より水上機6機を搭載可能な利根型重巡洋艦や、潜水艦隊旗艦として水上偵察機6機(もしくは新鋭水上機紫雲)を搭載可能な「大淀」などがこれに当たる。またミッドウェー海戦での大修理時に後部主砲2基を撤去して航空艤装を装備し、水上機11機を搭載可能となった最上型重巡洋艦「最上」も該当する。
アメリカ海軍では1930年代に、ワシントン海軍軍縮条約下の制限内で正規空母を補完するための戦力として、索敵と前駆偵察を主任務とした巡洋艦を“フライトデッキ・クルーザー(Flight-deck Cruiser)”の名称で計画し、“CF”の艦種記号も策定されていくつかの設計案がまとめられていた。これらはいずれも全長100m超の飛行甲板と、複数の6インチ(152mm)砲塔を備えたものだが、それらの装備を条約の制限下である1万トン以内の排水量に収めた場合、小型にすぎて実用性がないとされ、1940年には計画が中止されている。
アメリカ海軍は第二次世界大戦では多数の小型航空母艦(軽空母/護衛空母)を建造して戦力化したため、「多数の水上機を搭載できる、水上機母艦としての機能を持つ巡洋艦」の必要性がなく、そういった意味での“航空巡洋艦 ”は計画も建造もされていない。
イギリス海軍が特殊任務用に建造した大型軽巡洋艦を改装して1917年に完成させ就役した、世界初の本格的航空母艦である「フューリアス」は、当初は艦橋より前に発艦専用の飛行甲板、後ろに18インチ単装砲を装備していた。同様に特殊任務用大型軽巡洋艦として建造され空母に改装された「カレイジャス」や「グローリアス」とは異なり、元の巡洋艦から空母に移行するまでの最初の時期(1917年3月 - 6月)においては、前方に飛行甲板等の航空運用施設、後方に艦砲という様相であり、艦載機も水上機ではなく固定脚を装備した航空機を運用できるものだった。
ただし、これは意図があってあえて航空機と砲の両方を搭載するものとして設計された訳ではなく、航空母艦という新しい種類の艦を作るための試行錯誤の過程に過ぎない。着艦が事実上不可能なため航空機を運用するには問題が大きく、半年足らずで砲塔は撤去され、それ以降も改装が続けられ航空母艦の基本的レイアウトを確立する。
「フューリアス」は砲の他に533mm水上発射管を3連装4基+連装2基に加え533mm水中発射管単装2基と合わせて魚雷発射管を計18門(片舷斉射数最大9発)装備する“重雷装艦”でもあった。
1930年起工、1934年に竣工した航空巡洋艦「ゴトランド」は、「通常の巡洋艦に比べ水上機の搭載数が多く、水上機関連の装備を充実させた巡洋艦」としての航空巡洋艦の嚆矢となった艦である。
基準排水量4,700tは他国の軽巡洋艦並みかそれより若干小型であるが、水上機搭載数は利根型重巡に匹敵する6機であり、航空巡洋艦の名に相応しいものであった。
ドイツ海軍は1942年に飛行甲板の前方に20.3cmもしくは28cm砲塔を備える"Flugdeck kreuzer"(飛行甲板(付)巡洋艦)の設計を研究している。
これは全通型の飛行甲板を持つ船体の前半部に1基もしくは2基の砲塔を備えるもので、アメリカのフライトデッキクルーザーと同様のレイアウトが想定されていた。これらはいずれも実際の建造計画は行われておらず、あくまで研究の段階を出ないものではあったが、複数の設計案が作成されている[9]。
なお、"Flugdeck kreuzer"の語は、この設計研究で構想された艦艇を指す固有のものとしての他に、当項目で記述しているような「航空戦艦」および「航空巡洋艦」全般を指すドイツ語としても用いられる。
航空母艦という艦種が出現した頃は、航空機の性能が低く天候に左右され、また艦隊決戦が戦争の趨勢を決し、海軍の主力は戦艦であるとされていたため、艦隊行動をとる空母も近接する敵巡洋艦や駆逐艦などに対抗するため、ある程度の砲戦能力は必要とみなされていた。
ワシントン海軍軍縮条約において、空母の備砲の口径は20cm、つまり重巡洋艦の主砲クラスまでに制限された。日本海軍の「赤城」・「加賀」は、就役時には条約の制限枠いっぱいの20センチ主砲を連装砲塔2基(4門)、単装6門の計10門(片舷に向けられるのはその半分)装備していた。しかし前部の中段飛行甲板両脇に設置された20センチ砲塔は、発射の衝撃で飛行甲板先端が損傷するなどのトラブルがあり、改装時に中・下段飛行甲板と共に撤去され、上段飛行甲板が延長されている。「加賀」は改装前と同数の単装10門に変更されたが、「赤城」は6門に減少したままだった。「赤城」・「加賀」と同様に戦艦(巡洋戦艦)から航空母艦に改装されたアメリカのレキシントン級航空母艦も、竣工時は艦橋構造物の前後に8インチ(20.3cm)連装砲を2基ずつ、計4基を搭載した[注 6]。
ドイツの未成に終わった空母「グラーフ・ツェッペリン」は対艦戦闘を考慮して15センチ砲を搭載する設計となっていた。装備数は設計段階から実際に建造された段階まで幾つか変遷しているが、最大で16門の搭載が予定されていた。
第二次世界大戦後は航空機とそれを搭載・運用する航空母艦の発展により「戦艦」という艦種の必要性が失われたこと、更にはミサイルの発達により、従来であれば巡洋艦から大型の駆逐艦程度の規模の戦闘艦に、長射程・大火力の兵装を備えることが可能になり、「戦艦の主砲と航空母艦の航空機運用能力を併せ持つ」という航空戦艦のコンセプト自体にメリットがないものとなった。また、ヘリコプターの実用化により、艦載機としての小型水上機の有用性が失われたため、「水上機を多数搭載して運用できる、航空兵装の充実した艦」という意味での航空戦艦/航空巡洋艦も、水上機の衰退と共に存在意義のないものとなった。
しかし、ヘリコプターを水上戦闘艦に搭載することの有用性は大きく、建造にも運用にも多額の予算の必要なジェット機の運用能力を持った正規空母を保有し得る国は極めて限られたために、空母を保有できるような規模や予算のない国、あるいは政治的理由で空母を保有できない国にとっては、空母の代替として多数のヘリコプターを運用できる能力を持った艦は大変魅力的なものとなった。このため、第二次世界大戦後は水上機に替わってヘリコプターを多数搭載する能力を備えた巡洋艦・駆逐艦(に相当するクラスの水上戦闘艦)が多数建造される事となった。これらは現代における航空巡洋艦の直系の子孫と考えることができるであろう。
無人航空機の発達により、小型ながら長時間の洋上哨戒と攻撃が可能な武装哨戒ヘリコプターが登場したことで、格納庫の制限で有人ヘリが1機しか運用できない艦船にも低コストで追加することが可能となった。S-100などが有人ヘリの補助用として複数国で採用されている。また手投げ式の小型機や民生品のマルチコプターの性能も向上しているため、近距離の洋上哨戒に限れば飛行甲板が無い艦艇でも運用可能である。
海上自衛隊所属のヘリコプター搭載型護衛艦 (DDH) はるな型・しらね型は駆逐艦相当の艦としては異例の3機のSH-60J対潜哨戒ヘリコプターを搭載運用する能力を持っており、搭載機は対潜哨戒、偵察、場合によっては救助や掃海などの任務に従事する。これは事実上、前述の利根型などのコンセプトを引き継いでおり、運用上の実態は現代における駆逐艦に比して、航空駆逐艦とでもいうべき艦種であり、またはつゆき型護衛艦以降のDDクラス護衛艦の艦艇は最低1機ヘリコプターを運用できる航空装備を持つようになった。
なお、後継艦種のひゅうが型護衛艦は全通甲板を持ち、艦砲や対艦ミサイルは搭載しないもののVLSや水雷システムなど自艦火力は高い水準のまま維持しているヘリコプター搭載護衛艦(外観は実質的なヘリ空母となっている)として建造されており、火力が維持されている部分があることを考慮すれば、建造理由こそは違うものの後述のアドミラル・クズネツォフ級空母と近い部分があると言える。一方でいずも型護衛艦の武装はもはや駆逐艦とは呼べないレベルまで削減され、よりヘリ空母らしくなっている。さらに2018年には固定翼機F-35B運用のための改装を行なうと発表された。
ソビエト海軍ではヘリコプターを運用可能な巡洋艦として、1960年代にモスクワ級ヘリコプター巡洋艦を建造した。モスクワ級は艦前部に艦砲や対空・対潜ミサイル発射器を取り付け、中央部に艦橋などの構造物を配し、後部をヘリコプター甲板とするという典型的な航空巡洋艦の形態をしている。
キエフ級V/STOL空母はロシア海軍における分類では重航空巡洋艦であること、飛行甲板は持っているものの、艦の前部には飛行甲板ではなく火砲やミサイル発射機を装備し、主に対潜任務に従事することから、航空巡洋艦と呼んでも支障はない。
アドミラル・クズネツォフ級空母もまたロシア海軍における分類では重航空巡洋艦であるが、こちらは全通甲板を持つこともあり、他国からは航空巡洋艦と呼ばれることはほとんどなく、モントルー条約に対する政治的配慮であると考えられている。ロシア海軍の主張では、空母であるか否かは対艦ミサイルの搭載有無で判断されるという。クズネツォフ級は強力な固定武装(P-700艦対艦ミサイル)を有する大型水上戦闘艦として、むしろ現代の航空戦艦と言うべき性格を持つが、航空機とミサイルの搭載数はその排水量に比して小さい[注 7]。
また、ソビエトが建造したキーロフ級ミサイル巡洋艦には艦尾にヘリコプター飛行甲板があり、エレベーターのある船内格納庫にヘリコプター3機を収容することができる。
イタリア海軍では1964年にアンドレア・ドーリア級ヘリコプター巡洋艦2隻が、1969年に「ヴィットリオ・ヴェネト」が就役しており、これらは戦後のヘリコプター搭載水上艦の先駆けとなった艦である。ドーリア級はAB-204(後にはAB-212)4機を、ヴィットリオ・ヴェネトはAB-212 ASWであれば6機、SH-3 シーキングであれば4機を搭載することができ(最大限に搭載すればその1.5倍の9機/6機を搭載できた[10])「航空(ヘリコプター)巡洋艦」と呼ぶにふさわしい搭載能力を持っている。
21世紀においては3艦とも退役しており、その後継として1980年代初めに軽空母「ジュゼッペ・ガリバルディ」が建造されている。ガリバルディはハリアーやヘリコプターの搭載運用能力を有する傍ら、就航当時は対艦ミサイル発射筒4基を装備するなど高い火力を持っていたが、近代化の際、重量増加の解消のため対艦ミサイル発射機構は撤去された。
またガリバルディの後継艦「カヴール」もVLSや機銃のみならず全通甲板艦でありながら近接防御を目的として2門の艦砲(オート・メラーラ 76mmスーパー・ラピッド砲)を搭載しており、同規模の艦船である日本の海自艦いずも型護衛艦やスペイン海軍艦の「フアン・カルロス1世」と比べて比較的重武装の艦になっている。
イギリス海軍のインヴィンシブル級航空母艦は、当初は指揮巡洋艦(ヘリコプター搭載巡洋艦)として計画されたが、ハリアーSTOVL機の開発に成功し艦載型のシーハリアーを搭載することになったので、軽空母に艦種変更された。
なお、武装に関しては就役当初は冷戦期でミサイル万能主義の時代だったためもあり、シーダート艦隊防空ミサイルの連装発射機が装備されており、空母としてはミサイル巡洋艦クラスの強力な防空火力を持っていた。なお、フォークランド紛争の戦訓からその装備は見直され、就役後期ではシーダートミサイルの発射機は撤去され跡地は飛行甲板の拡充とCIWSの装備箇所に転用されている。
フランス海軍に就役していた「ジャンヌ・ダルク」は、名目上艦種はヘリ空母(ヘリコプター母艦)だが、艦の前半部に複数の速射砲と対艦ミサイル発射機を装備し、中央部の上部構造物を挟んで後半部を飛行甲板とした、前述のソ連のモスクワ級同様のスタイルになっており、航空巡洋艦と呼んでも相違ないものとなっている。
また空母シャルル・ド・ゴールも、全通飛行甲板をもつ純然たる航空母艦の形式でありながら、8セル4基のVLSを装備しており、航空母艦としては比較的高い個艦火力を持っている。
アメリカ海軍では第二次世界大戦時に建造されたフレッチャー級駆逐艦のうち、6隻に対して航空機用カタパルトの装備が計画され、そのうち3隻(「プリングル」「スティーヴンス」「ハルフォード」)に実際にカタパルトが装備された。
しかしこの計画は実際の運用結果が海軍にとって満足できるものとならず、以後の改装は中止され、これら3隻の航空装備も後に撤去された。また「ヘイゼルウッド」はQH-50 DASH 無人対潜ヘリコプターの試験艦として、その格納庫・発着甲板などの航空艤装を設置している[11]。
1970年代に建造されたスプルーアンス級駆逐艦はヘリコプター2機を収容できる格納庫を備えており、1978年に建造が承認された最終号艦であるDD-997 ヘイラーは、格納庫を拡大して3機のSH-3 シーキングもしくは4機のSH-60 シーホークまたはSH-2 シースプライトの運用が可能な航空駆逐艦(DDH)となる予定であったが、建造コストの問題から断念され、他のスプルーアンス級と同様のものとして完成している。
また、イージスシステム搭載艦として計画された原子力打撃巡洋艦(CSGN)には、アングルドデッキを装備してヘリコプター2機と垂直離着陸機6機の運用能力を有する試案が作成されたことがあったが、結局CSGNそのものが高コスト問題からキャンセルされたため、立ち消えとなった。
カナダ海軍のヘリコプター搭載駆逐艦の運用は1963年に行われたサン・ローラン級駆逐艦のDDH改装型より始まり、1972年に就役したイロクォイ級ミサイル駆逐艦は大型の対潜ヘリコプター2機を搭載・運用する能力を備えており、「航空装備が充実した駆逐艦」の雛形の一つである。
また、サン・ローラン級駆逐艦より使用されたベア・トラップ着艦拘束装置は、前述のはるな型護衛艦を始め後のヘリコプター搭載駆逐艦のスタイルに大きく影響するものとなった。
航空戦艦や航空巡洋艦は、実在する艦がほとんどなく、作品オリジナルの設定が創り易いということがあり、またその「主砲と飛行甲板を両方装備している」という特異な点がビジュアル的に映えるということもあり、多くの架空戦記やSF作品などの創作作品に登場する。
作品によっては戦艦空母と表記されることもある。
SF作品においては、全くの架空の存在として創作され、現実の水上艦艇のリアリティに束縛される必要は全く無いため、作中において戦艦または宇宙戦艦と設定されていても多数の航空戦闘機を搭載、あるいは空母と設定されていても強力な火力を有する例が多い。
このシリーズでは固定翼機の運用が可能な戦艦を航空戦艦として分類している。なお通常の戦艦では水上機の運用が可能であるのに対し航空戦艦ではそれが出来ない(敵は可能)。また回転翼機、VTOL機、UFO(ハウニヴ)に関してはいずれの艦種でも運用可能である。
当初はプレミアム艦艇のキアサージのみだったが、2023年現在、アメリカ艦艇の中で航空戦艦ツリーが追加された事で、現行4隻が実装されている。
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