東京都新宿区の町名 ウィキペディアから
新宿区の南東部に位置する。北辺は、住吉町に接する。東部は、荒木町に接する。南部は、四谷三丁目に接する。西部は愛住町に接する。町域内を外苑東通りが縦貫している。また北部は靖国通りが、南部は新宿通りがそれぞれ面してはいないが至近にある。幹線道路沿いは、各種ビルが立ち並んでいるが、道路から離れた町域内の多くは、住宅地となっている。
江戸時代には武家地・寺地だった。初期には全勝寺一帯に杉林が存在し、伐採されて四谷丸太として売り出された。材は舟板としても利用され、全勝寺西隣の全徳寺から現在の新宿通りに至る道は舟板横町と呼ばれた。幕末には近藤勇の養父近藤周斎が隠居している。1872年(明治5年)の町起立の際、舟板横町に因んで四谷舟町と名付けられた。1908年(明治44年)に冠称を外し、町域も変わらず現在に至る。
2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2018年8月時点)[11]。
町域内には鉄道駅はないが、南部は地下鉄丸ノ内線の四谷三丁目駅が、北部は都営新宿線の曙橋駅がそれぞれ至近にあり交通の便は良い。
2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[12]。
経済センサスによる事業所数の推移。
経済センサスによる従業員数の推移。
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