炭坑節
福岡県に伝わる炭鉱労働者によって唄われた民謡『伊田場打選炭唄』が原曲で現在の田川市が発祥といわれる。 ウィキペディアから
福岡県に伝わる炭鉱労働者によって唄われた民謡『伊田場打選炭唄』が原曲で現在の田川市が発祥といわれる。 ウィキペディアから
炭坑節(たんこうぶし)は、福岡県に伝わる民謡である。現在の田川市が発祥といわれる[1]。
もともとは炭鉱労働者によって唄われた明治時代に派生した民謡『伊田場打選炭唄』が原曲[2]で、「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ」の一節で知られる。もともとは盆踊り唄ではなかったものの、戦後全国的に流行してからは伝統的な盆口説などにとってかわって盆踊り唄として唄われるようになった。また、この曲は、元々は春歌だったとも言われる。[要出典]
戦前に座敷唄のレコードが発売されてから、東京方面で炭坑節が流行するようになり、節回しが変化して現在盆踊りでよく唄われる炭坑節になった。1948年(昭和23年)11月にはコロムビアレコードで赤坂小梅、ポリドールレコードで日本橋きみ栄、テイチクレコードで美ち奴、キングレコードで音丸が炭坑節をレコードに吹き込んだが、赤坂小梅のみが座敷唄の節回しであり、あとの3人は流行唄の節回しで唄っている。各社ともレコードは大ヒットし、当時の傾斜生産方式による石炭増産の風潮もあって知名度が高まった。炭労が総評の基幹労組だった昭和30年代には、春闘で炭労幹部が団交のため上京して夜の銀座のバーに乗り込むとジャズやワルツの演奏を止めて炭坑節を演奏したという逸話がある。さらに炭坑節をもとにした「新炭坑節」「新々炭坑節」「月が出た出た」という歌謡曲も作られ、いずれも久保幸江や霧島昇によって唄われヒットしている。
炭坑節が大流行する中で、一部の出版物や歌詞カードに誤記があったことから、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱(1997年3月30日閉山)で生まれたという誤解が広がった。また、伊田町と後藤寺町との間でどちらの炭坑節が元祖かという論争も過熱した。この論争は、伊田が元祖だということで一応は決着がついている。歌詞中の煙突は現在も田川石炭記念公園に保存されている三井田川炭鉱の二本煙突の事と言われている。
全国各地の盆踊りでのスタンダードとなっているものは、鈴木正夫の歌ったものが各地の自治会の間などでのカセットテープによるダビングであるケースが多い。福岡県筑豊では、三橋美智也の歌うものが演奏され、夏祭りの最後を飾る。
またプロ野球の埼玉西武ライオンズは前身が福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズだったため、現在でも炭坑節をチームが勝利した際に応援団が演奏する。
なお、炭坑節の発祥については筑豊地域以外にも諸説ある。
一説として、浪花節から派生した俗曲「奈良丸くずし」(大正2年)[注釈 1] の三番の歌詞「月が出た出た月が出た/セメント会社の上に出た/東京にゃ煙突が多いから/さぞやお月様煙たかろう」は東京・江東区での煙突が並ぶ風景を歌い、のちの炭坑節の元となった[3][4][5]。のち流行するにつれ、情歌・春歌に歌詞が変化していった例もある[6]。
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