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大分県日田市で行われる神事 ウィキペディアから
京都府京都市の祇園祭を手本とした祇園祭の一つ。豆田地区の豆田八阪神社、隈地区の隈八坂神社、及び、竹田地区の竹田若八幡宮(若宮神社)で行われる。
小屋入り(山鉾の建造開始)から薮入り(行事参加者の慰労会)までを合せると二十数日間にわたって行われる行事で、祭典の一環である曳山行事は毎年7月20日過ぎの土日に行われる[1]。この間、巡行を行う山鉾は、豆田地区(港町・下町・中城町・上町)4基、隈・竹田地区(大和町・川原町・若宮町・三隈町)4基と、八坂神社の平成山鉾の計9基[2]。このほか、旧上横町の山鉾1基を合わせて計10基が現存しており、日田祇園山鉾会館には、隈・竹田地区の山鉾4基、平成山鉾1基、旧上横町の山鉾1基の計6基が常時展示されている[3][4]。山鉾以外に、八坂神社と竹田若八幡宮の神輿も行列を率いて巡行する。
四百余年前に、日隈城内にあった八坂神社が日隈城廃城のおりに現在の隈、寺町付近に移され(現八坂神社)、その後厄除け神事が行われるようになった[5]。
寛文年間(1660年 - 1672年)頃にはすでに、杉の葉枝などを盛り、幕で飾った曳山があり、太鼓などで囃して巡行していたと長嶋家の古文書にある[5]。
江戸時代中期の正徳4年(1714年)、南条代官のとき、京都の祇園山・鉾を手本として本格的な山鉾が造られるようになった[6]。
1972年(昭和47年)6月12日に「隈の祇園会」として日田市の無形文化財、1984年(昭和59年)3月30日に「日田祇園会」として大分県の無形民俗文化財、1996年(平成8年)に「日田祇園の曳山行事」として国の重要無形民俗文化財の指定を受けている[1]。また、2016年(平成28年)には「山・鉾・屋台行事」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に選定されている[7]。
山鉾の巡行が行われる1週間前の土曜日深夜に、「神輿洗い」を行う。神輿洗いは、町内に疫をもたらす神を荒神神輿に引き連れて、川で禊を行う神事である[5]。
続いて「流れ曳き」を行い、巡行の安全を確かめる。3日続けて山鉾を曳いてはならないという掟があり、流れ曳きは巡行本番の2日前に行われる[5]。1989年(平成元年)から日田駅前で行われている集団顔見世は、流れ曳きを利用したものである[8]。
曳山行事の本番は、かつては、隈・竹田地区で旧暦の6月10日と6月11日、豆田地区で旧暦の6月14日と6月15日に行われていたが、明治以降は3地区とも旧暦6月13日-15日に統一され、1971年(昭和46年)より、7月20日過ぎの土曜日と日曜日に行われるようになった[8]。
囃子は、文化年間(1804年 - 1818年)に日田郡代の目明であった小山徳太郎が長崎で明笛を習得し、それを祇園囃子として使用したのが始まりである[6]。篠笛を主旋律に、太鼓、小太鼓、三味線で構成され、江戸中期から明治・大正までの俗曲や端唄などを元にした30数曲目が演奏される[5]。特に篠笛は京祇園のものと違い明笛という竹紙を貼るもので、内にこもったような音を出す[9]。
曲目は、山小屋に納める時や出発するときなどに演奏される役物と、通常の巡行中に演奏される道囃子とがある。道囃子はさらに、穏やかな曲調の「十四日もの」と、囃し立てる「十五日もの」とがある。
類似する囃子には浜崎祇園山笠や日田系の吉井祇園・片ノ瀬祇園や九重下旦祇園山鉾のものがある。九重下旦のものは、浜崎祇園の関係者から習ったといわれており、寅市(寅一)など日田のものにはない曲目がある。曲は浜崎のもので曲調・テンポは、日田様という融合した囃子となっている。[要出典]
博多祇園山笠の山笠と同じ岩山笠。[要出典]しかし、博多祇園山笠の系統を引かない独特のもので、これと似た構造を持つものは、大分県九重町恵良、福岡県うきは市(旧吉井町)、久留米市(旧田主丸町)等の日田市の周辺にも分布している[1]。
山鉾の高さは、江戸時代末期には18-20メートル超に及んだとも言われ[2][5]、1884年(明治17年)には高さ10.5メートルの山鉾が登場した[1]。1901年(明治34年)に電線が張られるようになると山鉾巡行が一時中断されたが、1924年(大正13年)に高さを5-6メートルに低くして再開された[8]。1990年(平成2年)には約11メートルのものが復活し(平成山鉾)、これ伴って電線の高架工事が実施された結果、現在、隈・竹田地区の山鉾で徐々に高さが回復し8-10mになっている。豆田町では高さが6-8mと回復の遅れがあるものの[1][7][2]、橋越えのためのブレーキがある下町や、高さが5メートルから8メートルに変形する中城町などの個性がある。[要出典]
歌舞伎の演目などをもとに華題が造られる。岩山に滝、流水、屋形、造花、人形などを左右非対称かつ立体的に配し、背後には赤い布地に伝説上の動物、人物等の刺繍を施した幕を掛け、これを「見送り幕」と呼ぶ。山鉾高欄の下には見送り幕と同じく赤地の布に刺繍を施した「水引幕」を廻らせる[8]。両者は一対にかけるのが正式であるが、見送り幕を掛けずに巡行する場合もある。[要出典]
人形師は長嶋作造であったが、2012年(平成20年)に死去したため、子息の長嶋静雄が中心となって人形製作を担当している[10]。晩山(宵山)では、いくつもの提灯が取り付けられた山鉾が巡行される[8]。
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