Loading AI tools
ウィキペディアから
恵須取町(えすとるちょう)は、日本の領有下において樺太に存在した町。
恵須取という地名は、アイヌ語の「エストル」(岬が長く伸び出ている所)、「エツウトル」(岬の中間)、「エシトリ」(湾の外れにあり、本当に人間の居る所)による[2]。
間宮海峡に面する恵須取川河口に位置する。恵須取支庁が設置され、真岡町と並ぶ樺太西海岸の中心的都市であった。王子製紙(元樺太工業)の製紙工場と炭鉱の町として急速に発展し、1945年(昭和20年)10月1日には市制が施行される予定であったが、ソ連による占領のため実現しなかった。1941年(昭和12年)末の人口は39,026人で、樺太最多の人口をもつ市町村であった。市街地は港湾を中心とする浜市街と鉱山を中心とする山市街に分かれていた。
戦前の建造物はソビエト連邦時代に改築が進み、ほとんど残っていない。現在も残存している物には、旧王子製紙工場や旧恵須取小学校の奉安殿や旧恵須取神社の鳥居や標柱等がある。
以前NHKラジオ第2放送の気象通報では敷香(ポロナイスク)から入電がないときは恵須取からの気象情報を放送していたが「ウグレゴルスク」ではなく「エストル」としていた。近郊(塔路)に日本軍によって建設されたウグレゴルスク空港がある。
|
|
([4])
軽便鉄道である王子恵須取軌道を除いて鉄道は敷かれておらず、省線樺太東線内路駅より省線省営自動車内恵線(107.3キロメートル)のバスで結ばれていた。なお、樺太西線を久春内村から珍内町を経て恵須取まで延伸する計画が存在しており、実際に建設中であったが、ソ連による占領のため、完成に至らなかった。
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.