大石良金
1688-1703, 江戸時代前期の武士 ウィキペディアから
1688-1703, 江戸時代前期の武士 ウィキペディアから
大石 良金(おおいし よしかね、元禄元年(1688年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。幼名は松之丞(まつのじょう)、通称は主税(ちから)。父は大石良雄。母はりく。弟に大石吉之進、大石大三郎。また妹に大石くうと大石るりがいる。本姓は藤原氏。家紋は右二ツ巴。
元禄元年(1688年)に播磨国赤穂藩筆頭家老大石良雄の嫡男として赤穂に誕生。幼いころには疱瘡を患ったという。
元禄14年(1701年)3月14日(4月21日)、主君浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷に及び、浅野長矩が即日切腹、赤穂藩が改易となった時、良金は数え年で14歳であり、元服前だった。
赤穂城を幕府の収城使脇坂安照に引き渡した後、良金の父の良雄は遠林寺において藩政残務処理にあたったが、この間の、5月11日(6月16日)、良金は生母りくや弟吉之進、妹くうとるりの四人を連れてりくの実家但馬豊岡藩家老石束毎公の屋敷へ向かった。この豊岡滞在中に良金は毎公より脇差を与えられた。
その後、7月に良雄が京都山科へ移り住むと、りくや良金たちも山科へ移る。このとき良雄は浪人となった旧赤穂藩士たちから誓紙血判状を受けて、浅野家御家再興運動に尽力中であった。良金は、12月に元服して義盟に加わった。翌元禄15年(1702年)4月、良雄は妻りくを離別して幼い子どもたちとともに再び実家の豊岡へ帰したが、良金は山科に残り父と行動を共にする。
7月、浅野長矩の弟浅野長広の広島浅野宗家への永預けが決まり、浅野家再興が絶望的となると、良雄は円山会議において吉良義央への仇討ち一本に決定。9月19日(11月8日)、良金は良雄に先立って江戸に下り[1]、垣見左内と名乗って江戸では日本橋石町三丁目(現東京都中央区日本橋本町)の宿屋小山屋弥兵衛店に滞在。続いて下向してきた大石良雄もここに入った。
12月15日未明。47名の赤穂浪士は吉良義央の屋敷へ討ち入り、良金は裏門隊の大将を務めた。討ち入りの戦闘は剣豪といわれた若手が多く配属された裏門で殆ど行われ、将としての責任は良金のほうが父より重かった。抜け穴を見つけ自分からとっさに飛び込むなどもして、「若輩なれど見事」と義士のあいだで褒められた。武林隆重が吉良義央を斬殺し、一同がその首をあげて高輪泉岳寺へ引き上げたのち、義士たちは幕府大目付に出頭した。
幕府は赤穂浪士を四大名家にお預けとし、良金は堀部武庸、大高忠雄ら9名と共に松平定直(久松松平家・伊予松山藩)屋敷へ預けられた。松平家では良金らを罪人として厳しく扱った記録が残る[2]。鉄砲まで準備して監視し、見回り番、不寝番を置いた。「火の許不用心」という理由で煙草・暖房具(火鉢など)も禁じた。更にまだ処分も決まってない時期から、全員の切腹における介錯人まで決めてしまった[3]。このことが「細川の 水の(水野忠之)流れは清けれど ただ大海(毛利甲斐守)の 沖(松平隠岐守)ぞ濁れる」(当時の狂歌)[4]と批判された。
翌元禄16年(1703年)2月4日、公儀により赤穂浪士へ切腹が命じられ、良金は同家お預けの10人のうち最初に切腹を仰せ付かった。松平家家臣波賀朝栄の介錯で切腹。生前に泉岳寺埋葬を願書をもって希望し叶えられた。
介錯人が手柄顔で良金の首を振って検使に見せたので、 血が飛び散ったと言われる梅の木が「主税梅」として泉岳寺にある(良金の切腹を見守った堀部武庸の孀婦と自称する堀部ほりが、所有していた鉢植えの梅を移植したものとの異説もある)。享年16。最年少の浪士だった。主君浅野長矩と同じ泉岳寺に葬られた。戒名は刃上樹剣信士。
なお大石親子は、家格が殿様の名代が務める譜代の城代家老(代々世襲)のため、別格扱いで赤穂藩での菩提寺の花岳寺では、良金の戒名には院号の超倫院が付されている。
元服間もないため良金に子はなく、次弟・良以も出家中に若くして病死したため、父と兄良金の顔を知らない(討ち入り当時は、幼児だった)三男・石束大三郎良恭(よしやす)が、後に六代将軍家宣に代替わりに際し大赦され、浅野家芸州広島本家に1500石で仕官して大石姓に戻ることになった。広島の大石氏は品行がよろしくなく[5]、絶家と減封が繰り返されている。
泉岳寺には良雄・良金父子のほか、大三郎から最後の大石家当主・多久造(横田流大石氏)[6]まで大石家歴代の墓[7]が現存している。赤穂の花岳寺では瀬左衛門の信清系(大石無人の子孫)が大石家の祭祀を受け継いだ。
太刀 共国 二尺二寸五分 - 長矩から賜ったもの。泉岳寺住職・酬山の売却により現存しない。
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