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日本の千葉県印旛郡にあった村 ウィキペディアから
ナウマン象発掘の地としても有名である。2000年以降千葉ニュータウンが造成され、北総線の開通によって都心部への利便性が向上したため、人口が増加した。
1960年代、千葉ニュータウンの計画が持ち上がり、印旛村も計画区域に含まれた。しかし時代の変化に伴う計画の遅れから、千葉ニュータウン「いには野」地区(印旛日本医大エリア)の街開きは2000年(平成12年)にようやく行われた。このニュータウンの造成により、新住民が流入し村の人口は増加。また、近隣の成田空港に勤務するパイロット、クルー、整備士などが比較的多く入居したため、住民税や市税などの収入が大きく増えることに結びついた。
1994年(平成6年)日本医科大学千葉北総病院が設置された。この病院は病床数600、診療科17科の大規模な大学病院であり、千葉県北東部、北西部地域の基幹病院となっている。2001年(平成13年)より北総病院は千葉県におけるドクターヘリの基地病院となった。
2000年(平成12年)の北総鉄道・北総線「印旛日本医大駅」開業は、鉄道駅のなかった当村にとって初めての駅となった。これにより都心部へのアクセスは約60分と格段に向上した。
村長:佐藤榮一
印西市・白井市・印旛村・本埜村の2市2村の合併が検討され、2003年4月1日には「印西市・白井市・印旛村・本埜村合併協議会」が設立されていたが、2004年7月の白井市で行われた住民投票で反対票が過半数をしめ、合併計画は白紙となった。詳細は、北総市を参照。
その後、印西市・印旛村・本埜村の1市2村の枠組みで、市町村の合併の特例等に関する法律(新合併特例法)の期限である2010年3月末までの合併に関する話合いを行うために、2008年10月24日印西市・印旛村・本埜村合併問題懇談会が、2009年1月9日には合併協議会が設置された。
合併の期日は2010年(平成22年)3月23日とし、合併方式は印西市に印旛村・本埜村を編入する編入合併となり、新市の名称は「印西市」とすることで、合併申請が行われ、2010年3月5日総務省告示第73号で合併が決定した。
村内の重要文化財(国指定)
番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
1 | 建造物 | 泉福寺薬師堂 | 岩戸1671 | 泉福寺 | 昭和52年6月27日 | 室町時代末期 |
2 | 彫刻 | 木造薬師如来坐像 1躯 木造薬師如来立像 6躯 | 松虫7 | 松虫寺 | 昭和34年6月27日 | 無し |
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