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北海道の河川 ウィキペディアから
佐幌川(さほろがわ)は、北海道中央部の十勝総合振興局管内の新得町および清水町を流れ十勝川に注ぐ一級河川。30あまりの支川を合流する。
指定内容は、以下のとおり[1]。
佐幌岳北方の分水嶺を水源とし佐幌ダムに注ぎ、国道38号沿いに新得駅および十勝清水駅付近を流れ、道東自動車道と十勝川の交点付近となる清水町御影で、十勝川へ西側から注ぐ。
上流は左岸側から一の沢(佐幌ダムで本流に合流)、二の沢(本流)、西佐幌川(三の沢)があり、十勝岳の火砕流を刻む。中下流の右岸には、小林川などの日高山脈から流入する支流が多い。
アイヌ語の「サオㇿオペッ(sa-or-o-pet)」(前・の所・にある・川)」に由来する、とされている[2][3]。
この解釈は山田秀三によるもので、山田は、アイヌ語の地名における、「sa(前)」は、海もしくは大川の方向を指し、「新得や清水町の山側の人たちから見れば、十勝平野とか十勝川本流の方が「前」である。それでこう呼んだのであろうか」、と推測している[2]。
以下の生物の生息が確認されている。
開拓当初(1899年〈明治32年〉ころ)は、佐幌川へ流れる支流を利用し、早くから水力による澱粉製造が行われていた[4]。
鉄道(根室本線として1907年〈明治40年〉に開通)敷設工事に伴う線路用枕木の需要増加に加え、明治時代末期から大正時代初期には、家屋建築による木材需要も高まった。このため、佐幌川流域の国有林の立木の払い下げにより、冬山造材された丸太が、佐幌川を流送されて陸揚げされた[5]。
大正時代末期には酪農が流域で開始され、1928年(昭和3年)に清水町に練乳工場(明治乳業)が設立され、1946年(昭和21年)に北海道農業試験場畜産部(現在の北海道立総合研究機構畜産試験場)が札幌市から移設され、1956年(昭和31年)には、流域の平野が集約酪農地域に指定され、十勝地方の酪農の中心となった。
流入する一級河川は、上流から順に以下のとおり。
(十勝川に流入)
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