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二井 関成(にい せきなり、1943年〈昭和18年〉3月20日 - )は、日本の政治家。山口県知事(第42 - 45代)を務めた。
山口県美祢市生まれ[1]。山口県立山口高等学校を経て、1966年(昭和41年)に東京大学法学部を卒業し、自治省に入省[1]。以降、長崎県(税務課長など)や中小企業庁へ出向した[1]ほか、自治省選挙部政治資金課長補佐等を歴任。
1979年(昭和54年)、山口県総務部財政課長に就任し山口県庁へ入庁[1]。同じ自治省出身の山口県知事・平井龍(当時)のもと、その1期目から5期目まで県の要職に就いた。山口県出納長を務めていた1996年(平成8年)、同職を退任するとともに山口県知事選挙に立候補し、初当選した[1](平井が6期目を模索していたため、二井は平井の意向に沿わない形で立候補した)。平井は自民党党員でありながら吹田愰(元自治大臣=新進党・公明推薦)を陰で支援していた。また当時自民党幹事長代理野中広務が自民党本部としての二井への推薦に反対し県連推薦に止まったが、安倍晋三・河村建夫らの清和研若手代議士や、清和研幹部で現職の自民党総務会長塩川正十郎の熱心な支援が大きな勝因となった。
県知事就任後は「住み良さ日本一の県づくり」を掲げ、「安全」「居住環境」「健康と福祉」「子育て・人づくり」「働く環境」の5分野57指標について目標値を定め、各種政策に取り組んだ[2]。また、「県民力向上」に向けた「ホップ・ステップ・ジャンプ」として山口きらら博(2001年)、国民文化祭(2006年)、おいでませ!山口国体(2011年)などの大型イベントを位置づけ[1]、第23回世界スカウトジャンボリー(2015年開催予定)の誘致を成功させた。
知事4期目からは「住み良さ日本一元気県づくり加速化プラン」および「新・県政集中改革プラン」の「今期限りの総仕上げ」を公言し、2011年(平成23年)12月5日、県議会にて5期目となる次期山口県知事選挙には立候補しない意向を示した[3]。この時点では自民党山口県連などから続投要請があったこともあり、両プランの「達成状況により2月までに最終判断」とし知事退任の明言はしなかった[1]が、翌2012年(平成24年)2月22日の定例記者会見にて、「おおむね満足できる成果となった」として正式に退任を表明[1]、任期満了となった8月21日をもって知事を退任した[4]。
2013年(平成25年)4月1日付けで山口県立美術館および山口県立萩美術館・浦上記念館館長(非常勤)に就任[5]。
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