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山梨県身延町にある仏教寺院 ウィキペディアから
久遠寺(くおんじ)は、山梨県南巨摩郡身延町にある、日蓮宗の総本山(祖山)。山号は身延山。
久遠寺 | |
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本堂、右奥は身延山山頂 | |
所在地 | 山梨県南巨摩郡身延町身延3567 |
位置 | 北緯35度22分54.9秒 東経138度25分29.5秒 |
山号 | 身延山 |
院号 | 妙法華院 |
宗派 | 日蓮宗 |
寺格 | 総本山 |
本尊 | 三宝尊 |
創建年 | 1281年(弘安4年) |
開山 | 日蓮 |
開基 | 南部実長 |
正式名 | 身延山妙法華院久遠寺 |
札所等 |
日蓮上人霊跡 日蓮宗57本山 甲斐百八霊場108番 |
文化財 |
絹本着色夏景山水図(国宝) 絹本着色釈迦八相図、宋版礼記正義 2冊、本朝文粋 13巻(重文)ほか |
法人番号 | 9090005005754 |
文永11年(1274年)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き西谷の地に草庵を構え、法華経の読誦・広宣流布及び弟子信徒の教化育成、更には日本に迫る蒙古軍の退散、国土安穏を祈念した。
弘安4年(1281年)に十間四面の大坊が整備され、日蓮によって「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられたという[要出典]。日蓮は弘安5年(1282年)9月に湯治療養のため常陸(加倉井)の温泉と小湊の両親の墓参りに向かうため身延山を下ったが、途中、信徒であった武蔵国の池上宗仲邸(現在の東京都大田区本行寺)にて病状が悪化したため逗留し、6人の弟子「六老僧」を定めて、同地において同年10月13日に死去した。「いづくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候」との日蓮の遺言に従い、遺骨は身延山に祀られた。当地では足かけ9ヵ年の生活であった。
日蓮の身延山での生活は日蓮遺文に記されており、「人は無きときは四十人、ある時は六十人」とあるように、大人数で生活をしていたと考えられている。各地の信徒より生活必需品が多く届けられ、日蓮はこの身延山をインドの霊鷲山に見立て、信仰の山として位置づけている。遺文の3分の2は身延山での生活する中で執筆されており、日蓮真筆の曼荼羅もほとんどがここ身延山で手がけられている。身延山は日蓮教団における最高の聖地であると位置づけられており、日蓮の遺骨は歴代の法主(住職)により、日蓮の遺言通り今日まで護られている。
室町時代の文明7年(1475年)には、11世法主日朝により、手狭になった西谷から現在地に伽藍が移転された。戦国時代には甲斐国守護武田氏や河内領主の穴山氏の庇護を受け、門前町が形成された。江戸時代には日蓮宗が徳川氏はじめ諸大名の帰依を受け発展し、宗門中興三師と賞される日重・日乾・日遠のころ、身池対論を経て対立する不受不施派を排斥して確固たる地位を確立した。その後、日脱、日省、日亨の三師以降壮大な伽藍を整えて正徳2年(1712年)山内に133坊と最盛期を迎えた。
寛保4年(1744年)下之坊より出火し山内の11坊が焼失した。安永5年(1776年)七面山の諸堂を焼失した。文政4年(1821年)西谷御廟の八角堂と拝殿を焼失した。文政7年(1824年)祖師堂から出火大雨の中13棟が焼失した。文政12年(1829年)五重塔から出火し28棟を焼失し、山内寺中町方の大半も焼失したという。慶応元年(1865年)中谷の仙台坊から出火し支院17坊小堂8棟を焼失し、さらに延焼して上町、中町、上新町、横町、片隅町、下町の計100軒以上が焼失した。その後復興されるも、明治8年(1875年)1月に西谷本種坊からの出火により再び伽藍や寺宝を焼き尽くしたが、74世法主日鑑の尽力とその後の法主等の力により現在に至る。
久遠寺には数多くの経典や典籍・書籍、聖教や古文書類(身延山文書)が所蔵されており、「身延文庫」として一括され身延山宝物館に所蔵されている。身延文庫には「諸宗部」に分類されている他山・他衆により筆記・書写された典籍類も含まれている。
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伽藍は前述のとおり明治8年の大火で焼失し、現在立ち並ぶ堂宇は再建されたものが多い。
東谷塔中
西谷塔中
中谷塔中
久遠寺山内には芭蕉をはじめいくつかの句碑がある。
奥之院思親閣参道
七面山参道
南谷塔頭
東谷塔頭
中谷塔頭
西谷塔頭
上ノ山塔頭
七面山道
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日蓮宗では昭和16年(1941年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。久遠寺は900以上の末寺を有したという。
以下の建造物19件は、2018年5月10日に国の登録有形文化財に登録された[2][3]。
以下の建造物8件は、2020年8月17日に国の登録有形文化財に登録された[4][5]。
昭和48年より開設された久遠寺独自の僧侶育成機関[6]。時代に対応し、かつ即応できる僧侶の育成を目指すもので、身延山高校・大学の在院生とは別枠でおよそ1年間の寄宿生活(現在は3月入場、翌年の4月に修了)をする。一般的な「実習生」ではなく「実修生」と表記するのは「自ら修める意であり、進取の気性を持ち、与えられたもの与えられないものの双方を自ら求め、広く学びとるように心掛けること」に由来する。高卒程度の学歴があって日蓮宗の僧侶を志す者[注釈 1]であれば誰でも志願できる(師僧同伴の面接はある)ため、寺院への婿入り等で社会人から僧侶を志す者など在家の入場者も多い。また、既に教師認証を受けて日蓮宗僧侶になった者でも法要・法話の実績を積む為に入場することが可能である[注釈 2]。開設当初からは男子しか入場できなかったが、令和2年からは女子の僧道実修生制度も開始された(こちらは10月入場で、約半年間)。
自家用車なら登山口まで乗りつけ麓に駐車、公共交通機関利用時は身延駅(身延線)または飯富(中央高速バス)から早川町乗合バスかタクシーで七面山登山口下車。登山口からは全行程を徒歩で登る。登山道は険しく急坂ではある。冬場の参拝参籠は寒さが厳しく参道が雪道であるため要注意。
宿坊での食事は精進料理のみで、肉魚等の持ち込みも禁止されている。
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