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鎌倉時代の日蓮宗の僧 (1253–1314) ウィキペディアから
日向(にこう、建長5年2月16日(1253年3月16日)- 正和3年9月3日(1314年10月12日))は、鎌倉時代の僧侶、日蓮六老僧の一人である。佐渡公、また民部阿闍梨・佐渡阿闍梨とも[1]。日蓮宗総本山身延山久遠寺二世[2]、藻原妙光寺(今の藻原寺)二世[3]。日向の流れを、身延門流・日向門流または藻原門流という[4]。
生まれは、安房国男金[5]、もしくは上総国藻原[6]と諸説ある。13歳で日蓮に入門して出家得度してからは常にそばにいて仕える[1][7]。行学に励み弁舌に優れ、日蓮門下の「論議第一」と称された[1][7]。建治2年(1276年)、使者として日蓮の師道善房の墓前に赴き、日蓮による師追悼のための著述『報恩抄』を代読している[1][7]。同じく六老僧の一人である日興が執筆した『宗祖御遷化記録』に、「佐土公 日向」とその名を確認することができる[8]。正和2年(1313年)、身延山を日進に譲り、上総国の藻原に隠居するも、その翌年に62歳で死去した[1][7]。
著作に『金綱集』がある[1][7]。なお、日蓮の法華経講義を日向が記録したものとして『御講聞書』があげられるが、現代では同書は日向の名を借りたものと考えられている[9][10]。
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