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中部 慶次郎(なかべ けいじろう、1933年2月23日 - 2007年9月17日)は、日本の実業家。マルハ(現・マルハニチロ)元会長、プロ野球球団・横浜ベイスターズ元オーナー。山口県下関市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。
林兼商店(1943年に大洋漁業に改称)常務だった中部謙吉の三男として出生。母は山口の素封家・木梨辰次郎の次女・慶子(謙吉の前妻)。祖父はマルハの礎を築いた中部幾次郎。長兄の中部謙次郎は幾徳学園理事長、次兄の中部藤次郎は大洋漁業社長をそれぞれ務めた。末弟の中部謙はマルハ常務を経て、マルハニチロ副社長を務めた。大洋漁業2代目社長で大洋球団初代オーナーの中部兼市は伯父で、マルハニチロの兄弟会社である林兼産業会長を務めた中部利三郎は叔父にあたる。[要出典]
大学卒業後の1955年、父・謙吉が社長を務める大洋漁業に入社。1963年大東通商常務取締役、1976年大東通商代表取締役社長。1987年兄・藤次郎の社長在職中死去を受け大洋漁業代表取締役副社長に就任、1989年大洋漁業代表取締役社長に就任。1993年には社名をマルハと改称した。[要出典]
社長就任の翌1990年3月からは従兄弟の中部新次郎の後を受け、横浜大洋ホエールズのオーナーに就任。1992年11月からは、先述の社名変更を機に地域密着を深め独立採算制を進めるため、球団名から企業名を外し「横浜ベイスターズ」にチーム名を変更。ベイスターズとしての初代オーナーとなったが、2002年に親会社マルハの業績不振のため、持っていた球団株を全てTBS(現・TBSホールディングス)、BS-i(現・BS-TBS)に譲渡し、球団を手放すことになった。[要出典]
2007年9月17日、肺癌のため東京都港区の病院で死去。享年74。[要出典]
長男は大東通商代表取締役社長兼マルハニチロ社外取締役の中部由郎。甥は幾徳学園理事長の中部謙一郎。孫はロス・インディオスの香嶋優貴(本名:中部優貴)。[要出典]
妻はヒゲの軍人として知られた長岡外史の孫娘で、朝吹英二・朝吹真理子らの朝吹家や石井光次郎(娘の一人が朝吹家に嫁ぐ)、日立製作所創業者で立憲政友会総裁を務めた久原房之助は中部の縁戚にあたる(久原の娘婿・濱口慎七郎の姪が従兄弟の中部一次郎に嫁いでいる)。また、姉夏子は母方の従兄弟である児島光雄(父は東京大学教授の児島喜久雄)に嫁ぎ、光雄の妹は宮澤喜一元首相の弟・宮澤泰に嫁いだ。もう一人の母方従兄弟(母方の叔父で大洋漁業取締役を務めた木梨信彦の長女)は運輸大臣を務めた江藤智の長男に嫁いでいる。従兄弟でマルハグループの重役を務め、アマゴルファーとしても活躍した中部銀次郎は尾道造船創業者一族の浜根家から夫人を迎えており、銀次郎の兄の中部一次郎はヤマサ醤油の濱口家から夫人を迎えている。従兄弟・新次郎の息子の妻は明石照男の孫娘(すなわち渋沢栄一の曽孫)で、従兄弟・鉄次郎の妻は尾張徳川家分家の当主で昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の長女にあたり、中部家は徳川家の係累を通して天皇家と縁戚となった。[要出典]
これ以外にも鳩山一郎・鳩山由紀夫・小川平吉・岸田文雄・鈴木善幸・麻生太郎・正田英三郎・安西孝之・三木武夫・齊藤了英・藤山愛一郎・田中角栄・田中直紀・池田勇人・池田行彦・中曽根康弘・5代目太田清蔵・太田誠一・櫻内義雄・福田赳夫・福田康夫・津軽義孝・中内㓛・坂野常礼・宮原旭・清水満昭・豊田章一郎・豊田達郎・飯田新一・鮎川義介・西園寺公望・橋本龍太郎・河野洋平・河野太郎・久邇宮邦彦王・仙石政敬・梅溪通虎・正力亨・池坊専永・五島昇・大隈信幸・北野隆興・竹中統一・米内光政・竹下登・金丸信・小沢一郎・山本権兵衛・松方正義・山下亀三郎・岡崎忠・伊藤次郎左衛門・下条進一郎・安倍晋三・安倍晋太郎・岸信介・佐藤栄作・佐藤信二・木内重四郎・岩崎弥太郎・加藤高明・幣原喜重郎などと縁戚関係にある。[要出典]
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