上磯郡
北海道の郡 ウィキペディアから
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上磯郡(かみいそぐん)は、北海道(渡島国)渡島総合振興局の郡。
人口7,420人、面積418.62km²、人口密度17.7人/km²。(2024年7月31日、住民基本台帳人口)
以下の2町を含む。
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、木古内町および北斗市の一部(追分、久根別、中野通、清川、野崎、戸切地以南)を加えた区域にあたる。知内町は明治14年(1881年)に福島郡から編入された区域である。
室町時代までに道南十二館のうち中野館・茂別館が築かれていた。茂別館は応仁の乱のちょうど10年前の1457年(康正3年、長禄元年)に起きたコシャマインの戦いの際も、落城しなかった館のひとつである。七重浜では松前藩祖・武田信広公がコシャマイン親子を討取り、その後戦いは散発したものの蜂起は平定された。
江戸時代の上磯郡域は和人地となっていた。陸上交通は、津軽郡の松前と亀田郡の箱館を結ぶ奥州街道(松前道)が東西に走り、木古内から檜山郡の上ノ国までは木古内山道が通じていた。寛永18年には木古内村に真宗大谷派函館別院の前身の阿弥陀堂が建立されたが、これは宝永7年亀田郡の箱館(函館)に移転している。
上磯郡は当初松前藩領とされていたが、江戸時代後期の文化4年、上磯郡域を含む渡島国域が天領とされた。文政4年いったん松前藩領となり、安政元年には野崎に戸切地陣屋が築かれたが、安政2年、上磯郡域は再び天領とされ松前藩が警固を行った。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年8月15日、大宝律令の国郡里制を踏襲して上磯郡が置かれた。
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