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ロジャー・グローヴァー[注釈 1](英語: Roger David Glover、1945年11月30日 - )は、ウェールズ出身のベーシスト、キーボーディスト、音楽プロデューサー。身長175cm。
ロジャー・グローヴァー | |
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ディープ・パープル - ドイツ・ハンブルク公演 (2017年3月) | |
基本情報 | |
出生名 | Roger David Glover |
生誕 | 1945年11月30日(78歳) |
出身地 | ウェールズ ブレコン |
ジャンル |
ハード・ロック ヘヴィメタル ブルースロック プログレッシヴ・ロック ニュー・ウェーヴ |
職業 |
ミュージシャン ベーシスト ソングライター キーボーディスト 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
ベース キーボード ギター ピアノ ハーモニカ |
活動期間 | 1964年 - 現在 |
共同作業者 |
エピソード・シックス ディープ・パープル レインボー |
公式サイト | rogerglover.com |
著名使用楽器 | |
Vigier Guitars シグネイチャーモデル |
ハードロック・バンド「ディープ・パープル」のメンバーとして知られる[1]。2016年、ディープ・パープル名義でロックの殿堂入り[2]。
1945年、サウス・ウェールズのブレコンで生まれる。本名ロジャー・デヴィッド・グローヴァー。9歳頃からピアノのレッスンを受け、10歳で家族と共にロンドンに移住。この頃からロック・ミュージックに興味を持ち、13歳でギターを始め、16歳の時に最初のベースである赤いホフナー・ソリッド・モデルを手にする。
いくつかのアマチュア・バンドを経て、1964年7月にエピソード・シックスに加入して[3]プロ・デビューを果たす。エピソード・シックスは1965年5月にイアン・ギランを迎えて[4]、シングル・レコードを数作発表したが、チャート入りには至らなかった。
1969年7月、リッチー・ブラックモアの誘いによりギランと共に第2期ディープ・パープルに加入し[5]、黄金期の屋台骨として活躍。しかしメンバー同士の軋轢に巻き込まれ[6][注釈 2]、1973年6月23日に始まった2度目の日本公演が終了した翌日の6月30日に、ギランと共に脱退した[7]。
ディープ・パープルが設立したレコード会社「パープル・レコーズ (Purple Records) 」のスタッフとして、音楽プロデューサーの活動を始める。1970年代にはナザレス、エルフ、ステイタス・クォー、ジューダス・プリースト、デイヴィッド・カヴァデール、イアン・ギランなどのアルバムを手がけた。
1974年11月に初のソロ・アルバム『バタフライ・ボール』を発表[8]。翌年の10月16日にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにて公演が行なわれ[9]、その映像は後にDVDとして発表された。1978年4月、2作目のソロ・アルバムとして壮大なインストゥルメンタル組曲『エレメンツ』を発表[10]。
1979年、ブラックモアの誘いによりレインボーに参加して[11]、ベーシスト、作詞家、プロデューサーとして貢献。
1984年4月、ディープ・パープルが第2期メンバーによって再結成され、グローヴァーも参加[注釈 3]。彼は2023年現在も、ギラン、イアン・ペイスと共に在籍して活動している。
2006年、ドリーム・シアターがディープ・パープルのライブ・カヴァー・アルバムを発表した際にはプロデューサーとしてこれに関与した[12][注釈 4]。
かつてはフェンダー・プレシジョン・ベース、リッケンバッカー社の4001モデル、ギブソン・サンダーバード、ピーヴィー等を駆使していた。近年はフランスのヴィジェ (Vigier Guitars)社によるシグネイチャーモデルを使用。
※アルファベット順
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