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イタリアの脚本家、映画監督 (1924-1998) ウィキペディアから
マッシモ・フランチオーザ(Massimo Franciosa, 1924年7月23日 - 1998年3月30日)は、イタリアの脚本家、映画監督である。「イタリア式コメディ」の脚本家として知られる。
1955年、マウロ・ボロニーニ監督の映画『Gli innamorati』の共同脚本に参加し、脚本家としてデビューする。同作以降、ほとんどすべての作品をパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレと共同執筆している。1958年、マウロ・ボロニーニ監督の『若い夫たち』で第11回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞する。初期のディーノ・リージ、あるいはルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』(1960年)と『山猫』(1963年)の脚本に参加する。1963年、「イタリア式コメディ」の傑作、マルコ・フェレーリ監督の『女王蜂』の共同脚本に参加する。またナンニ・ロイ監督の1961年製作の作品『祖国は誰のものぞ』で、1964年の第37回アカデミー賞アカデミー脚本賞にノミネートされている[1]。
1963年、盟友パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督と共同で『つかの間の恋心』を演出し、映画監督としてデビューする。しばらくカンパニーレと共同監督をつづけたが、1971年、ソロで監督した『Per amore o per forza』以来、監督業はやめて脚本に専念した。9本の監督作がある。
1998年3月30日、ローマで心臓発作により死去。73歳没。70本におよぶ脚本を書いた。遺作はトニーノ・チェルヴィ監督のテレビ映画『Butterfly』(1995年)の脚本であった。
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