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韓国のプロ野球球団 ウィキペディアから
起亜タイガース(キア・タイガース、韓国語:기아 타이거즈、英語:Kia Tigers)は、KBOリーグに所属する韓国のプロ野球チームである。ホームタウンは光州広域市。本拠地は同市内の光州KIAチャンピオンズフィールド。オーナーは鄭夢九(チョン・モング、現代自動車グループ会長)。スポンサーは現代自動車グループ傘下のKIA。「起亜」は、「KIA」と表記されることもある(後述)。
起亜タイガース | |
---|---|
Kia Tigers | |
創設 | 1982年 |
ロゴデザイン | |
所属リーグ | |
KBOリーグ | |
歴代チーム名 | |
| |
本拠地 | |
光州KIAチャンピオンズフィールド(光州広域市北区) | |
収容人員 | 27,000人 |
永久欠番 | |
7・18 | |
獲得タイトル | |
シリーズ優勝(12回) | |
1983・1986・1987・1988・1989・1991・1993・1996・1997・2009・2017・2024 | |
成績(タイトル以外) | |
日韓クラブチャンピオンシップ出場(1回) (太字は優勝、斜体は準優勝) | |
2009 | |
シリーズ出場(12回) (太字は勝利した年) | |
12勝0敗 1983・1986・1987・1988・1989・1991・1993・1996・1997・2009・2017・2024 | |
プレーオフ出場(6回)(太字は勝利した年) | |
2勝4敗(太字は勝利した年) 1987・1989・1990・1992・2002・2003 | |
準プレーオフ出場(4回)(太字は勝利した年) | |
0勝4敗 1994・2004・2006・2011 | |
球団組織 | |
オーナー | 鄭夢九(チョン・モング、現代自動車グループ会長) |
運営母体 | KIA |
KBO創設メンバー6チームの一つ。1982年にヘテ製菓傘下の「ヘテ・タイガース」として創設され、1983年から1997年までの15年間で9度のKBOリーグ優勝を誇る強豪であった(その後は2度の優勝で、計11回の優勝は史上最多)。2001年8月よりKIAの関連会社となり現チーム名となった。
1982年プロ野球発足の時、オーナーの出身地である当時の全羅南道光州広域市を本拠地に創設。初年度は選手構成にも苦しむほど貧しい戦力で苦戦を強いられた。結局1982年は4位に終わったものの、翌年の1983年、強打を前面にだしてMBC青龍を下して初優勝を飾った。
1985年までは打線に比べて投手力が劣り、再び優勝争いから遠ざかっていた。1985年後半宣銅烈の入団とともにチームは常勝球団へと変貌し始めた。その後も、当時のルールだった地域優先ドラフトのおかげでフランチャイズの全羅南北道地域出身の優秀な選手たちを独占的に確保し、王者の戦力を保つことができた。その後、1986年から1989年にかけて韓国シリーズ4連覇と韓国初の連覇を達成。1996年から1997年にかけても韓国シリーズを連覇、2度目の連覇も韓国初だった。1983年から1997年の15年間、韓国シリーズに9回出場して、全て勝利している。
しかし、1997年シーズンオフに訪れたアジア通貨危機は一時代を築いた名門チームの運命を変えることになった。親会社のヘテグループはもともと食品事業を軸にしていて規模も小さく、ほかの球団の親会社と比べてチームへの支援は貧しい方だった。FA制度など存在しなかった当時の制度の下で、幾度も優勝を重ねた優秀な選手たちの年俸を極力押さえてチームを維持してきたが、この経済危機の影響で経営難に陥り、普段でも十分ではなかったチームへの支援が断たれてしまった。それで、チームは主軸選手のトレードで得たトレードマネーで運営費に充てる事態にはまり、それまで築いてきた戦力はあっという間に解体されて弱体化の道を進むようになった。
チームを支えた選手たちがトレードやFAなどでチームを去り形骸化。最後の優勝からたった2年間で最下位候補の一角にまで成り下がった。そして、ついに18年間チームを指揮した金應龍(キム・ウンヨン)監督までもが2000年シーズンの後三星ライオンズに移籍。戦える戦力を備える事のできなかったチームは、18年間チームを指揮して9度優勝に導いた名将に残留を嘆願することすらできないほどだった。金応龍が去った後は、かつてのチームの中心打者で当時コーチを務めていた金城漢(キム・ソンハン)が監督に就任。金城漢はチーム最初の生え抜き監督になる栄光を手にしたが、チームの前途は依然として暗いままだった。
2001年シーズンまでタイガースの売却先を見つけ出せないまま、主力選手の金銭トレードで当てた運営資金も底をつき、9度優勝を誇る名門球団の存続すら危うくなっていた。同年7月、各方面の努力の結果、本拠地光州に組み立て工場を持っている現代-起亜自動車グループが球団の買収に合意[1]。シーズン途中の8月にチーム名を起亜タイガースへと変更した。タイガースのニックネームは、その名に9度優勝の歴史が重く圧し掛かっていて、その歴史に誇りを持っている地元ファンを配慮して、そのまま引き受けることにした。韓国プロ野球では球団買収と同時にニックネームまで変えるのが一般的であるが、タイガースだけは他のチームとは違って、名称が継承された。
2001年シーズン途中タイガースを買収した起亜自動車は、中日から退団した李鍾範(イ・ジョンボム)を復帰させる他、翌年から現代-起亜自動車グループの資金力を基に戦力補強の着手。ヘテ時代末期の弱体化された戦力を強化して昔の栄光を取り戻そうとした。
その甲斐もあって、2002年、2003年は2年連続でレギュラーシーズン2位でポストシーズンに進出した。しかし、両年ともプレーオフで敗退。2004年はレギュラーシーズン4位で準プレーオフ出場もまた敗退。2005年は序盤から不振で、ヘテ時代から数えても球団史上初のシーズン最下位に転落した。2006年は投打ともに建て直しに成功し、斗山ベアーズとの激しい4位争いを制し準プレーオフへ出場したがハンファ・イーグルスに敗退した。
ヘテ時代は韓国シリーズ9度出場で全部勝利、一見ポストシーズンに強そうな印象を与える同チームだが、意外にも韓国シリーズ以外のステージでは弱く、ヘテ時代から通算するとプレーオフ・準プレーオフ・ワイルドカード決定戦(2015年から導入された)のステージでは2勝9敗である。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ、準プレーオフの試合で7連敗を記録した(2002年のプレーオフ第5戦、2003年のプレーオフで3連敗で敗退、2004年の準プレーオフで2連敗で敗退、2006年の準プレーオフ第1戦)。
ヘテ時代の偉業が余りにも強く影響をしていて、ファンからは韓国シリーズ出場すらできない状態に不満を持った過激派のファンたちが球団の公式ホームページの掲示板などを通じて「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテと起亜は別のチームだ」、「起亜に栄光なるタイガースを名乗る資格はない」などと苛立ちを募らせたりしていた。
2007年においても5月頃から最下位に低迷したことで、ファンの間で球団のチーム復興への意地を疑う動きが極まれ、団長や監督など球団首脳部が球団の公式ホームページの掲示板や球場外野席の横断幕で激しい非難の声に曝された。これに対して、球団側がホームページの掲示板を一時閉鎖し、名誉毀損の疑いで数人のファンに対して訴訟を起こすなどの事態にまで発展した。
こういう不満に加えて、老朽化した本拠地の無等球場に代わる新球場の建設を求める声も大きくなっているが光州市側は予算の問題を挙げて新球場の建設を渋っていた。
2007年は2年ぶり2度目の最下位に終わり、契約が1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン)監督を解任。SKワイバーンズを韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺凡鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッドコーチを監督に昇格させてデータ重視の野球でチームカラーの刷新を狙い、また崔煕渉(チェ・ヒソプ)、徐在応(ソ・ジェウン)、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手の思い切った補強を行い、シーズン開幕直前予想では前年優勝のSKワイバーンズに対抗する強力な優勝候補の一角とまで評された。しかし、これらのメジャーリーグ出身選手たちが揃って故障および不振に陥り、崔煕渉、徐在応は戦線離脱と2軍落ちを繰り返し、リマはシーズン途中解雇されるなど、期待を大きく裏切った。結果6位で上位進出はならなかった。
2009年は開幕前さして下馬評は高くなかったが、中盤まで上位につけると、夏場になり7月末から8月中旬までの11連勝で波に乗り、首位に立ちそのまま12年ぶりのレギュラーシーズン優勝を飾った。その背景としてはリック・ガトームソン、アキリーノ・ロペスの両外国人投手の活躍で最強の先発投手陣ができあがったこと、LGツインズから4月後半トレードで移籍した金相賢(キム・サンヒョン)、元メジャーリーガーの崔煕渉が本塁打を量産したことなどがある。またチームの快進撃により本拠地の光州・無等野球場は何度も入場券が完売する満員御礼となり、ビジターのソウル・蚕室野球場などにも大勢の起亜ファンが押しかけ、かつてないプロ野球人気の向上に大きく貢献した。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝3敗で破り、ヘテ時代以来12年ぶりの韓国シリーズ優勝を成し遂げた。同年11月14日、読売ジャイアンツとの日韓クラブチャンピオンシップにも出場したが4 - 9で敗れた。
2010年は金相賢など主力選手の故障、ロペスの不振、また2009年限りで退団したガトームソンの穴を埋める外国人投手に恵まれなかったことや、6月から7月にかけての球団ワースト記録となる16連敗もあり、5位にとどまりポストシーズン進出に失敗し、韓国シリーズ連覇はならなかった。2011年はレギュラーシーズン4位となり、2年ぶりにポストシーズンへ進出したが、準プレーオフでSKに敗れた。同年10月18日、曺凡鉉監督が契約期間を1年残して辞任し、宣銅烈が2012年より17年ぶりに古巣へ復帰し監督に就任することが発表された。2012年3月末、4月7日のレギュラーシーズン開幕を前に長年チームの顔だった李鍾範の現役引退が発表され、同年5月26日、李鍾範の盛大な引退式が行われた。同年は5位で2年連続ポストシーズン進出に失敗した。9球団制となった2013年は8位、2014年も2年連続8位と下位に低迷し、同年で宣銅烈監督は辞任した。
2014年10月、金杞泰監督が就任した。2015年は10球団制にプロ野球が拡大する中、7位だった。2016年はレギュラーシーズン5位で5年ぶりにポストシーズンへ進出するも、ワイルドカード決定戦でLGに敗れた。2017年は8年ぶりにレギュラーシーズンで優勝し韓国シリーズでは斗山ベアーズをやぶり11度目の優勝を達成した。2018年はレギュラーシーズン5位でポストシーズンはワイルドカード決定戦から出場したが、ネクセン・ヒーローズに敗れた。2019年5月16日、最下位に低迷していた責任を取って金杞泰監督が辞任、朴興植監督代行が就任し、同年は7位で終えた。
2019年10月15日、初の外国人監督マット・ウィリアムズが就任した。2020年は6位、2021年は9位で同年11月1日、マット・ウィリアムズ監督は契約解除となった。2021年12月5日、金鍾国監督が就任した。
2022年は5位で4年ぶりにポストシーズンへ進出するもワイルドカード決定戦でKTウィズに敗れた。2023年は6位だった。
2024年1月29日、収賄などの嫌疑により金鍾国監督が解任され、同年2月13日、李杋浩監督が就任した。同年は7年ぶりのレギュラーシーズン優勝、12回目の韓国シリーズ優勝となった。
1982年の球団創設以来の光州無等総合競技場野球場の横で新球場・光州起亜チャンピオンズフィールドが2013年末に完成し、2014年シーズンから使用している。ダグアウトは3塁側がホーム、1塁側がビジターチームに変更している。
기아(キア)の漢字表記は「起亜」だが、発音とハングル表記が同じ「飢餓」との混同を避けるため、韓国での公式表記は「KIA타이거즈(タイガース)」である。親会社である起亜自動車が生産する自動車にも英語表記を用いている。
背番号 | 名前 | 読み | 役職 |
---|---|---|---|
71 | 李杋浩 | イ・ボムホ | 監督 |
68 | 孫勝洛 | ソン・スンラク | 首席コーチ |
75 | 曺宰栄 | チョ・ジェヨン | 作戦兼走塁コーチ |
80 | 李賢坤 | イ・ヒョンゴン | 作戦コーチ |
74 | 金周燦 | キム・ジュチャン | ベンチコーチ |
73 | 鄭載勲 | チョン・ジェフン | 投手コーチ |
77 | 洪世完 | ホン・セワン | 打撃コーチ |
76 | 朴基楠 | パク・キナム | 守備コーチ |
未定 | 金玟佑 | キム・ミンウ | 守備コーチ |
83 | 中村武志 | バッテリーコーチ | |
85 | 李東杰 | イ・ドンゴル | ブルペンコーチ |
72 | 金相勲 | キム・サンフン | 戦力分析コーチ |
なし | 朴昶玟 | パク・チャンミン | 総括トレーニングコーチ |
なし | 曺喜栄 | チョ・ヒヨン | ATコーチ |
なし | 朴準緒 | パク・チュンソ | ATコーチ |
なし | 鄭鍈 | チョン・ヨン | ATコーチ |
なし | 丁湘玉 | チョン・サンオク | ATコーチ |
なし | 黄鍾顯 | ファン・ジョンヒョン | ATコーチ |
背番号 | 名前 | 読み | 役職 |
---|---|---|---|
93 | 徐徳源 | ソ・ドクウォン | 投手コーチ |
91 | 金石連 | キム・ソクヨン | 打撃コーチ |
81 | 尹該賑 | ユン・ヘジン | 守備コーチ |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
0 | 郭道圭 | クァク・トギュ | 左 | 左 | |
4 | 劉志成 | ユ・ジソン | 左 | 左 | |
10 | 柳承澈 | ユ・スンチョル | 右 | 両 | |
13 | 尹映喆 | ユン・ヨンチョル | 左 | 左 | |
17 | 林起映 | イム・ギヨン | 右 | 右 | |
19 | 尹重鉉 | ユン・ジュンヒョン | 右 | 右 | |
20 | 李焌寧 | イ・ジュンヨン | 左 | 左 | |
21 | 金仕奫 | キム・サユン | 左 | 左 | |
24 | 金昇賢 | キム・スンヒョン | 右 | 右 | |
28 | 金珉渽 | キム・ミンジュ | 右 | 右 | |
31 | 朴峻杓 | パク・ジュンピョ | 右 | 右 | |
32 | 金賢洙 | キム・ヒョンス | 右 | 右 | |
33 | 李炯範 | イ・ヒョンボム | 右 | 右 | |
36 | 姜而俊 | カン・イジュン | 右 | 右 | |
38 | 金燦民 | キム・チャンミン | 右 | 右 | |
39 | 崔智旻 | チェ・ジミン | 左 | 左 | |
40 | ジェームズ・ネイル | 右 | 右 | ||
41 | 黄銅夏 | ファン・ドンハ | 右 | 右 | |
43 | 金建局 | キム・ゴングク | 右 | 右 | |
45 | 金旼柱 | キム・ミンジュ | 右 | 右 | |
46 | 張珉綺 | チャン・ミンギ | 左 | 左 | |
48 | 李義理 | イ・ウィリ | 左 | 左 | |
51 | 全相炫 | チョン・サンヒョン | 右 | 右 | |
53 | 金技訓 | キム・ギフン | 左 | 左 | |
54 | 梁玹種 | ヤン・ヒョンジョン | 左 | 左 | |
60 | 金道炫 | キム・ドヒョン | 右 | 右 | |
62 | 鄭海英 | チョン・ヘヨン | 右 | 右 | |
63 | 李柗賛 | イ・ソンチャン | 右 | 右 | 育成選手 |
65 | 張宰赫 | チャン・ジェヒョク | 右 | 右 | |
66 | エリック・ラウアー | 左 | 右 | ||
67 | 趙大鉉 | チョ・デヒョン | 右 | 右 | |
69 | 金大洧 | キム・デユ | 左 | 左 | |
03 | 朴健友 | パク・コンウ | 右 | 右 | 育成選手 |
014 | 李承宰 | イ・スンジェ | 右 | 右 | 育成選手 |
015 | 李導炫 | イ・ドヒョン | 右 | 右 | 育成選手 |
021 | 洪源彬 | ホン・ウォンビン | 右 | 左 | 育成選手 |
022 | 呉圭錫 | オ・ギュソク | 右 | 右 | 育成選手 |
033 | 金泰潤 | キム・テユン | 右 | 右 | 育成選手 |
034 | 姜東勲 | カン・ドンフン | 右 | 右 | 育成選手 |
035 | 崔智雄 | チェ・ジウン | 右 | 右 | 育成選手 |
039 | 成泳卓 | ソン・ヨンタク | 右 | 右 | 育成選手 |
未定 | 金テヒョン | キム・テヒョン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト1巡目 |
未定 | 李ホミン | イ・ホミン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト2巡目 |
未定 | 梁スホ | ヤン・スホ | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト4巡目 |
未定 | 金ジョンヨプ | キム・ジョンヨプ | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト5巡目 |
未定 | 崔ゴンヒ | チェ・ゴンヒ | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト6巡目 |
未定 | 羅ヨンウ | ナ・ヨンウ | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト7巡目 |
未定 | 林ダオン | イム・ダオン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト8巡目 |
未定 | 李ソンウォン | イ・ソンウォン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト10巡目 |
姜炳宇 | カン・ビョンウ | 左 | 左 | 軍保留選手 | |
金卋日 | キム・セイル | 左 | 左 | 軍保留選手 | |
金陽洙 | キム・ヤンス | 右 | 右 | 軍保留選手 育成選手 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
22 | 朱暁祥 | チュ・ヒョサン | 右 | 左 | |
26 | 韓承澤 | ハン・スンテク | 右 | 右 | |
42 | 金泰君 | キム・テグン | 右 | 右 | |
44 | 李尚俊 | イ・サンジュン | 右 | 右 | |
55 | 韓俊洙 | ハン・ジュンス | 右 | 左 | |
020 | 権爀卿 | クォン・ヒョクキョン | 右 | 右 | 育成選手 |
042 | 申明昇 | シン・ミョンスン | 右 | 右 | 育成選手 |
金仙佑 | キム・ソンウ | 右 | 右 | 軍保留選手 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 朴燦灝 | パク・チャンホ | 右 | 右 | |
3 | 金善彬 | キム・ソンビン | 右 | 右 | |
5 | 金倒永 | キム・ドヨン | 右 | 右 | |
6 | 洪宗杓 | ホン・ジョンピョ | 右 | 左 | |
9 | 呉晸煥 | オ・ジョンファン | 右 | 左 | 育成選手 |
11 | 尹道鉉 | ユン・ドヒョン | 右 | 右 | |
12 | 金杜炫 | キム・トゥヒョン | 右 | 右 | |
14 | 金奎成 | キム・ギュソン | 右 | 左 | |
23 | 崔廷龍 | チェ・ジョンヨン | 右 | 左 | |
29 | 邊玗赫 | ピョン・ウヒョク | 右 | 右 | |
37 | 朴愍 | パク・ミン | 右 | 右 | |
52 | 黄大仁 | ファン・デイン | 右 | 右 | |
56 | 呉善右 | オ・ソンウ | 左 | 左 | |
58 | 徐建昌 | ソ・ゴンチャン | 右 | 左 | |
59 | 鄭諧圓 | チョン・ヘウォン | 右 | 右 | |
01 | 張視現 | チャン・シヒョン | 右 | 右 | 育成選手 |
05 | 朴相俊 | パク・サンジュン | 左 | 左 | 育成選手 |
010 | 金宰玄 | キム・ジェヒョン | 右 | 左 | 育成選手 |
011 | 李峻汎 | イ・ジュンボム | 右 | 右 | 育成選手 |
038 | 康珉齊 | カン・ミンジェ | 右 | 右 | 育成選手 |
未定 | 嚴ジュンヒョン | オム・ジュンヒョン | 右 | 右 | 2025年新人ドラフト9巡目 |
背番号 | 選手名 | 読み | 投 | 打 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
8 | 李昶鎮 | イ・チャンジン | 右 | 右 | |
15 | 朴晶宇 | パク・チョンウ | 左 | 左 | |
16 | 崔元準 | チェ・ウォンジュン | 右 | 左 | |
25 | 李遇成 | イ・ウソン | 右 | 右 | |
27 | 金虎伶 | キム・ホリョン | 右 | 右 | |
30 | ソクラテス・ブリトー | 左 | 左 | ||
34 | 崔炯宇 | チェ・ヒョンウ | 右 | 左 | |
35 | 金夕煥 | キム・ソクファン | 左 | 左 | |
47 | 羅成範 | ナ・ソンボム | 左 | 左 | |
57 | 高宗郁 | コ・ジョンウク | 右 | 左 | |
61 | 芮眞元 | イェ・ジンウォン | 左 | 左 | |
04 | 金旻秀 | キム・ミンス | 右 | 左 | 育成選手 |
09 | 李寧宰 | イ・ヨンジェ | 右 | 右 | 育成選手 |
未定 | 朴ジェヒョン | パク・ジェヒョン | 右 | 左 | 2025年新人ドラフト3巡目 |
未定 | 朴ホン | パク・ホン | 左 | 左 | 2025年新人ドラフト11巡目 |
韓勝然 | ハン・スンヨン | 右 | 右 | 軍保留選手 育成選手 |
李鍾範 |
宣銅烈 |
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