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ブロック・パーティ (Bloc Party) は、イギリスのロックバンド。2003年結成。
Bloc Party | |
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基本情報 | |
出身地 | イングランド、ロンドン |
ジャンル |
インディー・ロック ポストパンク・リバイバル オルタナティヴ・ロック |
活動期間 | 2003年 - |
レーベル |
ウィチタ・レコーディングス Vice Records アトランティック・レコード フレンチキス・レコーズ |
公式サイト | Bloc Party. |
メンバー |
ケリー・オケレケ ラッセル・リサック ジャスティン・ハリス ルイーズ・バートル |
旧メンバー |
マット・トン ゴードン・モークス |
ロンドンの学生アート・ロックシーン出身のロックバンド。ギター・ロックにパンク・テクノ・ダンスミュージックなどの要素を組み込み、性急で複雑なドラムラインに乗せた、知的で洗練された鋭角的なメロディーが特徴。しばしばポストパンク/ニュー・ウェイヴ・リバイバルの一翼と紹介される。
バンド名に特に意味はないが、アメリカの地方行事Block Partyの語呂合わせで、語尾のkを取ることでEastern Bloc(Soviet Bloc=冷戦時の東側の意)を思わせるとのこと。
左利きだが、ドラムは右である。
1998年、ケリー・オケレケとラッセル・リサックがロックフェスで偶然知り合い、意気投合する。2年後、ふたりがNMEに出したメンバー募集の告知にゴードン・モークスが応募し加入。その後、知人を介してマット・トンも加わり、2002年に現在のメンバー編成としてバンドを結成。
2003年、当時大型新人として頭角を現していたフランツ・フェルディナンドにデモテープを送り、前座に抜擢され、音楽活動を本格化する。そのころからイギリスの音楽誌上において注目を集める存在となり、2004年にメジャーデビュー。
日本では同年7月にデビュー・ミニ・アルバムを発売。8月にはサマーソニック04で初来日を果たした。
2005年初頭、ファーストアルバム『サイレント・アラーム』を発表。同年の各国音楽各誌において軒並み高評価を得るとともに、ヨーロッパの実に9カ国でチャートの10位以内にランク・インするなど、人気・セールスともに大成功を収めた。このころは1990年代のブリットポップ期の再来といわれる2000年代のバンドブームの一例の存在として、周囲からは認識されていた。
2007年、社会性を強く打ち出し、前作から大きく変貌をとげた意欲作のセカンドアルバム『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』を発表。この作品によって、UKロックシーンにおいて泡沫バンドで無い事を印象付けた。以降、U2やレディオヘッドといった社会派バンドとしての評価をうけるようになる。
2012年3月、バンドは米フレンチキス・レコーズと契約し、コオペレイティヴ・ミュージックと北米、日本、東南アジアを除く全世界におけるパートナーシップを締結したことを発表した[2]。同年8月、約4年の休止期間を経て4thアルバム『フォー』をリリース。
2013年にマット・トンが、2015年3月にはゴードン・モークスが相次いで脱退。2015年8月19日、ジャスティン・ハリス(ベース)とルイーズ・バートル(ドラム)を加えた新ラインナップでの初ライブを行った[3]。
2016年1月、新ラインナップとして初のアルバム、5thアルバム『ヒムズ』をリリース。
2018年3月、『サイレント・アラーム』を全編演奏するツアーを10月から行うことを発表[4]。当初は6公演のみの予定だったが、このツアーの成功に伴い、2019年にもツアーが行われた[5]。
かつて、オアシスのギャラガー兄弟が「アートスクールの学校祭バンド」と、一蹴したことがあったが、『ア・ウィークエンド・イン・ザ・シティ』を聴き、彼らは過去の否定的な考えを撤回した。特にリアムは、そのアルバムの最後の曲『SRXT』を聴いた後、「クッションに向かって15分間泣いた」とも告白している。
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