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日本の俳優、タレント、歌手 (1956-) ウィキペディアから
Bro.TOM(ブラザートム、1956年2月23日 - )は、日本の俳優、タレント、歌手[1]、ピアノ調律師。旧芸名は小柳 トム(こやなぎ トム)。別名はTOM3[1]、ザートム船長。アメリカ・ハワイ州マウイ島出身[1]、埼玉県熊谷市育ち[2]。株式会社106所属。音楽デュオ「バブルガム・ブラザーズ」メンバー、Human Soul、Real Bloodメンバー。小柳心は長男、小柳友は次男(共に俳優)。身長188cm。血液型A型。
公式プロフィールにはアメリカハワイ州マウイ島出身とされている。
父親がハワイ先住民マウイ族と中国系の混血(父方の曾祖父が中国からの移民)のアメリカ人(軍人)で母親が日本人。また自身は帰化して日本国籍となった。その際、母方の「小柳」を姓とした。一人っ子で兄弟は居ない。
埼玉県熊谷市で育ち[2]、玉井小学校、玉井中学校を経て[3]、「早く手に職をつけて建築関係の職種につきたい」として埼玉県立熊谷工業高等学校へ進学[4]。2008年1月発行の埼玉県熊谷市の広報誌「市報くまがや」にて、「熊谷市出身」として市長新春座談会に登場、プロフィールでマウイ島出身で熊谷市内にある玉井小学校・玉井中学校を卒業したと紹介され、初のライブは八木橋(同市にあるデパート)の屋上だったなど同市との縁を語っている。
幼少より楽器演奏が好きで中学、高校とブラスバンド部でトランペットを演奏し、高校時代には1970年代前半のフォークブームの中で吉田拓郎に憧れ、友人の逸見定男らと『ムーミン』に登場する冬の妖精から名付けたフォークバンド「モラン」を結成。音楽的評価の高いスターダストレビューが近隣校で活動していたこともあって音楽に笑いを織り交ぜた活動を行い[4]、地元・八木橋百貨店の地下にあったライブハウスのステージなどに立った[5]。
高校卒業後は大成設備に工事係として就職したが、「楽器が好き」との思いが強まり半年後に退社、楽器店に再就職する[4]。その後、24歳ごろ河合楽器ピアノ調律技術者養成所にてピアノ調律を学び[6]、ピアノ調律師に転向。そのかたわら、アマチュアで音楽活動も続けていた[4]。
1980年、当時所属していたバンドメンバーから「バンドの宣伝になるから」と日本テレビの『お笑いスター誕生!!』にコンビでの出演を誘われる。数日間2人でコントの練習を重ねたが当日になって相方が出場を拒否したため、1人での出演となった[7]。同年8月23日に小柳トムの名で出演し、警察官「小柳巡査」を演じる『お巡りさんコント』を披露。その後10週勝ち抜き、同番組5人目のグランプリとなり、コメディアンとしての活動を始めた。
ちなみに当時警官をネタでイジるのはテレビ業界でも御法度とも言われたが、出場後街で実際の警官に会うと好意的に接してくれたという[注釈 1]。またこの頃、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の巻末解説も「お巡りさんコントの人」として執筆している(17巻)。
先述の通りバンドの宣伝や将来音楽の道に進むための足がかりとして出演していたため、『お笑いスタ誕』では好き勝手にネタをやっていた。3度目の挑戦の際、10週目にどうしてもやりたいテーマだった空港建設に関する「成田闘争」をモチーフにしたネタをやり、グランプリを獲得[注釈 2]。ちなみにその後所属バンドに戻ろうとしたが、知らぬ間に解散していたという[7]。
80年代前半には新宿御苑の「昆」という店でとんねるずやコロッケ、『お笑いスタ誕』で放送作家をしていた近藤伸明(Bro.KONE)と酒を飲んだり、ダンスを踊っているのを、 萩原健一と倍賞美津子が見ていたという[7]。なお、新作コントを月一本のペースで作りネタを書いた台本を共演者やお笑いタレントに見せて笑わせており、2002年と2003年にはコントライブ「小柳トムの吉田」、「たった一人で出来ること」を開催している。
俳優としては、性格俳優として映画「俺はおまわり君」(1981年)から「密告は歌う」(2021年、WOWOWプライム)まで多くの作品に出演している[8]。近年はミュージカルへの出演が多い。
1983年、同業者で歌手、コメディアンの近藤伸明(現 Bro.KONE(ブラザー・コーン))とバブルガム・ブラザーズを結成。ソウル、レゲエ調のシングル「WON'T BE LONG」を90年にリリースし翌年91年にヒット、最終的にミリオンセラーとなった(累計170万枚)[9]。1991年大晦日には『NHK紅白歌合戦』に初出場した(HOUND DOGの出場辞退による)。
1993年にソロ・ミニアルバム『手のひらがまだ小さかった頃、俺たちも神様だった』をリリース(Bro.KORNもほぼ同時期に、ソロ・ミニアルバム『MIRAKLE』をリリース)。
1995年にバブルガム・ブラザーズの活動と平行しソロ活動も開始、アルバムもリリース。この時期には、mc.A・Tとのユニット「m.c.A.T'n K.T」を結成。また元Human SoulのJaye公山とSilky藤野とのユニット「REAL BLOOD」を結成。1999年にアルバム『REAL BLOOD』をリリース。メンバー自身が手売りするというものであった。
2000年、トムのオリジナルミュージカル『Miracle Blind Boys』を上演。このミュージカルにREAL BLOODプラス1としてクラシック界からルーサー“No.1”市村がベースボーカルとして参加。以後そのままREAL BLOODメンバーとなる。2003年、3枚目のアルバム『±0』をリリース。
なおバブルガム・ブラザーズは解散はしておらず、長く活動を停止していた期間を挟み、2008年より活動を再開した。
トムのマネジメントは「スターダストプロモーション」制作1部、所属レーベルはSDRだったが、2020年11月30日付で円満退社[10]。
2020年12月1日、個人事務所の株式会社106(イチレーロク)を設立。
2021年2月14日、ブラザートム・オフィシャル・ホームページを開設。
読み聞かせの活動を行い、ダンサーとコラボをしたり、ジャズの曲をバックに読み聞かせたりというパフォーマンスを披露している[11]。 2005年駒澤短期大学仏教科二部に社会人入試で合格。50歳目前で大学に行った理由は仕事帰りにお酒を飲む毎日に飽きたことと全然知らない人に会ってみたいから。アロハシャツが正装で、大学の面接の際にもアロハシャツを着ていったというエピソードがある[12]。
2006年4月5日に心筋梗塞により入院。仮に死亡するとしたら残された情報を調べられる事から、TOMはパソコンに保存してあったアダルト画像を全部消去したとのこと[13]。しかし、2週間の療養を経て仕事に復帰する事が出来た。2006年11月よりGyaOにて放送中の音楽アニメバラエティ番組『キムサウンドストーリー』に出演中。
2010年8月には『月からおちたモモンガ』を発表し、絵本作家としてもデビューしている[14]。2012年7月には、福島第一原子力発電所事故により熊谷市内の学校の体育館に避難した福島の人たちを支援して交流が生まれたことを機に『ラース 福島からきた犬』を発表[4]。
前妻との間に長男・小柳心、次男・小柳友の2人の息子を儲けた後、2007年5月に離婚[15]。
2003年のテレビ番組での共演で知り合い2007年頃より交際を発展した、すでに芸能界から引退した元タレントで22歳年下の女性と、2012年2月29日に再婚した[15]。
離婚により疎遠となっていた2人の息子とは、2020年の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大を機に「Zoom」を用いて撮影した3ショット動画をYouTubeに公開して話題を呼んだ[16]。
他CMナレーション多数
アルバム - いずれもREAL BLOOD名義。
シングル
作詞
作曲
作詞・作曲
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