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アメリカ合衆国産の競走馬 ウィキペディアから
ノーザンディクテイター(欧字名:Northern Dictator、1974年1月28日 - 1997年)は、アメリカ合衆国で生産された競走馬、種牡馬[1]。
1977年12月9日、アケダクト競馬場でデビューするも3着に敗れる。しかし、年明け1月19日にハイアリアパーク競馬場で行われた未勝利戦で勝利した[2]。その後は全て一般競走に出走し8戦2勝、通算10戦3勝という成績しか残せず、大きなレースへの出走もないままデビューして1年もないうちに引退となった。
引退すると、年内のうちに日本に種牡馬として輸入され、静内スタリオンステーションにて供用された。初年度の1979年には56頭に種付けした。その後2年間ほど同程度の種付け数を維持していたが、1980年産のマチカネウイッピーがデビュー2連勝でフェニックス賞を制した1982年には種付け数が増加し、翌1983年には89頭に種付けを行った。そして、1984年にタニノブーケがGII・デイリー杯3歳ステークスを制して初の産駒の重賞初制覇を果たした。その後もコンスタントに重賞で活躍する競走馬を輩出し、1985年産のリキアイノーザンは、阪神牝馬特別などGIII4勝を挙げ、ノーザンディクテイター産駒で最も多くの賞金を稼いだ競走馬となった。また、1986年産のスクラムトライは、1988年のGI・朝日杯3歳ステークスにてサクラホクトオーの2着に入るなどGIで好走した産駒も出すことができた。
その後、1994年から種付け数は減少し、1996年には13頭と激減した。1997年2月11日に用途変更となり[3]種牡馬を引退した。
種牡馬引退後は、静内スタリオンを訪れたことがあった牛尾治子に引き取られ、「ノーザンディクテイターの会」が結成され面倒を見られることになった[4]が、年内のうちに死亡した。23歳没。新ひだか町の桜舞馬公園内に墓標がある。
没後の1999年、優駿牝馬を1986年産のウメノローザの仔であるウメノファイバーが制し、ノーザンディクテイターの血から初のGI馬が誕生した。
この他、ノーザンディクテイターが母の母の父にあたる馬として、2010年の菊花賞を制したビッグウィークがいる。ビッグウィークはタニノブーケの孫にあたる馬であり、直仔にタニノボレロ、タニノクリエイトがいるタニノブーケからは2世代で重賞勝ち馬が出ていることとなる。
ノーザンディクテイターの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ノーザンダンサー系 |
[§ 2] | ||
父 Northern Dancer カナダ 鹿毛 1961 |
父の父 Nearcticカナダ 黒鹿毛 1954 |
Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Lady Angela | Hyperion | |||
Sister Sarah | ||||
父の母 Natalmaアメリカ 鹿毛 1957 |
Native Dancer | Polynesian | ||
Geisha | ||||
Almahmoud | Mahmoud | |||
Arbitrator | ||||
母 Dictates アメリカ 鹿毛 1964 |
Bold Ruler アメリカ 黒鹿毛 1954 |
Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Miss Disco | Discovery | |||
Outdone | ||||
母の母 Punctiliousアメリカ 鹿毛 1954 |
Better Self | Bimelech | ||
Bee Mac | ||||
Puccoon | Bull Lea | |||
Bloodroot | ||||
母系(F-No.) | (FN:19-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearco 3x4, Discovery 4x5, Blenheim 5x5 | [§ 4] | ||
出典 |
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