タイヘイレコード(Taihei Record Co., Ltd.)は、かつて存在した日本のレコード会社。本項では、後身の日本マーキュリーを含めて解説する。
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戦後
- 1950年(昭和25年)1月 - 講談社が物品税を滞納したため、国税局が西宮本社工場・尾久分工場を差押えて公売に付したところを、石井廣治[5]ら大日本蓄音器時代の有志が奔走して買い戻し、新生タイヘイレコードとして復興。
- 1951年(昭和26年)6月 - タイヘイ音響に社名変更し、新譜の制作を再開。
- 1957年(昭和32年) - 独占契約満了に伴い、マーキュリー・レコードの発売権を因縁深いキングレコードに奪われ、日本マーキュリーの看板が有名無実化した。
その他
- 1970年代以降に発売されたカセットテープによるソフトでは、本社所在地が前述の西宮市ではなく東京都文京区駒込であり、電話番号も記載されていた。また、大映レコードやエルムレコードなどのインディーズレーベルとも一部の音源を相互に供給していた。
- 1980年の上記の西宮事業所閉鎖後も、直ちに権利者有志が、日本マーキュリーとして音楽制作活動を続けていた。[14]
- 1983年、旧日本マーキュリーの版権継承を掲げ、東京都渋谷区を本拠とする日本マーキュリーレコードが、レーベルは NRC-MUSIC.JP を名乗り活動していた。実質アーティストが永瀬もも(2018年現在歌手活動を引退)しかいなかった他、完備しているスタジオやスタッフなども外部に存在しているものと思われた。永瀬の引退後、活動休止状態となり、ホームページも閉鎖されている。
- 2009年(平成21年)11月 別所憲隆が旧日本マーキュリー(株)の旧盤の版権と商標権を継続し、スピリチュアル ソウル ソングの発展を理念とした一般社団法人日本マーキュリー(兵庫県神戸市) を復活設立。
- 2010年(平成22年)1月 旧日本マーキュリー(株)の旧盤の版権と商標権を継続し、廃業から30年にして復活、新生 一般社団法人日本マーキュリー (兵庫県神戸市) 事業復興。ヘルスケア事業にも進出していたが、2018年現在撤退している[15]。同じく後継を掲げていたNRC-MUSICとの関係は不明。
- 2017年4月 岸本敬之が代表理事に就任。
- 2023年7月 熊田克章が代表理事に就任。主たる事務所を岐阜県岐阜市に移転。制作本部を東京都港区三田に置く。
但しマーキュリー・レコードとの資本関係は皆無で、「ジャズを売るには洋風の社名の方が格好いい」との理由から、タイヘイ側が勝手に社名変更したという。
その後マーキュリー・レコードも親会社を転々として、タイヘイと日本マーキュリーの旧盤は現在ユニバーサルミュージックから再版されている。
その一方、会社立ち上げの際に遠藤実一門以下、タイヘイ(日本マーキュリー)の元スタッフを少なからず採用し、プレスもヤンマー音響に委託するなど、人的には浅からぬ関係にあった。
キングレコード西宮工場の生産設備を一部移管し、戦後の一時期に神戸元町3丁目で繁盛した録音スタジオ。