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アメリカのバスケットボール選手、ヘッドコーチ (1965 - ) ウィキペディアから
スティーヴン・ダグラス・カー(Stephen Douglas Kerr, 1965年9月27日 - )は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手。レバノンの首都ベイルートの出身。現在、NBAのゴールデンステート・ウォリアーズでヘッドコーチを務めている。
ゴールデンステート・ウォリアーズで指揮するカー (2019年) | ||||||||||||
ゴールデンステート・ウォリアーズ HC | ||||||||||||
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役職 | ヘッドコーチ | |||||||||||
所属リーグ | NBA | |||||||||||
基本情報 | ||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||
生年月日 | 1965年9月27日(59歳) | |||||||||||
出身地 |
レバノン ベイルート県ベイルート | |||||||||||
身長(現役時) | 191cm (6 ft 3 in) | |||||||||||
体重(現役時) | 82kg (181 lb) | |||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||
高校 | パリセイズ・チャーター | |||||||||||
大学 | アリゾナ大学 | |||||||||||
NBAドラフト | 1988年 / 1巡目 / 全体50位 | |||||||||||
フェニックス・サンズから指名 | ||||||||||||
プロ選手期間 | 1988年–2003年 | |||||||||||
ポジション | PG | |||||||||||
背番号歴 | 4, 5, 2, 25 | |||||||||||
指導者期間 | 2014年–現在 | |||||||||||
経歴 | ||||||||||||
選手時代: | ||||||||||||
1988–1989 | フェニックス・サンズ | |||||||||||
1989-1992 | クリーブランド・キャバリアーズ | |||||||||||
1992–1993 | オーランド・マジック | |||||||||||
1993-1998 | シカゴ・ブルズ | |||||||||||
1998-2001 | サンアントニオ・スパーズ | |||||||||||
2001–2002 | ポートランド・トレイルブレイザーズ | |||||||||||
2002–2003 | サンアントニオ・スパーズ | |||||||||||
コーチ時代: | ||||||||||||
2014- | ゴールデンステート・ウォリアーズ | |||||||||||
2021- | アメリカ合衆国代表 | |||||||||||
エグゼクティブ時代: | ||||||||||||
2007-2010 | フェニックス・サンズ (GM) | |||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||
選手時代
コーチ時代
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Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||
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アリゾナ大学から1988年のNBAドラフトでフェニックス・サンズに指名され、クリーブランド・キャバリアーズにトレード。キャブスで3年間を過ごした後、オーランド・マジックへトレードされた。1年後の1993年に、フィル・ジャクソン率いるシカゴ・ブルズに移籍した。
当時のブルズは、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペンなどの活躍で最盛期を迎えており、その中でカーは控えのガードとして活躍した。決して身体能力が優れているとは言えないカーの武器は、試合の要所で見せる3ポイントシュートであった。土壇場ほどキレを増す長距離砲は、チームを何度となく勝利へ導いた。特に96-97シーズンのNBAファイナル第6戦。優勝に王手をかけたブルズはユタ・ジャズを相手に試合の最終盤まで同点。ショットクロック残り3秒でマイケル・ジョーダンからパスを受け、優勝を決定づけるシュートを沈めたシーンはカーのハイライトである。ブルズにはジョーダンが引退するまで在籍し、2度目の3連覇に貢献した選手として歴史に名を刻んだ。
1999年1月、チャック・パーソンと交換でサンアントニオ・スパーズに移籍し、ボストン・セルティックスに在籍した選手以外では1951〜54年のフランク・サウルとただ二人のみの4年連続で優勝を経験した選手となった。その後、ポートランド・トレイルブレイザーズを経て、2002-03シーズンはスパーズに復帰した。プレイオフに入っても出場機会は少なかったが、カンファレンス決勝のダラス・マーベリックス戦第6戦終盤に、放った4本の3ポイントを全て沈めNBAファイナル進出に貢献すると、ファイナルのニュージャージー・ネッツ戦第5戦、残り3分2点差を追う状況で、ケニオン・マーティンからのスティールや、ダブルチームされたティム・ダンカンからパスを受け値千金の3ポイントを沈めるなど、大舞台での勝負強さを再び発揮した。試合後のインタビューでカーは、「僕はこの時のために "冷凍保存" されていたんだ」と、レギュラーシーズンでは出場時間が少なかったことを引き合いにして勝ち誇った。そしてスパーズ2度目の優勝に貢献し自身5度のNBA優勝経験をした。 このファイナル終了後に引退し、アメリカのケーブルテレビ局ターナー・ネットワーク・テレビジョン(TNT)で現場解説者を務め、"Steve Wonders..."というコーナーを持っていた。 2007年のプレイオフでTNTの解説者を終えると、フェニックス・サンズの球団社長兼ゼネラル・マネージャーに就任し、2008年1月には、ショーン・マリオンをマイアミ・ヒートに放出してシャキール・オニールを獲得した。
生涯通算3ポイントフィールドゴール成功率(.454)、シーズン3ポイントフィールドゴール成功率(.524 1994-95シーズン)は共にNBA歴代1位の成績である。(ただし1994年から97年までの3シーズンはの3Pラインは現在のラインよりも約55cm近くに変更されていた時期である。)1997年のオールスターウィークエンドのスリーポイント・シュートアウトで優勝している。
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2014-15シーズン
2014年5月14日、カーはニューヨーク・ニックスのオファーを断り、ゴールデンステート・ウォリアーズと5年2500万ドル契約でヘッドコーチに就任が決定した[1][2]。 カーは前任者のマーク・ジャクソンの路線を上手く引き継ぎ、チームをリーグ上位に導く手腕を披露する。また新人コーチながら、2015年NBAオールスターゲームのチームウェストのヘッドコーチに選出され、イーストのマイク・ビューデンホルツァーヘッドコーチとの対戦となった[3]。新人コーチが選ばれたのは、1998年のインディアナ・ペイサーズのラリー・バード以来である[4]。 結局レギュラーシーズンは67勝15敗で終了、新人ヘッドコーチとしては最高勝率を記録しNBAファイナルまで導いた。そしてクリーブランド・キャバリアーズとの対戦となったファイナルも4勝2敗で見事にウォリアーズを40年振りのチャンピオンに導いた。
2015-16シーズン
2015-16シーズンは、背中の手術の為に開幕から休養を強いられていたがルーク・ウォルトンアシスタントコーチがチームを纏め、39勝4敗で迎えた2016年1月22日のインディアナ・ペイサーズ戦でコーチ職に復帰。122-110で勝利に導き、見事に復帰戦を飾った[5]。カーの現場復帰でウォリアーズは更に勢いが付き、最終的にはカーが現役時代シカゴ・ブルズで1995-1996シーズンに経験したシーズン "72勝10敗" を上回る "73勝9敗" というNBAシーズン新記録の金字塔を打ち立てた[6]。その功績が大きく評価され、同シーズンのNBA最優秀コーチ賞を受賞した。
2016-17シーズン
2017年3月28日のヒューストン・ロケッツ戦に勝利し、ヘッドコーチ就任後レギュラーシーズン238試合目で200勝を達成。これはNBA史上最短記録であり、北米4大スポーツを含めても最短である。それまでのNBA記録は、マイケル・ジョーダンやカーを指導していたことのあるフィル・ジャクソンの270試合が最短だった。
プレーオフ1回戦の途中で前年に発症した髄液の漏れによる合併症が再発し、期限未定の離脱が発表された。その後ウォリアーズはマイク・ブラウンが暫定的に指揮を執り3年連続でNBAファイナルに進出。カーも第2戦から復帰し、見事な前年のリベンジを果たした。
2017-18シーズン
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2018-19シーズン
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2019-20シーズン
2019年10月30日のフェニックス・サンズ戦でステフィン・カリーが左手骨折の大怪我を負いシーズンの大半を欠場し、加えて前年のファイナルでの怪我でクレイ・トンプソンも欠いていたため、チームは低迷しウエスタンカンファレンス15位でシーズンを終えた。 2019年12月25日のクリスマスゲームでは、ジェームズ・ハーデンとラッセル・ウェストブルックが率いるヒューストン・ロケッツ相手に誰もがウォリアーズの敗北を予想する中勝利を収めファンを喜ばせた。
2020-21シーズン
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2021-22シーズン
この年のウォリアーズは新加入のオット・ポーター・ジュニア、ゲイリー・ペイトン2世、ネマニャ・ビエリツァが活躍し、ウエスタン・カンファレンス3位の成績でシーズンを終えた。
2022年5月24日にロブ小学校銃乱射事件が起こり、試合前の記者会見でカーが銃撃事件に対して「もううんざりだ。もうたくさんだ。」とコメントした動画は大きな反響を呼んだ。
ファイナルではボストン・セルティックスと対戦した。初めは1勝2敗と苦戦したが、カーは不調であったドレイモンド・グリーンを勝負所で下げる采配や、第4戦以降はオフェンス面を重視しオット・ポーター・ジュニアを先発起用するなどし、球団史上6回目のNBA優勝に貢献した。
2021年12月、アメリカ代表のヘッドコーチに就任したことが発表された[7]。
2023年FIBAバスケットボール・ワールドカップでアメリカ代表が準決勝敗退に終わった際には「もう92年ではない。世界のチームや選手はより良くなっている。W杯やオリンピックで勝つのは簡単ではない」とコメントしている[8][9][10][11][12]。
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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1988–89 | PHX | 26 | 0 | 6.0 | .435 | .471 | .667 | .7 | .9 | .3 | .0 | 2.1 |
1989–90 | CLE | 78 | 5 | 21.3 | .444 | .507* | .863 | 1.3 | 3.2 | .6 | .1 | 6.7 |
1990–91 | 57 | 4 | 15.9 | .444 | .452 | .849 | .6 | 2.3 | .5 | .1 | 4.8 | |
1991–92 | 48 | 20 | 17.6 | .511 | .432 | .833 | 1.6 | 2.3 | .6 | .2 | 6.6 | |
1992–93 | 5 | 0 | 8.2 | .500 | .000 | 1.000 | 1.4 | 2.2 | .4 | .0 | 2.4 | |
1992–93 | ORL | 47 | 0 | 9.4 | .429 | .250 | .909 | .8 | 1.3 | .2 | .0 | 2.6 |
1993–94 | CHI | 82 | 0 | 24.8 | .497 | .419 | .856 | 1.6 | 2.6 | .9 | .0 | 8.6 |
1994–95 | 82* | 0 | 22.4 | .527 | .524* | .778 | 1.5 | 1.8 | .5 | .0 | 8.2 | |
1995–96 | 82 | 0 | 23.4 | .506 | .515 | .929 | 1.3 | 2.3 | .8 | .0 | 8.4 | |
1996–97 | 82 | 0 | 22.7 | .533 | .464 | .806 | 1.6 | 2.1 | .8 | .0 | 8.1 | |
1997–98 | 50 | 0 | 22.4 | .454 | .438 | .918 | 1.5 | 1.9 | .5 | .1 | 7.5 | |
1998–99 | SAS | 44 | 0 | 16.7 | .391 | .313 | .886 | 1.0 | 1.1 | .5 | .1 | 4.4 |
1999–00 | 32 | 0 | 8.4 | .432 | .516 | .818 | .6 | .4 | .1 | .0 | 2.8 | |
2000–01 | 55 | 1 | 11.8 | .421 | .429 | .933 | .6 | 1.0 | .3 | .0 | 3.3 | |
2001–02 | POR | 65 | 0 | 11.9 | .470 | .394 | .975 | .9 | 1.0 | .2 | .0 | 4.1 |
2002–03 | SAS | 75 | 0 | 12.7 | .430 | .395 | .882 | .8 | .9 | .4 | .0 | 4.0 |
通算[13] | 910 | 30 | 17.8 | .479 | .454 | .864 | 1.2 | 1.8 | .5 | .1 | 6.0 |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
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1990 | CLE | 5 | 0 | 14.6 | .286 | .000 | --- | 1.2 | 2.0 | .8 | .0 | 1.6 |
1992 | 12 | 3 | 12.4 | .439 | .273 | 1.000 | .5 | .8 | .4 | .0 | 3.7 | |
1994 | CHI | 10 | 0 | 18.6 | .361 | .375 | 1.000 | 1.4 | 1.0 | .7 | .0 | 3.5 |
1995 | 10 | 0 | 19.3 | .475 | .421 | 1.000 | .6 | 1.5 | .1 | .0 | 5.1 | |
1996 | 18 | 0 | 19.8 | .448 | .321 | .871 | 1.0 | 1.7 | .8 | .0 | 6.1 | |
1997 | 19 | 0 | 17.9 | .429 | .381 | .929 | .9 | 1.1 | .9 | .1 | 5.1 | |
1998 | 21 | 0 | 19.8 | .434 | .463 | .818 | .8 | 1.7 | .3 | .0 | 4.9 | |
1999 | SAS | 11 | 0 | 8.8 | .267 | .231 | .833 | .8 | .7 | .2 | .0 | 2.2 |
2001 | 9 | 0 | 11.2 | .480 | .333 | .500 | 1.0 | .7 | .4 | .1 | 3.3 | |
2002 | POR | 3 | 0 | 13.0 | .429 | .250 | 1.000 | 1.3 | 1.7 | .3 | .0 | 6.3 |
2003 | SAS | 10 | 0 | 4.6 | .636 | .833 | .750 | .3 | .6 | .1 | .0 | 2.2 |
通算[13] | 128 | 3 | 15.6 | .426 | .370 | .876 | .9 | 1.2 | .5 | .0 | 4.3 |
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
NBA記録 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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GSW | 2014–15 | 82 | 67 | 15 | .817 | パシフィック1位 | 21 | 16 | 5 | .762 | NBAチャンピオン |
2015–16 | 82 | 73 | 9 | .890 | パシフィック1位 | 24 | 15 | 9 | .625 | NBAファイナル敗退 | |
2016–17 | 82 | 67 | 15 | .817 | パシフィック1位 | 17 | 16 | 1 | .941 | NBAチャンピオン | |
2017–18 | 82 | 58 | 24 | .707 | パシフィック1位 | 21 | 16 | 5 | .762 | NBAチャンピオン | |
2018–19 | 82 | 57 | 25 | .695 | パシフィック1位 | 22 | 14 | 8 | .636 | NBAファイナル敗退 | |
2019–20 | 65 | 15 | 50 | .231 | パシフィック最下位 | — | — | — | — | プレーオフ進出ならず | |
2020–21 | 72 | 39 | 33 | .542 | パシフィック4位 | — | — | — | — | プレーオフ進出ならず | |
通算 | 547 | 376 | 171 | .687 | 105 | 77 | 28 | .733 |
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