飯田警察署(いいだけいさつしょ)は、長野県警察が管轄する警察署の一つである。
- 飯田駅前交番(飯田市上飯田)
- 上郷飯沼交番(飯田市上郷飯沼)
- 名古熊交番(飯田市鼎名古熊)
- 松川町交番
- 阿智村交番(阿智村駒場)
- 松尾駐在所(飯田市松尾城)
- 山本駐在所(飯田市山本)
- 竜丘駐在所(飯田市時又)
- 下久堅駐在所(飯田市下久堅)
- 天竜峡駐在所(飯田市川路)
- 龍江駐在所(飯田市龍江)
- 千代駐在所(飯田市千代)
- 南信濃駐在所(飯田市南信濃)
- 上村駐在所(飯田市上村)
- 高森町駐在所
- 大鹿村駐在所
- 喬木村駐在所
- 豊丘村駐在所
- 浪合駐在所(阿智村浪合)
- 平谷村駐在所
- 根羽村駐在所
- 長野県市田村一家7人殺害事件 - 1946年5月9日に下伊那郡市田村大島山(現:高森町大島山)で発生した大量殺人事件。未解決のまま、事件発生から15年後の1961年5月に公訴時効が成立した[2]。
- 飯田高校刺殺事件[3] - 1992年(平成4年)1月10日に県立飯田高校で2年生の男子生徒(当時17歳)が3年生の男子生徒(当時18歳)に包丁で刺殺された事件[4]。犯人の少年は事件当時、飯田市内にある山口組系暴力団・近藤組内掛野組の組事務所などに出入りしていた一方[5]。県内有数の進学校で大学受験シーズンに起きた殺人事件として、社会に衝撃を与えた[6]、自身が団長を務めていた応援団への入団に被害者が応じなかったことに腹を立てたことなどから、「体に一生残る傷をつけてやろう」と考え、事件当日に当時交際していた女友達のアパートから凶器の文化包丁(刃渡り16.4 cm)を持ち出し、脇腹を突き刺したところ、被害者が避けようとしたため包丁は背中に根元まで突き刺さり、肺を貫通、被害者は1時間20分後に出血多量で死亡した[7]。犯人の少年は殺人罪などに問われた一方、傷害致死罪の成立を主張していたが、1993年(平成5年)3月23日に長野地裁飯田支部(生田治郎裁判長)は未必の殺意を認定し、懲役5年以上7年以下の不定期刑(求刑:懲役5年以上10年以下)とする判決を言い渡した[8]。犯人は控訴せず[9]、確定している[10]。また同事件では被害者遺族が県を相手取り、問題行動の多かった加害生徒に対する指導を怠ったなどとして総額7500万円の損害賠償請求を起こし、東京高裁(鬼頭季郎裁判長)が1999年(平成11年)9月28日に原告側の請求を一部認容、被告である県には安全配慮義務違反があったとして、原告である遺族に対し総額約3300万円を支払うよう命じる判決を言い渡した[11]。最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は2001年(平成13年)6月8日付の決定で被告の上告を棄却し、原告側の勝訴が確定している[12]。
- 長野・愛知4連続強盗殺人事件 - 2004年(平成16年)4月から9月にかけて飯田市と高森町で3件連続して発生[13]。同年4月27日に飯田市大王路2丁目の民家で女性(当時77歳)が絞殺死体で発見され[14]、8月14日には高森町出原の民家で男性(当時69歳)が[15]、9月8日には出原の現場から約2 km離れた高森町吉田の民家で女性(当時74歳)がいずれも刺殺されているのが発見された[16]。高森町で発生した殺人事件は前述の市田村一家7人殺害事件以来、58年ぶりだった[17][18]。同年9月17日、飯田市内で別の住居侵入事件を起こして逮捕されていた男(当時27歳)が一連の事件の被疑者として強盗殺人容疑で逮捕されている[19]。飯田市の事件では捜査員が第一発見者である被害者の長女を犯人扱いしたことが問題視され[20]、事件解決後に飯田署長が遺族に謝罪している[21]。
出典
『読売新聞』1961年5月9日東京朝刊第8版南信讀賣7頁「“一家七人殺し”警察の黒星に ついにきょうで時効」(読売新聞東京本社・飯田通信部) 『中日新聞』1992年12月18日朝刊長野中日長野版「92しなのニュース検証(1) 飯田高校刺殺事件 暴力団と関係背景に 教育のゆがみを浮き彫り」(中日新聞社)
『中日新聞』1992年1月11日朝刊社会面31頁「高3、下級生を刺殺 「態度気にくわぬ」 包丁持参し校内で 長野・飯田高」(中日新聞社) 『中日新聞』1992年1月21日夕刊社会面15頁「下級生刺殺の高3男子 組事務所に出入り 飯田」(中日新聞社)
『読売新聞』1993年3月24日東京朝刊第12版南信版(中南信讀賣)24頁「飯田高校 生徒刺殺事件 加害少年に「未必の殺意」 懲役5-7年の実刑」「学校管理責任焦点に 損害賠償訴訟」(読売新聞東京本社・松本支局)
『信州日報』1993年3月24日付(第12068号)5頁「地裁支部 A被告に懲役5〜7年実刑判決 突発的犯行だが悪質」(信州日報社) 『南信州新聞』1993年3月24日付(第14496号)5頁「飯高生徒刺殺事件 5-7年の不定期刑 被告少年に実刑が」(南信州新聞社)
『南信州新聞』1993年3月30日付(第14501号)5頁「飯高生徒刺殺事件 被告側が控訴断念 「冥福祈り刑に服したい」」(南信州新聞社)
『中日新聞』1994年5月19日朝刊長野中日長野版「【長野県】現場にいた応援団員4人を告訴 飯田高生刺殺で遺族」(中日新聞社)
『中日新聞』1999年9月29日朝刊第二社会面34頁「長野・飯田高生刺殺 「学校側に過失」賠償命令 東京高裁逆転判決 「問題生徒指導怠る」」(中日新聞社)
『朝日新聞』2001年6月9日東京朝刊長野1面27頁「上告棄却、県が敗訴 最高裁「理由に該当せず」 飯田高刺殺/長野」(朝日新聞東京本社)
『信州日報』2004年9月19日号(第15401号)1頁「連続強殺容疑者は地元27歳男 自供通り凶器など発見 飯田署 まず高森吉田の事件で逮捕」「大王寺と出原も関与 県警3時間統合し捜査本部」「被害者いずれも独居高齢者 犯行後施錠など類似点多く」「大柄だが根は優しかった」「驚く中学校同級生ら」「周辺住民ひとまず安ど「今後も防犯意識高める」」(信州日報社) 『朝日新聞』2004年4月29日東京朝刊長野1版31頁「自宅で77歳女性絞殺 物色や争った跡なし 飯田 /長野」(朝日新聞東京本社)
『中日新聞』2004年8月16日朝刊社会面29頁「長野・高森 変死の男性は他殺 殺人で捜査 刃物で胸刺される」(中日新聞社)
『中日新聞』2004年9月9日朝刊社会面35頁「独居の74歳 殺される 長野・高森町 先月も男性殺害」(中日新聞社)
『朝日新聞』2006年5月19日東京朝刊長野東北信版第一地方面31頁「増えた防犯灯、不安照らす 死刑判決事件、2人犠牲の高森町 /長野県」(朝日新聞東京本社・長野総局 長谷川美怜) 『南信州新聞』2004年12月30日付(第17908号)11頁「愛知・長野連続強殺事件(下) 一線超え、失意どん底に 空き巣未遂で逮捕、終えんへ」(南信州新聞社) 『中日新聞』2004年9月18日朝刊社会面37頁「独居老人連続3人殺害 27歳男を逮捕、供述 長野・高森、飯田」「住民ら安堵と怒り交錯」(中日新聞社)
『中日新聞』2004年10月9日朝刊三面3頁「核心 長野・飯田『犯人扱い』 遺族の心 傷癒えず 供述頼みで予断先行も 飯田署『誤りあった』 遺族『直接謝って』」(中日新聞社 飯田支局・浅井俊典、松本支局・堀祐太郎)
『東京新聞』2004年10月13日朝刊社会面31頁「遺族犯人扱いで 飯田署長が謝罪 長野・愛知連続強殺」(中日新聞東京本社)