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1972年(昭和47年)8月27日に、広島市と合併し広島市祇園町となり、1980年(昭和55年)広島市が政令指定都市に指定され広島市安佐南区祇園、長束、山本、東原および西原となる。
古の伊福鄕、後の安の庄の一部。 安の庄は上安村(現在の上安、相田、大町)、下安村となった。寛永15年、下安村は、南下安村、北下安村に分かれる。1889年(明治22年)の大合併[2]により、沼田郡南下安村、北下安村の2村が合併し沼田郡祇園村となる。[3]
長束村は、昔は長塚とも書かれていたと云われる。1943年(昭和18年)まで、安佐郡長束村。
山本村は、沼田郡東山本村、西山本村。武田氏の城、金山城の下に位置したことから山本と云う。1889年(明治22年)の大合併により、2村合併し、沼田郡山本村。その後、1943年(昭和18年)まで、安佐郡山本村。
1938年(昭和13年)、安佐郡祇園村が町制を施行し、安佐郡祇園町となる。
1943年 (昭和18年) 、祇園町、山本村、長束村、原村が合併し、安佐郡祇園町となる。
古川の東を東原、西を西原で、それぞれ沼田郡東原村、沼田郡西原村であった。1920年(大正9年)2村合併し、沼田郡原村となる。古川は慶長12年の洪水まで、太田川の本流であった。1943年(昭和18年)に安佐郡祇園町と合併する。
安佐南区の南東に位置し、西端の武田山などの山麓から東端の太田川に向かって東に広がり、太田川までの間を西から山本川、安川、古川の4つの河川が流れる地域である。
西端の武田山から山本・長束にかけて山本川、祇園と西原の境を安川、西原と東原の境を古川、そして太田川が地区の東端を通っている。
なお、山本川は大正期に二度発生した源流域の土石流災害による大改修事業により、流路が大きく変わっている。
西端は旧西山本を囲むように、北から武田山、火山、丸山、宗箇山が連なる山林に占められている。
近年、安芸武田氏の居城であった武田山を中心に、地元住民による里山整備・保全活動により山道が整備され、展望良い場所が多いことから、週末にはハイキングやトレッキング、縦走を楽しむ人々の姿がよく見られるようになっている。
なお、武田山から西区・佐伯区の鈴ヶ峰までは500m以下の山々が連なり、約20kmの縦走コースとなっている。
武田山には安芸武田氏の拠点であった銀山城址、武田山から東へ延びる丘陵先端に銀山城の支城であった尾首(おくび)城址[4]が、麓には歴史的建造物が多く、長束神社や安神社など律令後期から鎌倉時代に建てられ、原爆投下による焼失を免れた神社仏閣が現存している。
過去には古代山陽道と瀬戸内海に面し、安芸国の流通・経済の中心地として栄えていたが、毛利元就が武田氏を滅ぼし、毛利輝元が広島城に居を構えたことで現在の中区に流通・経済の中心地が移ることとなった。特に安神社(お祇園さん)はその影響を受けているが、現在でも祇園地区ひいては安佐南を代表する神社のひとつである。なお、武田山にちなんだ地域のイメージキャラクターとして、「たけちゃま」が存在する。
※()内表記は、旧地名/現地名
可部街道のバスは祇園出張所前などに停車する。
地元では国道183号(可部街道)を「新道(新国道)」、県道277号を「旧道(旧国道)」と呼んでおり、路線バスにも同様の表示がされている。
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