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新田 和長(にった かずなが、1945年5月5日 - )は、日本の実業家、音楽プロデューサー、ディレクター、音楽家。株式会社フールオンザヒル代表取締役社長。
早稲田大学在学中に「ザ・リガニーズ」を結成し東芝音楽工業(→EMIミュージック・ジャパン→ユニバーサル ミュージック合同会社)よりレコード・デビュー。ビートルズのディレクターであった高嶋弘之に誘われ、大学卒業後に東芝音楽工業へ入社。1969年以降はオフコース、赤い鳥、RCサクセション、トワ・エ・モワ、加藤和彦、北山修、はしだのりひこなどを手がけ、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛[1]、寺尾聰、稲垣潤一、加山雄三など音楽プロデューサー、エグゼクティブ・プロデューサーを務める。
1984年にファンハウスを設立し、代表取締役社長に就任。オフコース、稲垣潤一、舘ひろし、小林明子、岡村孝子、小田和正、永井真理子、辛島美登里、SING LIKE TALKING、S.E.N.S.、大事MANブラザーズバンド、access、斉藤和義等を輩出。1998年に吸収相手のBMG JAPAN取締役・RCAアリオラジャパン社長に就任。1999年にBMGファンハウスが発足すると代表取締役副社長に就任。2001年に依田巽らとドリーミュージック設立。音楽プロデューサーとして平原綾香など手がける[1]。日本レコード協会副会長、音楽産業・文化振財団理事の就任歴がある。
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