張泰山

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張泰山

張 泰山(ジャン・タイシャン、アミ族名: Ati Masaw(アディ・マシャオ)、 1976年10月31日 - )は、台湾中華民国)の台東県出身の元プロ野球選手内野手)。右投げ右打ち。愛称ターザン[1]。リーグで最初に2000安打を達成するなど、CPBLにて数々の功績を残し、「台湾の至宝」とも称される。

概要 基本情報, 国籍 ...
張 泰山
Chang Tai-Shan
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徳島インディゴソックス時代(2016年)
基本情報
国籍 中華民国台湾
出身地 台東県東河郷泰源村
生年月日 (1976-10-31) 1976年10月31日(48歳)
身長
体重
175 cm
88 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1996年
初出場 CPBL / 1996年3月20日
ABL / 2017年11月17日
最終出場 CPBL / 2015年9月30日
ABL / 2018年1月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴
  • 味全ドラゴンズ (2019 - 2024)
国際大会
代表チーム チャイニーズタイペイ
五輪 2004年2008年
WBC 2006年
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概要 張 泰山, 各種表記 ...
張 泰山
各種表記
繁体字 張 泰山
簡体字 张 泰山
拼音 Zhāng Tàishān
注音符号 ㄓㄤㄊㄞˋㄕㄢ
和名表記: ちょう たいざん
発音転記: ジャン・タイシャン
英語名 Chang Tai-Shan
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
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2006年WBCでの張泰山

経歴

要約
視点

CPBL時代

台湾体育学院を卒業後、1995年CPBL味全ドラゴンズに練習生として入団。翌年に正式に選手登録され主軸打者として活躍し、新人王に輝く。

1997年から1999年までの3年連続優勝に貢献するものの、味全の解散により、2000年興農ブルズに移籍。

2004年アテネオリンピックの野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。2005年のアジアシリーズにも出場している。

2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では阪神タイガース林威助に4番を譲るも、5番・指名打者として出場した。ドーハアジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では優勝を果たした。

2008年北京オリンピックにも野球チャイニーズタイペイ代表で選出されたが、WADAによるドーピング検査で陽性反応が出た。そのため北京オリンピック本選の試合に出場できず、チャイニーズタイペイの予選ラウンド敗退の一因として挙げられたりもした。本人は、陽性反応は服用している不妊治療剤が原因だとして、競技力向上のため故意でドーピングをしたのではないと主張したが受けられず、オリンピック後、IBAFから1年間の国際大会出場禁止の処分を受けた。

2010年11月に開催された広州アジア競技大会の野球チャイニーズタイペイ代表に選出された。同大会では準優勝を果たした。

2011年統一セブンイレブン・ライオンズに移籍。

2013年8月9日の対兄弟エレファンツ戦の9回にこの日2本目の安打を放ち、台湾球界初となる通算2000本安打を達成した[2]

日本独立リーグ時代

2016年1月22日に四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスへの入団が発表された[3]。張は統一からのコーチ就任要請を断り、以前統一の監督だった中島輝士が監督を務めていることが決め手になって(台湾メディアの報道では中島からの強いオファーがあったとされる)徳島に入団した[4]。台湾メディアは、台湾球界への復帰が目標と報じている[4]。徳島では53試合に出場、打率.236、24打点、3本塁打の成績でシーズン終了後に退団の意向と報じられた[5]。報道では「台湾と違って試合日程がまちまちだったことや、バスでの長距離移動などでコンディションを整えられず、最後まで調子が上がらなかった」と徳島での選手生活についてコメントしている[5]。2017年1月31日、昨シーズンの契約満了に伴う退団が正式に発表された[6]。退団発表に寄せたコメントで「徳島インディゴソックス球団とは今後も関わりを持っていきます」と記し、時間的余裕のあるときには選手の指導をおこないたいという意向を示した[6]

ABL時代

2017年8月28日にオーストラリアン・ベースボールリーグアデレード・バイトに所属することが発表され[7]、9月13日に入団会見を行った[1]。背番号は49。ABLではシーズン全40試合に出場し、打率.283、4本塁打、26打点の成績を残した。この年チームは最下位に沈んだが、1月27日に行われたシーズン最終戦の最終打席で劇的な満塁ホームランを放った[8]。ベンチに戻る際には目頭を押さえ、チームメイトから熱く祝福を受けた。このプロとして最後の打席、最後の本塁打でチームを大勝へと導き、オーストラリアでのシーズン、また22年間に渡るプロ野球選手生活を終えた。また、この打席はABL公式サイトによるチームのシーズンハイライトに選ばれた[9]

社会人野球時代、引退

2018年2月2日に会見を行い、社会人チームの台湾人寿(台中市成棒隊)へと入団する事が発表された。入団に際してはセレモニーが行われ、現地では台湾での競技復帰が大々的に報道された。また、併せて2018シーズンをもって競技から引退する事を発表した[10]。 9月3日には台湾人寿と日本の独立リーグBASEBALL FIRST LEAGUEとの交流戦が開催され来日、その中で井川慶(前年兵庫ブルーサンダーズに所属)と一打席限定の「レジェンド対決」が執り行われ、右越え二塁打を放った[11]

9月23日に台湾の台北市立天母棒球場にて引退式が開催された。セレモニーでは台湾時代の恩師である徐生明監督の未亡人である謝榮瑤より花束が贈呈され、互いに涙を見せながら競技人生に終止符を打った[12]

引退後

引退後、オーストラリアン・ベースボールリーグのブリスベン・バンディッツよりコーチのオファーを受け、11月よりコーチとしてチームに合流した[13]。また、ABLの2018年 - 19年シーズンに先立ちコーチ研修として横浜DeNAベイスターズ秋季キャンプに参加、指導者としてのキャリアを開始した[14]。2020年からは味全ドラゴンズの打撃コーチに就任し[15]、2024年まで務めた。

選手としての特徴

  • 台湾球界での通算本塁打数[注釈 1]と打点トップの記録を持つ、台湾球界のトップに君臨するスター選手である。
  • 広角に打ち分けるバッティングを得意としている。

詳細情報

年度別打撃成績

さらに見る 年 度, 球団 ...
















































O
P
S
1996 味全 94349336541122811619072720111114811.333.355.565.921
1997 913733384488143913556123222614548.260.319.399.718
1998 103421372631202941419978279044065565.323.392.535.927
1999 87366327601051231717470188023077457.321.388.532.920
2000 興農 78303280397110111116381130316043810.254.300.414.715
2001 79325291507491131245364023022457.254.326.426.752
2002 702792453866133101155730232861328.269.343.469.812
2003 100446396821302142824394228024692659.328.399.6141.013
2004 1004263777312721021211941470343435714.337.406.560.966
2005 9538734859106120151636035042837547.305.364.468.833
2006 100433373621301702421972440454131466.349.428.5871.015
2007 1004344026212819019204801210322375516.318.362.507.869
2008 82326302461041711115665620118354114.344.390.517.906
2009 107436398521192211719463240527165115.299.349.487.836
2010 1195054537314223016213787100539284213.313.374.470.844
2011 統一 118505466581333121421074110825054629.285.323.451.774
2012 117490448751493601723696220532555920.333.380.527.906
2013 11950547058136311919690110526445320.289.329.417.746
2014 571911751549705712801001600326.280.340.406.746
2015 471751601245503592001021111217.281.331.369.700
通算:20年 186376756957107521343772528934281338158764644987178940232.307.363.493.856
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  • 各年度の赤太字はリーグ歴代最高、太字はリーグ最高

タイトル

  • 本塁打王:3回(2003年、2004年、2006年)
  • 打点王:4回(1999年、2004年、2012年 - 2013年)
  • 最多安打:2回(2006年、2010年)
  • 最高長打率:1回(2003年)

表彰

記録

独立リーグでの打撃成績

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  • 2016年度シーズン終了時

背番号

  • 49 (1996年 - 2024年)

代表歴


脚注

関連項目

外部リンク

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