大谷 暢顯(おおたに ちょうけん、1930年3月27日 - )は、浄土真宗の僧である。法名は「淨如」。真宗大谷派第25代門首。元全日本仏教会会長。上皇明仁の従兄弟に当たる。兄は大谷光紹、大谷暢順、弟は大谷光道。
- 1969年(昭和44年)、開申事件により、大谷家と真宗大谷派内局との確執が表面化し「お東騒動」と呼ばれる内部紛争が始まる。暢顯は法主継承権第五位の連枝であったが、品川区西五反田のエレクトロニクス会社の技術部に勤務していた。そのため、「お東騒動」には巻き込まれていない[2]。
- 1985年、本山に帰り鍵役として法務に専念する[3]。
- 1987年(昭和62年)、内局は、宗教法人「本願寺」を法的に解散し、宗教法人「真宗大谷派」に一体化する(宗本一体化)。「本願寺」(通称「東本願寺」)の正式名称は、「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)となる。
- 1993年(平成5年)4月13日、父・光暢(闡如)示寂。
- お東騒動による、門首継承問題は「お東騒動#真宗大谷派の門首」を参照。
- 1996年(平成8年)7月31日、先門首[4] 光暢の後継という形で真宗大谷派第二十五代門首を継承[5] し、法名を「淨如」と名告る。同年11月21日、門首継承式が行われる。
- 2006年(平成18年)11月21日、真宗本廟・阿弥陀堂にて、門首就任十周年記念式が行われる。
- 2011年(平成23年)3月~5月・11月21~28日、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌(しちひゃくごじっかいごえんき)厳修。
- 暢顯には子供がいないため、門首就任以来長らく新門[6]が未定であったが、2014年4月、いとこ(光暢の弟・暢慶の息子)で当時ブラジル在住の大谷暢裕鍵役[7]兼開教司教が、次期門首に就任するよう里雄康意宗務総長から要請を受け、これを承諾した。2020年(令和2年)6月30日、門首を退任[8]。
それ以降の正式名称は「真宗本廟」と改称される。通称の「東本願寺」は、そのまま用いられている。
1993年~1996年の間は、大谷演慧鍵役 (1914~2008) が、門首代行を務める。
鍵役…門首の血縁者で、法要・儀式で門首を補佐する。