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大下 聡(おおした さとし、1953年7月3日 - )は、日本の実業家。元株式会社バンダイナムコエンターテインメント代表取締役社長。
バンダイネットワークス株式会社代表取締役社長、株式会社バンダイナムコゲームス常務取締役、バンダイビジュアル株式会社代表取締役社長、などを歴任した。
大学を卒業した1976年に、バンダイに入社した。同社では主に玩具事業を担当し、札幌営業所長、玩具マーケティング部の部長などを歴任した[1]。その後、コンシューマ事業本部の副部長、および、スワン事業部の部長に就任し、携帯型ゲームである「ワンダースワン」に携わった。業務執行役員に就任し、引き続きコンシューマ事業本部の副本部長とSWAN事業部の部長を務めた。このころ、ワンダースワンにインターネット接続などの通信機能を持たせるため、ニュープロパティ開発部の部長である林俊樹らとともに通信アダプタ「モバイルワンダーゲート」の開発に尽力した[2]。さらに、執行役員としてコンシューマ事業部の部長に就任した。その後、執行役員としてスワン事業部のゼネラルマネージャーに就いた。
しかし、バンダイはネットワーク事業を分社化し、新たにバンダイネットワークスを設立することになった[3]。バンダイネットワークスの社長には林俊樹が抜擢され、ワンダーギアの研究、開発もバンダイネットワークスに移管されることになった[3]。その後、大下もバンダイネットワークスに移った。
バンダイからバンダイネットワークスに移ると、エグゼクティブマネージャーに就任した。バンダイネットワークスは、事実上「ピピンアットマーク」事業からの撤退を目的に分社化されたとみなされていたが[4][5]、社長の林俊樹がiモードに着目しモバイルコンテンツ事業に進出したことから、結果的に急成長を見せていた。しかし、林は社長を退任することになったため、大下が同社の社長に就任した。
社長に就任した大下は、堀江貴文率いるオン・ザ・エッヂと業務提携し、ヨーロッパでiモード用のモバイルコンテンツ事業を積極的に展開しようとした[6][7]。また、バンダイナムコホールディングスでは取締役に就任し、ネットワーク戦略ビジネスユニットを担当することになった。2009年、バンダイネットワークスはバンダイナムコゲームスに吸収合併された[8][9]。それにともない、バンダイナムコゲームスの常務取締役に就任した。
前任でバンダイナムコホールディングス社長を兼務していた石川祝男の後任として、バンダイナムコゲームスの社長に就任した。ブランド価値向上を狙ったテレビCMの大量出稿や、ゲームに縛られない企業風土に変えるべくバンダイナムコエンターテインメントへの社名変更などを手がけた[1]。
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