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中国山西省の地級市 ウィキペディアから
呂梁市(りょりょう-し)は、中華人民共和国山西省中西部に位置する地級市。
春秋時代、呂梁を支配する晋はこの地に屈邑、平陵邑、中陽邑、瓜衍県などを設置していたのが最も古い行政区域の記録である。戦国時代、晋が韓、趙、魏に分裂すると、呂梁は趙の領域となった。秦の始皇帝の時、太原郡が設置され大陵、茲氏等の県が設置された。
太原郡の行政区分は漢代まで使用されたが、前125年(元朔4年)に西河郡が分置された際に呂梁もこちらの管轄となっている。西晋を滅ぼした匈奴の劉淵が一時期、市内の左国城(現・方山県)を拠点としていたことがある。北魏の時、また太原郡に戻った。北魏の東西分裂のあと、北斉の斛律金が万里の長城を作る拠点としていたこともある。[1]
隋代に離石郡、西河郡、太原郡、楼煩郡、竜泉郡に分割された。唐代の州制施行に伴い石州、汾州、隰州、嵐州、并州(後に太原府と改称)の管轄となった。その後歴代王朝での行政改編が行われたが、呂梁が周囲の行政区分に分割される状況は民国まで続いた。
呂梁が単一の行政区として編成されたのは、1971年の呂梁地区の設置が初めてである。2004年7月に地級市に昇格し呂梁市が成立した。
1市轄区・2県級市・10県を管轄する。
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