勤子内親王
平安時代中期の皇族。醍醐天皇の五女。四品 ウィキペディアから
平安時代中期の皇族。醍醐天皇の五女。四品 ウィキペディアから
勤子内親王(きんし/いそこないしんのう)は、醍醐天皇の第5皇女。四品。母は更衣・源周子。女四の宮と称される。源順に『和名類聚抄』の編纂を命じた。
延喜8年(908年)内親王宣下。『和名類聚抄』の序文によれば、「淑姿花の如き」美しさであった。7歳の時、初めて父・醍醐天皇に謁し、父帝より鍾愛されて筝の教授を受け、筝譜を相承された。承平6年(936年)、四品に叙位。承平年間(931年 - 938年)に、外戚の源順[1]に『和名類聚抄』の編纂をさせた。藤原師輔と結婚したが、天慶元年(938年)に35歳で没。師輔との間に子女はなかった。
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