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平安時代中期の皇族。醍醐天皇の七男。三品・大宰帥、兵部卿 ウィキペディアから
有明親王(ありあきらしんのう)は、平安時代前期から中期にかけての皇族。醍醐天皇の第七皇子。官位は三品・兵部卿。
有明親王 | |
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
生誕 | 延喜10年(910年) |
薨去 | 応和元年閏3月27日(961年5月14日) |
官位 | 三品、兵部卿 |
父母 | 父:醍醐天皇、母:源和子 |
兄弟 | 勧子内親王、宣子内親王、恭子内親王、克明親王、保明親王、慶子内親王、代明親王、勤子内親王、婉子内親王、都子内親王、重明親王、常明親王、修子内親王、敏子内親王、式明親王、雅子内親王、有明親王、普子内親王、時明親王、長明親王、源高明、兼明親王、源兼子、靖子内親王、源厳子、源自明、韶子内親王、源允明、康子内親王、英子内親王、斉子内親王、朱雀天皇、章明親王、村上天皇、源為明、盛明親王 |
妻 | 藤原暁子(藤原仲平女) |
子 | 源忠清、源正清、源泰清、源守清、明救、能子女王、馨子女王、藤原公季室 |
醍醐朝の延喜11年(911年)式明親王・敏子内親王・雅子内親王・普子内親王とともに親王宣下。延喜21年(921年)重明親王・常明親王・式明親王とともに清涼殿で元服した。加冠は右近衛大将・藤原定方で、理髪は右近衛中将・藤原公頼であった[1]。
朱雀朝から村上朝初期にかけて10年以上に亘って常陸太守を務め、のち大宰帥・兵部卿を歴任した。この間の天徳3年(959年)8月1日に帯剣を聴されている。
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