Loading AI tools
ウィキペディアから
ローデシア軍(ローデシアぐん)は、ローデシアの保有していた軍隊である。ローデシア紛争(1965 - 1980)において南アフリカ防衛軍(South African Defence Force)と共に、ローデシア国内および近隣諸国にて戦闘活動を実施していた。ローデシアは南アフリカと同様に少数の白人により大多数の有色人種を支配しようとしたため兵力不足だった。そのため、欧米から広く白人傭兵を募集していた。
ローデシア軍では、兵員不足の解消と部隊の質を向上させるため、アメリカやヨーロッパ諸国にてジャングル戦や対ゲリラ戦の実戦経験を持つ傭兵を広く募集した。実際に、1970年代には米国の雑誌"Soldier of Fortune Magazine"に、ローデシア軍の募兵広告が見られる。こうしてローデシア傭兵が誕生した。
ちなみに、傭兵の募集を公然と行うことは国際社会では許されない。そのため、Soldier of Fortune Magazine誌には、「ローデシア軍の傭兵募集ポスターの複製品を1枚3ドルで販売しています」と掲載し、傭兵募集の広告ではなく、あくまでも商品の販売広告であるとしていた。
ローデシア軍に加わった白人傭兵の多くは、イギリス、南アフリカ、ポルトガル、香港、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの出身者だった。その中でも、ベトナム戦争で実戦経験を積んだアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの元軍人は高く評価されていた。他にも、コンゴ動乱の元傭兵や、フランス外人部隊の出身者なども、ローデシア軍に参加している。
このような実戦経験豊富な傭兵達に加え、非常に厳しい訓練によって、1970年代にはローデシア軍は世界で最も訓練された軍隊のひとつとなっており、その戦闘力は世界有数のものだった。
また、白人傭兵の中にはローデシア軍ではなく白人農場主に雇われ、農場を警備するための私兵となる者も存在していた。ローデシア紛争中、地方の農場や村は頻繁にゲリラ部隊からの攻撃を受けており、白人市民の車両移動にはゲリラ部隊の攻撃に備え、車列警護車が付き添う必要があったからだった。また、白人市民の多くは私用の武器を所持しており、白人の主婦が短機関銃を携行することも珍しくなかった。
実際に、ローデシア紛争においてローデシア軍は十分な航空戦力や重火器を所有していなかったにもかかわらず、ソ連邦と中国から十分な装備を供給され、兵力でも優位なゲリラ部隊に対して終始8倍という高い殺傷率を維持していた。また、高度な訓練を受けていた特殊部隊では、ゲリラ部隊の35倍から50倍の殺傷率を誇っていた。
ゲリラ部隊に対して武器や装備の面で特に優勢とも言えぬ状況でローデシア軍が戦果をあげることが出来た理由の一つは、ローデシア軍の兵士が受けた軍事訓練がゲリラ部隊が受けた訓練よりも優れていたからだった。
ローデシア紛争当時にローデシア軍兵士が受けた軍事訓練は古典的条件付けとオペラント条件付けによる現代式の軍事訓練だったが、ゲリラ部隊の兵士はそのような現代式の軍事訓練を受けていなかったため、ローデシア軍とゲリラ部隊の殺傷率に大きな差が出ることとなった。
また、条件付けによる現代式の訓練を十分に受けていない兵士は、人間を殺すことに対する本能的な抵抗感を克服することが出来ないため、敵と接触しても空に向かって発砲するなど威嚇行動を本能的に行う傾向がある。ゲリラ部隊の兵士は十分な訓練を受けていなかったため、その傾向が強かったこともローデシア軍が有利になる要因だった。
ローデシア紛争の復員軍人の証言によると、ローデシア軍部隊がゲリラ部隊と接触した際の戦闘手順は、どんな時でも背嚢を捨てて敵兵に突撃することだったという。そのようなことをすればゲリラ部隊の良い標的になりそうだが、実際にはゲリラ部隊の射撃した弾丸はローデシア軍部隊の頭上を飛んで行くだけだったため、銃撃戦では常にローデシア軍が優位だったそうである。そのため、ローデシア軍兵士が銃撃戦で戦死することは滅多になかった。
さらには、1978年3月からは部隊の機動性向上のため、歩兵全員に空挺降下の資格取得が義務付けられた。特殊部隊などに至っては、迫撃砲や乗馬などの資格も要求された。
ローデシア軍の一般的な訓練期間は21週間で、3段階に分かれていた。第1段階は基礎訓練を8週間、第2段階は歩兵訓練を8週間以上、第3段階は作戦訓練を4週間以上というものだった。
ローデシア軍とアフリカ人解放組織の殺傷率に大きな差が出た二つめの理由として、文化的価値観と社会的習慣があげられる。まず前提として、白色人種は有色人種よりも人種的に優位であるとするローデシアの白人が持つ文化的価値観があげられる。 そのような思想に基づき、ローデシア社会は白色人種を頂点として、人種ごとに階層化された社会であった。そのため、白色人種は有色人種を人間以下の存在であると考える社会的慣習を持っていた。ローデシアではこのように文化的価値観と社会的慣習が重なり合った(言い換えれば人種差別主義の)ため、白人兵士は殺人行為を容易に行うことが可能だったと思われる。
しかし、そのような白人優位思想は、今日の対テロ・ゲリラ作戦で重要とされる作戦区域にいる市民(ローデシアの場合はアフリカ人)の支持を勝ち取ることや、作戦はあくまで「ゲリラ対策」であって「報復」であってはいけないという原則を無視しており、それどころか公共交通や公共施設、国連が設置した難民キャンプまでをも襲撃してしまうなどの凶行によってアフリカ人市民達によるローデシア軍への反感が増し、アフリカ人解放組織によるアフリカ人市民達からの支援や兵員確保を容易にしてしまっていた。
近代的軍事訓練と人種差別的思想を利用して緒戦は優位に戦ったローデシア軍であったが、当地の白人は少数民族ゆえ兵員不足を埋めることは難しく、従軍期間は次第に延長された。1955年には4ヵ月半だった従軍期間は、1966年には9ヵ月へと延長され、1972年12月には防衛法により12ヵ月へと更に延長された。
兵役義務は戦況の激化にともない、1976年から1977年にかけて大幅に拡大されていった。18歳から25歳の白人男性に対する兵役義務は、1976年5月には12ヵ月から18ヵ月にまで延長され、1977年1月には25歳から38歳までの白人男性の兵役義務期間が年間190日に定められた。
兵役義務の拡大は、白人男性だけに留まらず、1977年2月には、アフリカ人を除く白人、アジア人、カラードの38歳から50歳までの男性に対して、年70日間の兵役義務が課せられた。さらには、1979年1月、都市部に在住の50歳から59歳までの白人、アジア人、カラード男性に対して、年42日間の兵役義務が課せられた。
さらには、アフリカ人男性に対する徴兵制度が1978年9月に導入され、1979年8月には16歳から50歳までのアフリカ人男性が兵役義務の対象とされた。
このように、ローデシア軍は兵員不足を解消するために兵役期間を延長し徴兵制度の対象者を拡大していったが、人種を問わずに徴兵拒否者が相次いだ。例えば、1979年1月時点で、アフリカ人兵役義務者1544名のうち1244名が兵役を拒否し、同時点の白人ですら兵役義務者1500名のうち415名が兵役を拒否した。長引くローデシア紛争は人々を疲弊させ、人種・階層やイデオロギーを越えて厭戦感情を広げていったためである。
1965年11月11日に英国からの一方的独立宣言"Unilateral Declaration of Independence"を行って以降、アフリカ人抵抗勢力のゲリラ闘争が本格的となり、近隣諸国を巻き込んだローデシア紛争に発展する。ローデシア紛争は1979年12月29日の戦闘終結まで継続した。
ローデシア陸軍は4個旅団と1個特殊部隊旅団を編制していた。ローデシア紛争中に活動した有名なローデシア軍部隊としては、以下の部隊が挙げられる。
ローデシア陸軍は南アフリカと比べて国の規模が小さかったため、BL 5.5インチ砲やセンチュリオン戦車を装備しないなど、同時期の南アフリカ軍と比較して装備が見劣りする傾向があった。
経済制裁により南アフリカ以外の西側諸国から表立って兵器を導入できなかった上、同様に国際社会からの武器禁輸を受けていた南アフリカと比較して工業技術力も低かったので兵器の国産化もままならなかった。このため、ソ連や中国から兵器を供与されていたアフリカ人抵抗組織から鹵獲した武器を積極的に使用しなければならず、特に歩兵用火器では西側諸国と東側諸国の武器が混用されていた。
車両については反政府ゲリラが地雷による待ち伏せ攻撃を多用したため、ナミビア独立戦争やアンゴラ内戦において同様の戦法に悩まされた南アフリカ軍と同様に、地雷対策を優先した装甲車が多数設計された。しかしローデシアは上記のように経済制裁を受けていた上に工業技術力が低かったため、ランドローバーやウニモグといった既存の非装甲軍用車両か、トラックや乗用車などの民生用の車両をベースとして改造して製造するしかなく、南アフリカ軍のブッフェルやキャスパーに比べるといかにも急造のイメージがぬぐえない外観をもつ右写真のようなものが多かった。
なお、ローデシア軍時代の装備は老朽化の甚だしい一部を除いてジンバブエ陸軍(Zimbabwe National Army)に継承され、現在でも運用されている。
ローデシア紛争におけるローデシアでは様々な準軍事組織が編成され、ローデシア正規軍の作戦行動を側面ないし後方から支援していた。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.